一休和尚、屏風の虎を退治する話 (四).
寺の回廊から、隣のお屋敷の大広間まではそれなりに離れてございます。
ですが、大きな屏風でしたので、屏風に描かれている虎の姿はよく見えました。
生きている本物の虎を見たことはございませんが、その虎は今にも動き出しそうな生命力や迫力を感じさせました。
わたくしが屏風絵に見惚れて立ち尽くしておりますと、
「周文殿の絵は気に入ったか」
お師匠さまが隣に立って話しかけられました。
「あれが周文様の絵ですと?」
「なんだ、違うと申すのか?」
「周文様は虎の絵を描いたことがあったのですか?」
わたくしが知る限り、周文様は山水画を多く描かれた方ですが、竜虎など、勇ましいものを画題にしたことはなかったはずです。
もっとも、周文様は自分の作品に款記や印章など、自分の名を残すことをなさいませんでした。おかげで、当の周文様でさえ、世に残る絵画のどれが自分の作品なのかご存知ないそうです。
ですから、これまでに竜虎など描いたことがないと断言はできないのですが。
お師匠さまは絵に視線を向けたまま腕を組むと、わたくしの質問にお答えくださいました。
「たしかに、周文殿はめったなことで虎の絵を描いたりはせぬ。
だが、周文殿は実に研究熱心な御仁だ。
新しい宋元画を目にすると、その技法や構図を自分のものにしようと、それを描き写してしまう。
当然、竜虎の絵を目にすると、周文殿はさっそく模写して、その画題を自分の中で昇華させていた。
それを、自分なりの解釈で再構築するのだ。
そうやって周文殿は絵の腕前を上げてこられた。
見本や手本とすべき虎の絵に接する機会が少ないから、虎の絵をあまり描いていないだけで、まったく描いていないわけでもないのじゃ」
たしかに、そういうこともありうるでしょう。
ですが、それでも疑問は残ります。
わたくしはお師匠さまに反論を試みました。
「たしかに、周文様は虎の絵を描いたことがあるかもしれません。ですが、お師匠さま。
あの絵が周文様の手によるものと断言できるのですか?」
「ああ、できる」
お師匠さまは力強くうなずきました。
わたくしは、虎の絵に目を凝らしながら、どんな技法や構図で描かれているのか、確かめようとしました。
しかし、さすがにそこまで判別できるほど近い場所にいるわけでもありません。
この距離では周文様の画風や技法などわかるはずもないのです。
わたくしはお師匠さまに疑いの目を向けていました。
「絵の細かいところまでは見えないのに、どうして断言できるのですか?」
お師匠さまは腕を組んだ姿勢のまま、ちろりとわたくしの顔に目を向けられました。
「なに、簡単な話じゃ。周文殿が、まさにあの絵を描いていたのを、わしはその隣で眺めていたことがあったのじゃ」
……こういうのを興醒めというのでしょうね。
「周文様とお知り合いなのですね?」
案内をしてくれる若い僧が、かなり驚いた表情でお師匠さまに話しかけました。
無理もありません。
同じ宗派であろうと、お師匠さまは五山の権威に批判的な方です。そのせいもあって、五山の権威ある方がたからは煙たがられていました。
一方、周文様は五山のひとつ、相国寺の都寺の職についたこともあるお方です。
本来、仲のいいはずもないのです。
「まぁ、かつて同じ僧坊で寝食を共にして、修行したこともあったからな。知り合いといえば知り合いなのじゃ」
お師匠さまは何の感慨もない様子でお答えになりました。やはり、仲が良かったわけではなさそうです。
そこで、わたくしは気づきました。
「周建を名乗られていたころの話ですね?」
名に同じ『周』が使われているということは、同じ師のもとで修行していた可能性があるということです。
「ま、そういうところじゃ」
お師匠さまは小さくうなずかれると、若い僧に顔を向けられました。
「ところで、本堂にあった絵じゃが、あれは周文殿から直接学んで描いたものか?」
若い僧はゆっくりとかぶりを振りました。
