『死』
死とは、私を迎え入れてくれる
死とは、私を受け入れてくれる
死とは、気まぐれである。
でも、死自身は、私を受け入れない。
死は、「その時」が来るまで、そこで待っている。
どこかの金を持っている権利者達は、死を恐れて逃げ生き延びようとする。
その場合、死は自らその権力者どもに歩み寄る。なぜか?自然の理に反するから。人も、動物も、植物も。その時が来たら、潔く死ぬのが定め。なのに、無理に生き抜こうとするものには、もちろん罰がある。それが、真理。
そして、世界には。「大いなる力には大いなる代償が伴う」と言う言葉がある。知ってる人はスパイダーマンだと言うだろう。が、これは事実であり、逆らえないもの。逆らっても、それにまた代償がつくもの。例えるならば、マイケル・ジャクソン。彼は、その声で、人気を集め、「幸せ」を手にした。なら、その代償は付く。そう、「幸せ」は、モブどもに手に入れられない。世界の希少価値が高いもの。それは「大いなる力」に値する。なら、それに釣り合う代償は、マイケルに付いたような「死」それが、代償である。そして、もう一つ、世界には「神は気まぐれ」との言葉がある。そう、代償は「死」だが時間も過程もいつ来るかわからない。それが「神の気まぐれ」マイケルの詳しい死に方は私は知らない。では、安倍総理大臣に例えよう。彼は暗殺された。私はそれを代償だと考えた。なら、大いなる力は何か?それは先ほども言った、彼が手にした「幸せ」である。幸せは大いなる力になり、それは「死」と言う代償として正しく“等価交換”される。
そして世には、ギャンブルや宝くじで一攫千金を狙う者がいる。私はそれらを馬鹿と見る。先ほどの話だと、一攫千金は「幸せ」に繋がる。たとえ実際に掴んでなくても、金は幸せを生み出す。表に出されていないが、一攫千金を遂げたものは皆、病死、事故死、予期せぬ死が襲った。そう、これも神の気まぐれの一つ。たとえ代償が確定していても、いつどこで何時何分死に、その過程…どんな死に方、どんな病気で死ぬかは神の気まぐれで決まる。
これらが世界の真理で真実、私はそう考える




