11・水、落ちる。
脳筋魔人は茶の木の栽培などできない。
なのでヴィペールはエルフから買っていた。
賢いとはいえ所詮は脳筋魔人のひとりなので、ヴィペールはエルフがその茶葉をジュルネ王国の茶農家から仕入れていることなど知りはしない。ニュイ魔王国には『社会』の授業はないのだ。
そして、酒は味にこだわらなければ猿でも造れる。
ヴィペールは適当な木の洞や拾った壺などに自然の果実を詰めて酒を造っている周囲の魔人が羨ましくてならなかった。もちろん販売できる量でもレベルでもなく、本人が楽しむためだけの作成だが、それでも羨ましいことに変わりはない。
自分は好きなだけ紅茶を飲むことはできない。
たまに手に入れた茶葉を楽しもうと熱湯を沸かしたのに、喜びのあまり発動してしまった水属性魔法のせいでお湯が冷めたと気づいたときはもう遅く、ぬるま湯で淹れた不味い紅茶を飲むことになったときもある。
捨てることなどできなかった。次にいつ茶葉が手に入るかわからないのだ。
ヴィペールは手に入れた茶葉を毎日少しずつ使い、古くなって香りが抜けても飲んでいる。
(絶対にジュルネ王国を支配して、手に入れた富でエルフから茶葉を購入して、美味しい紅茶を好きなだけ飲んでやります!)
周囲の酒好きへの嫉妬と自分の不幸への怒りでベランダを踏みしめたとき、月が陰った。
雲ではない。見上げると、巨大な竜の姿があった。魔王だ。
ヴィペールは微笑みを顔に張り付けた。
「お帰りなさいませ、魔王様」
ただいまと言いながら、ソワレは竜から人間の姿に戻りヴィペールの隣に立った。
「どうなさったのです? 自室にお帰りになってから使い魔で知らせてくださったのでも良かったのですよ?」
「うん、まあ、使い魔は重いものは運べないから」
「重いもの?」
「夜までには帰るって言ってたのに、遅くなってゴメンね」
「夕食はいらないとおっしゃっていましたから、問題はありませんよ」
脳筋魔人の中では一番頭が良いので、ヴィペールは魔王の宰相のような役割を果たしている。
食事の用意も彼の仕事だ。
まあ……いつも肉か魚なのだが。
「これ、お土産」
「お土産? ありがとうございます?」
「じゃあね、おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ」
ヴィペールは自室から廊下へ出て魔王城最上階の寝室へ向かうソワレを見送った。
(帰って来たということは逃げに行ったのではなく、本当にジュルネ王国の偵察に行ったということですね)
ソワレはジュルネ王国の文化を学ぶという意味で見学と言ったのだけれど、ヴィペールの中では偵察という言葉に変換されていた。
(ジュルネ王国に侵攻するつもりなら、それはそれでいいのですが……ところで、これはなんなのでしょうか? 肉? 魚?)
脳筋魔人であってもお土産の概念はあった。
室内へ戻って扉を閉め、椅子に腰かけて青いリボンが飾られた包装を開く。
ヴィペールは中から漂って来た香りに心臓がときめくのを感じた。
「え? え? なんです? なんなのですか、これは! 茶葉ではないのに紅茶の香りが! 人間達が食べているパンに似てますが、このまま食べても良いものでしょうか?」
恐る恐るひと口齧ると、口の中に紅茶の香りが広がった。
(魔王様……好き)
ニュイ魔王国一邪悪な蛇が恋に落ちた瞬間であった。




