①
「アーデルバルト。私とこの先の人生を添い遂げてほしい」
唐突に誰にも教えていないはずのヒトの家を訪れてきたソイツは、ボクの左手を取って薬指の根元に流れるように口づけて、そんなことをのたまった。
「いや、絶対嫌ですけどぉ????」
とっさに拒否できた自分をめっちゃ褒めたい。そう思ったのに、ソイツはまだ握ったままのボクの手を引いて、突っぱねようとするボクを抱き込んで、耳元で愛をささやき始める。
「王位継承権はすでに放棄してきた。私の個人資産はそれなりにあるから、アーデルバルト、あなたを苦労させることもない。あなたを一目見たときから愛している。あなたのためならば何を捨てても構わない。あなたが傷ついているのは重々承知しているが、私にあなたを愛させて、癒させてほしい」
恍惚とした調子で、ボクへの愛を語り始める男の吐息が耳にかかるこそばゆさに体を震わせながら、ボクはなんでこんなことになったんだと首をかしげた。
ボクはアーデルバルト・C・デイドリード。中央大陸に存在する、スルト魔法王国のデイドリード公爵家の次男として生まれた。
ボクの生まれた国は魔法に特化した国で、国土はそこまで広くはないけど、魔法に関しては他国の追随を許さないほどに発展している国だった。ボクの生まれたデイドリード公爵家は、国の政治を取り仕切る10家の内の一つだ。
元々は数代前の王弟が王位継承権を放棄するのと同時に臣下になったとして起こした家で、一応王家の血筋であること、王族も現王は三人の王子に恵まれ、第一王子が王太子として立太子し、子供も生まれているため、王家への臣下の照明として、ボクは第三王子の婚約者として生まれた時点で決められていた。
他国はそうでもないようだけど、ボクの生まれた国は、後継者が確定した時点で、それ以外の貴族籍や王位などの継承権を持つ子供は、後継者の子供が生まれた時点でそれ以上の継承権保持者を増やさないために、同じくらいの家格の同性の子供と婚姻を結ばせ、子供を増やさせないことを重点に置いていた。
そのため、ボクは男として生まれたにもかかわらず、生まれた時点で五歳年上の第三王子の慰み者になるための生贄として選ばれていた。
そのこと自体には、まあ国の決め事だしなぁと諦観していたのだけど、正直、五歳年上の男の慰み者になるだけの人生ってむなしいなぁという気持ちもあった。
ボクは物心ついたころから、本を読んでのんびりとすることが好きだった。慰み者になる運命こそ決まっているが、それはボクが成人してからの話で、それまでの間は王家に嫁ぐことになるということもあって、様々な勉学に励んだ。その際に、様々な本に目を通した。
大半は勉学のための本だったが、流行に敏感なのも貴族の勤め。その時に流行った小説などにも目を通したし、それこそ図鑑のようなものから辞典のようなものまで、自宅の書庫に存在したあらゆる本という本を読みつくしたのは、十を数える前のことだった。
第三王子の婚約者であるという身分のおかげで、王室書庫にも足しげく足を運び、すべてを読みつくしたのも同じころ。まだまだ読みたいという欲求は消えることなく、ボクは十歳の誕生日にほかに類を見ない魔法を会得した。
そうして、会得した魔法でどんどんと増えていった知識。その知識を証明するために繰り返して魔法を練り上げ。
気づいてしまった。第三王子と婚姻を結ぶ前に逃げたほうがいいんじゃないか? と。
スルト魔法王国は魔法に特化しているが、現在新しい魔法を生み出すことができる者もおらず、唯一魔法開発を行っているのがボクで、その魔法は父と兄が自分の功績として国中に交付して世論の人気を集めている。第三王子と婚姻したら、この功績は第三王子の後ろ盾として献上する予定らしい。
そう、ボクはボクの作ったものを全部家と王家に搾取されることも決まっていた。ちなみに、これに関しては父も兄もニマニマとしたやに下がった顔で貴族の義務だとのたまっていた。
まあ、王家の求心のためなら仕方がないかと思っていたんだけど、知識が増えて気づいたんだ。王家終わってんじゃん、と。
スルト魔法王国は王家と貴族十家(公爵家が三家と侯爵家が七家の計十家ね)で、王家が統治している……ということになっていたけれど、現王はもう、考える頭がない愚王だった。貴族十家のいいなりで、自分の考えを何も持っていない完全な傀儡状態。立太子済みの王太子はと見れば、王太子もおんなじ状態で、王太子妃は別の公爵家の娘で、王太子妃が王太子をうまく操っていた。
