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一休和尚、屏風の虎を退治する話 (二).

 おっと、『屏風の虎』をお話しする前に、当時のお師匠さまのことを説明するのが先ですかな。

 いきなり本題に入っても、前後の事情がわからぬと混乱されるところもあるでしょうから。

 お師匠さまが京に戻られる前は、しばらく堺で過ごされておられました。

 赤鞘の大太刀を手に街中を歩き回っていたので、街の人びとは大変驚いていたとのことです。

 ただの大太刀ではございません。

 正確には覚えていませんが、三尺三寸を遥かに超えるほどの長い長い太刀で、立てて持つとお師匠さまの背よりも高いほどでした。

 お師匠さまはそんな大太刀を自慢げに見せつけながら歩き回っていたのです。そりゃあ、誰もが奇異の目で見たことでしょう。

 あるひとが「坊主が何故、殺生に使う太刀を手にされておられるのか」と尋ねられたとき、お師匠さまは笑ってお答えになりました。

 「実は、この大太刀の刀身ははがねではなく、ただの木片だ。最近の坊主たちも、この大太刀と同じでな。見てくればかりは立派だが、その実際は何の役にも立たない。わしはそれを世間に触れ回っておるのだよ」

 それを聞いた人びとは「なるほど」と納得して、お師匠さまと同じように笑ったとのことです。

 堺は自立心の強い商人たちによって繁栄しておりました。

 堺の人びとは、中身のない人間や権威を振りかざして威張る者を軽蔑します。その気性もあって、将軍さまはもちろん、武士にも媚びへつらうことなどしません。

 ですから、お師匠さまの行動は単なる『奇行』ではなく、意義のある行為、『風狂』であると理解されたようです。

 堺でのお師匠さまは人気者でした。

 多くのお屋敷へ食事に招かれて、食うに困ったことはなかったそうです。


 京に戻られても、お師匠さまは赤鞘の大太刀を手に街中を練り歩いておられました。

 いわゆる托鉢です。お師匠さまの姿は托鉢よりは強盗に見えそうではありますが……。

 京では、わたくしがお師匠さまのお世話することになり、お師匠さまの『奇行』……、いえ、『風狂』に付き合って、その後ろをついて歩いておりました。

 お師匠さまとは三十ほど年齢としが離れております。

 当時のわたくしは十五の小坊主でございました。


 堺では評判だったお師匠さまですが、ところ変われば、と申しますか、京ではそれほど注目を浴びるでもなく、街の人びとも積極的にお師匠さまにお声をかけなかったように思います。


 それがどうしたと思われるかもしれませんが、それだけ施しをいただける機会が減る、ということなのです。

 ですから、施しをいただく機会が少ないのは、実のところ生死にかかわる問題になるのです。

 極貧生活を苦にされないお師匠さまでも、それは同様にございます。

 そこで、お師匠さまは、わたくしと共に、さる寺へお世話になることにしたのでした。


 寺の名前は伏せさせていただきます。

 事情はのちのちおわかりいただけるでしょう。


 その寺は格式の高いお寺でして、実に立派な構えでした。

 どこの寺を指すかおわかりになるかもしれませんから、寺構えの詳細はあいまいにさせていただきます。

 本堂には立派な釈迦如来像が安置され、そのかたわらで数名の僧が釈迦如来の絵を描いていたのが印象的でした。

 その寺は多くの画僧を輩出したところでもあるのです。

 本堂の床には何枚もの描きかけの絵が並べられていましたが、いずれも優れた腕前のものでした。


 その寺では信徒も多く、たくさんのお布施をいただいているので、食うに困ることはございません。寺の住職さまはお師匠さまのことを気にかけておられて、こちらの窮状を知るや、好きなだけ寄宿されるとよいとおっしゃってくださいました。

 そういうわけで、わたくしとお師匠さまはしばらく、そのお寺で暮らすことにしたのです。


 座禅を組み、就寝に使う僧堂には、ひとりの若い僧が案内してくれました。目元の涼やかな、実に美麗な僧でした。

 わたくしは、そのときのお師匠さまの表情がどうなのか、そっとうかがいました。ご存知の方もおられるでしょうが、お師匠さまは女性だけでなく、男性も『いける』方でしたので。

 意外にも、お師匠さまの表情に好色の気配はございませんでした。好みではなかったのかもしれません。


 「あなたも絵を描いておられるのですか?」

 わたくしは、案内をしてくれる若い僧に尋ねました。

 僧の手に墨がついていたのですが、腕にも、足にも墨の跡がついていました。文字を書いているだけの汚れとは思えなかったのです。

 すると、若い僧はうなずいて、

 「ええ。未熟ではありますが」

 と答えられました。


 わたくしが自分の観察力に満足していると、お師匠さまは「ふん」と鼻を鳴らされたのです。わたくしは一瞬で気分が落ちて、お師匠さまに文句がいいたくなりました。

 「何ですか? 鼻を鳴らしたりして」

 「お前が見えているのはそれだけか?」

 お師匠さまはわたくしの顔をじろりと見ながらお尋ねになりました。


 「見えているもの、ですか?」


 「お前はわしより目がいい。しかし、物を見る目は悪い」

 はじまった、と思いました。

 禅宗でございますから、多くの公案に取り組んでおります。

 今でも答えのわからない難問が多いのですが、お師匠さまから出される公案は輪をかけて難問でございました。

 そんな難問の数々を、お師匠さまは道端であろうと、ところかまわず不意打ちで問うてくるのです。

 あれにはつくづく閉口させられました……。

 「それは何の公案でございますか?」

 わたくしは、ややうんざりした口調でお聞きすると、

 「バカ者が」

 お師匠さまは赤鞘の大太刀でご自身の肩をトントンと叩かれました。

 「公案ではない。単なる事実の話じゃ。お前は物事を表面、あるいは一面でしか見ておらん」

 お師匠さまは若い僧に顔を向けると、穏やかな表情で尋ねられました。


 「御身は周文しゅうぶん殿から絵を学ばれておられるな」

『少しお節介なTips集』


赤鞘の大太刀 … 『一休和尚年譜』に一休さんが実際に赤鞘の太刀を手に見せびらかして回ったという。大徳寺に残る一休さんの肖像画にも太刀をかたわらに置いてポーズを決めている姿が残されている。ただし、この太刀は本文にもある通り、本物ではなく木刀であった。


公案 … 禅問答、または禅に関する問題のこと。悟りのために出される答えのないクイズのようなもので、「両手を打ち合わせると音がする。では、片手にはどんな音がする?(隻手の声)」などがある。


周文しゅうぶん … 生没年不詳の禅僧・画僧。雪舟に絵を教えたことがあるなど、水墨画の発展に影響を与えた。

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