「たしかに、周文様から絵の手ほどきをいただいたことが何度かございましたが。
この寺には、いくつか周文様が描かれた絵が残されているのです。
わたくしは、それらを手本として、絵の真髄を学んでいるところにございます。
山水など自然の景色はどうにか真似るところまでできるようになりましたが、ひとや動物などは今もまったく……。
周文様の境地は、まだまだ遠い道のりであると思い知らされているところです」
若い僧は少し恥ずかしそうに答えていました。その表情はどこか物憂げで、僧の美麗さが際立ちます。
「なに、それほど遠いものでもあるまいよ」
お師匠さまは若い僧の肩に手を置かれて話されました。
「御身は実にいい目と腕をお持ちだ。周文の小さな癖に気づき、それを真似ることもできる。
技量については申し分ないところじゃろう。
しかし、それはあくまで手習いでの話じゃ。
真に『絵を描く』のはどういうことか。
御身はそろそろ気づけるのではないかの。
そうなれば御身の絵は……。
いや、そこから先は要らぬ話じゃったな」
若い僧は静かにお師匠さまの話に耳を傾けておりましたが、
「尊いご指導、まことにありがたく存じます」
と深々と頭を下げられました。
お師匠さまはそんな御大層な指導を施しているつもりなど微塵もないはずですが、
「今後も励みなされ」
と鷹揚に応えられておりました。
お師匠さまは、このように俗物なところをお見せになることがしばしばあったのでございます。
こんな寄り道を経て、ようやく、わたくしたちは僧堂へ案内いただきました。
僧堂は本堂の半分ほどの広さですが、それでも充分に広いと感じられるほどでした。
わたくしは、やれやれと床に腰を下ろすと、ひとりの僧が近づいてまいりました。わたくしより少し年長らしい、まだ幼さが顔に残っている若い僧でした。
僧はお師匠さまに話しかけたい様子でしたが、後ろが気になるらしく、ちらちら振り返っていました。ちょうど、わたくしたちを案内していた若い僧が立ち去った方角です。
僧の態度に奇妙な感じは抱きましたが、わたくしは僧が話しかけるのを待つことにしました。
ほどなく、気持ちが固まったのか、僧はお師匠さまに声をかけてきました。
「さきほど、あちらの回廊で虎の屏風のことを話しておられましたが……」
「いかにも」
お師匠さまは短く応じられました。
「あの者はあえて口にしなかっただけかもしれませんが……」
話しかけてきた僧はなかなか本題に入ろうとしません。
ですが、お師匠さま相手を急かすことなく、じっと耳を傾けておられました。
「実は、あの屏風の虎は夜な夜な屏風から抜け出すことがあるのです……」
『少しお節介なTips集』
款記 … 書画を作成した際に書きつけられる、製作時やその状況、詩文などを指す。日本画の真贋や価値の判定に使われる。
印章 … ここでは絵画に押される落款印を指す。洋画でサインにあたるもの。款記と共に日本画の真贋や価値の判定の基準となるが、周文は自分の作品に款記を入れず、印章も捏造の可能性があって、周文作といわれる作品が本当に周文の手によるものか断定が難しい。(ので、周文が竜虎の作品を手掛けた、という大嘘の設定をでっちあげました。)
五山 … ここでは日本の寺格のひとつ。仏教界のランク付けともいえるもので、第一位 天龍寺、第二位 相国寺、第三位 建仁寺、第四位 東福寺、第五位 万寿寺 (※京都五山。別に鎌倉五山あり)が選定された(格式を確定させたのは三代将軍義満)。一休さんはこの五山の権威や制度を禅の精神と合致しないと大批判した。(よくわかる。)
相国寺 … 前述の五山のひとつ。三代将軍義満が建立のために動いた。「相国寺」は、義満の役職だった左大臣(=相国)を指しているとされる。「相国」とは中国の大臣級に該当する役職名。(「キングダム」で呂不韋がついていた役職。)
都寺 … 禅宗寺院で寺の事務を監督する役職。都官とも。公務員の管理職といえばイメージが近いのでは。