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一休和尚、屏風の虎を退治する話 (三).

 「は、はぁ?」

 わたくしは狼狽して声をあげてしまいました。

 お師匠さまは寺に入ってからずっとわたくしとご一緒でした。

 住職様よりこの若い僧に引き合わせていただき、寺を案内されるまで、若い僧が実際に絵を描いているところを目にしておりません。

 それなのに、お師匠さまは誰から絵を学んでいるか指摘したのです。驚かないほうが不思議でしょう。


 ですが、さらに驚かされたのは、

 「その通りでございます」

 と若い僧が答えたことです。


 「お、お師匠さま。ど、どうして、この方が周文様から絵を学ばれているとご存知なのですか? 初めてお会いしたのではなかったのですか?」

 「むろん、会ったのは今日ここが初めてじゃ」

 「では、どうして知っているんです? いえ、わかったのです?」

 「そう慌てるでない、バカ者が」

 お師匠さまは相変わらずわたくしをバカ者呼ばわりですが、そんなこと気にしていられません。

 「お願いです、お師匠さま。どうしてわかったのかお教えくださいませんか?」

 すがるようにお願いするわたくしの顔を、お師匠さまはしかめ面で見つめておられましたが、さも観念したように首を振るとお答えくださいました。


 「寺に入ってすぐ、本堂に並べられた絵を目にしたであろう。多くは墨だけの水墨画であったが、一枚だけ雲母うんもが塗られ、さらにいくつかの顔料で彩色された絵があった。

 ひと目で周文殿の画風の影響を受けているとわかった。周文殿は宋元画を元にしておきながら、まるで宋元画に似てはおらん。独特の画風じゃ。

 ほかの絵は描線や構図など伝統的なものばかりじゃった。

 お前は覚えておらぬか?」

 「いえ……、たしかに、その絵は目にしています。ですが、その絵をこの方が描いたとどうしてわかるのです?

 墨の跡だけでは、この方が描いたとわからないではありませんか」

 「お前は雲母をどうやって絵に塗るか知っているか?」

 「たしか……にかわに溶かして使う……だったかと」

 わたくしは恐る恐る答えましたが、そのときになってようやく気づいたのです。

 「膠の匂い!」

 それを聞いて、若い僧は苦笑いを浮かべながら自分の袖を鼻に近づけました。

 「拙僧は臭いますか?」

 わたくしは慌てて頭を下げました。

 「こ、これは失礼を……。答えがわかって、つい大きな声を……」

 「お前は絵を絵としてでしか認識しておらぬ。絵とは本来伝える物だ。

 描かれた絵に何が込められているのか、理解しようとしていなかった。

 もし、あの絵がどんな絵であるか意識してみれば、お前であれば周文殿の影響に気づけたはずだ」

 わたくしは恥ずかしくなってうつむいてしまいました。

 実は、わたくしも周文様から絵を教わっていたことがあったのです。

 もっとも、絵の才覚はまるでないことがわかったので、すぐに辞めてしまったのですが。

 それでも、周文様の画風はよく存じている……はずでした。

 雲母を膠に溶かして使う技法も、そのころに教えられていたのです。

 お師匠さまではなく、むしろ、わたくしのほうが先に見抜けなければならなかったのでございます。

 「『見る』とは目に映るものを認識することばかりではない。手で触り、耳で聴き、舌で味わい、そして、鼻を利かして対象を理解することすべてが『見る』ことなのだ。

 お前はまったく物が見えておらん」

 お師匠さまの言葉は辛辣でございましたが、そのときばかりは何もいい返せませんでした。

 お師匠さまの考える『禅の精神』とは、「本質を見極める」ことに尽きます。

 もちろん、そんなことを公言すれば、お師匠さまには「違うわい、バカ者」と叱られるでしょう。

 しかし、お師匠さまの考えを突き詰めれば、そういう結論になるのです。

 お師匠さまにとって、みかども貴族も、町民と同じ人間。ありがたい経文も尻を拭くチリ紙も同じ紙。それぞれ違うだの、価値があるだの、そんな考えに支配されることは実にくだらないと切り捨てられるのです。そういう状態を「無縄自縛むじょうじばく」だとおっしゃっていました。

 既成概念とか、固定観念というもので、考え方や行動の自由が利かなくなることをお師匠さまは常に批判されていたのです。

 今回は、わたくしの『見る』の固定観念をこてんぱんに叩きのめしてみせたのでした。

 

 「では、どうぞこちらへ」

 若い僧はしょげ込んだわたくしとお師匠さまに廊下の先を示し、僧堂への案内に戻りました。


 さて、本堂から僧堂には、回廊をひとつ渡らなければならないのですが、わたくしはそこで思わず足を止めてしまいました。

 回廊は左右が庭になっており、庭の景色がとても美しいものだったのです。

 庭は白い石で敷き詰められており、ところどころ大きな岩が顔をのぞかせていました。

 それは大河の景色か、あるいは海原の景色を模したように思われます。

 現在、龍安寺で新たな作庭が行われていますが、何でも、その寺の庭を見た者が龍安寺にも同様の庭を造ろうとしているそうです。

 完成したら、ぜひ見たいものです。


 庭の美しさは、周囲の風景からも影響されます。いわゆる『借景』というものですな。

 もし、視界に入る隣家がみすぼらしい、あるいは、意匠におもむきがなければ、庭の魅力も落ちてしまいます。

 その点、寺に接する隣家の構えは実に優美なもので、庭の景観を損なうどころか、いっそう美しく映えるものにしていました。

 お隣は、さる高貴な方のお屋敷があったのです。

 藤原北家の流れを継ぐ方で、武士の世となった今の時代でも権勢を誇っていらっしゃいました。

 その屋敷の大広間はこちらからよく見えるところにあり、隣家のあるじも、この庭を愛でておられるかもと思ったものです。


 その屋敷の大広間には立派な屏風が広げられていました。


 竹林の中で後ろを振り返っている虎の姿が描かれた屏風でございました。

『少しお節介なTips集』


雲母うんも … ケイ酸塩鉱物を指す。「きらら」「きら」とも。屏風絵・浮世絵などの絵画において、独特の光沢をつけるために使用された。


宋元画 … 中国の宋(960~1279年)、元(1271~1368年)の時代の絵画。室町時代中期ごろあたりまでに日本に入って来たものがそう呼ばれる。このころの画僧の作品には、これら宋元画の影響が見られる。


にかわ … 獣や魚の皮・骨から主にゼラチン質を煮出したもの。木竹工芸の接着剤や、屏風絵や浮世絵などで雲母を塗るときに使用された。動物由来のもので、独特の臭いがある。


龍安寺 … 読みは「りょうあんじ」。臨済宗妙心寺派の寺院。枯山水庭園の名園、「方丈庭園」の成立年は不明。龍安寺自体が応仁の乱で焼失し、細川政元が長享2年(1488年)に龍安寺の再興に着手したので、石庭の完成はそれ以降のことと考えられる(「わたくし」の発言は、それを指してのもの)。


藤原北家 … 藤原四家のひとつ。藤原一族の中で最も栄えた家系で、藤原良房 (皇族以外で初めて摂政になった人物)、藤原基経 (摂関政治を完成させた人物)、藤原道長 (藤原氏最盛期を築いた人物)などがいる。また、この家系より近衛家、一条家などの五摂家が生まれた。

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