スペア扱いの第二王子も同じような状態で、婚約者の第三王子は目も当てられないバカだった。この第三王子、勉強はできないやらない。第三王子が生まれて間もなく王太子が立太子したため、スペアの価値もない第三王子は放置状態、好き放題やり放題。閨教育を受けた後は、五歳も年下でまだ子供のボクに手を出そうとしたので、仕方なくそういう役目の魔法が使えない人間を貧民から買い上げて使いつぶす始末。
兄王子を盛り立てるために頑張ってるとかならねぇ、搾取されて慰み者になってもまぁ、と思っていたけど、年々ひどくなっていく第三王子の様子に、どうしたものかなぁと悩む日々。父も兄も、そんな第三王子の様子なんてどうでもいい様子で、ボクに声をかけてくるときは新しい魔法をよこせの一言だけ。
人生お先真っ暗ってやつなのかねぇと思いつつ、下半身に脳みそがついてそうな第三王子は、婚約者であるボクとそういった行為は婚姻を結ぶまでできないことを知ったとたんに声をかけてくることもなくなった。城のいたるところでみだらな行為にふけるばかりで、王族としても公務もしない。
何度となくそれに対する苦情がボクのところに来たけど、ボクは第三王子と会うことすらないので後ろ盾として父と兄に受け流していた。
逃げることは考えていたし、機会があれば逃げてもいいかなと思っていたが、ボクに対しては結構な監視がついていた。ボクがいなくなるとデイドリード公爵家が困るからね。父と兄にずーっと監視され続けてたよ。機会があれば逃げられるように準備はしてたけどね。
そして、成人である二十歳を迎えるまであと一年まで迫ったある日。
その日は、国内にいる貴族でデビュタントを迎えた十六歳以上の子供と当主、次期当主は必ず参加しなければならない、年に一度の王族主催の夜会だった。ボクももちろんその範疇に入っていたし、一応第三王子の婚約者であることは変わらなかったので、王族の婚約者としてあるべき装いをして、この夜会にも足を運んだ。
本来、婚約者がいる場合は婚約者と一緒に会場入りするのが普通なのだが、ボクとそういう行為に及べるまで時間がかかることを知ったときから、第三王子はボクを伴って会場入りすることはなく、いつも直前までヤってましたと言わんばかりの色気を醸し出す、よろついたそういう行為のために買い上げた貧民を連れ歩いていた。第三王子と仲がいい貴族の次男以降も同じようにそういう行為のために買い上げた人間をひきつれ、顔を見せた後は用意されている休憩室の中でも大きな部屋を貸し切って、乱痴気騒ぎを繰り広げているらしい。
らしい、というのは僕自身は確認してないから。わざわざ確認したくもなかったしね。この日も、エスコートしにやってくる気配のない第三王子に顔を突き合わせなくてよかったと安堵をしながら、父と兄とともに会場入りする。婚約者と一緒に会場入りしないボクのことを周囲はまたかと言わんばかりの目線で見てくるけど、相手側が来てくれないんだから仕方なくない? ぶっちゃけ慣れてるから気にしてないけど。
デイドリード公爵家が貴族の中で最後の会場入りだったから、王族の会場入りはさほど経たずに行われるはずなんだけど、なかなかやってこない。王族は時間にルーズなところもあるし、まあ待っていればいいと、会場内を回っているウェイターから配られたジュースに口を付けながら、早く夜会が終わらないかなぁと考えていたところで、ようやく王族が会場入りしてきた。
王太子夫婦と第二王子と婚約者が入場して、一応婚約者の第三王子が入場してくる。第三王子はやっぱり無駄に色気をふりまいているボクより少し年上に見える男の腰を抱きながら入場してきた。少し着衣が乱れている様子があったので、今日も噂と変わらずだったのだろうなぁと思った。
第三王子が入場してくると、最後に現王と王妃様が入場して、夜会の本格的な開催となる。開催になったら、まずは現王と王妃へ家ごとに挨拶をしなければならない。これは、爵位が上の家から順番なんだけど、爵位ごとの入場順と同じ順番であいさつをするので、二家分待つ必要がある。
だから、飲みかけのジュースを飲み干して、からのグラスをウェイターに渡して挨拶の準備をしていたところ、突然第三王子の声が響いた。
「父上と母上へのあいさつの前に、私から皆に伝えたいことがある!」
意外と通る第三王子の声は、会場内に反響して遠くにいる人たちにも届いたみたいで、誰もが動きを止めて第三王子を見ていた。その第三王子は、自分に注目が集まったのを確認してからこっちを……ボクを見てきた。
「アーデルバルト・デイドリード! この場で貴様との婚約を破棄する!!」