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宵 9
「送って頂かなくて、大丈夫です。結構距離あるんで」
だったら尚更だろ、と掠れ声で言って私の手を絡め取った。
しばらく無言で歩いていた。通り過ぎる車の音や商店街の店の声が随分大きく聞こえる。
私の右手は、ずっと悠さんの手に握られていた。
「あの、もうこの辺りでいいです」
営業スマイルも、もう限界だ。
「家まで送るって」
握られた手に力が込められた。
「あの、私…今、ひとりになりたいんです」
「家着いてから部屋でひとりになればいい」
「悠さん…。今の私の顔、あんまり見られたくないんです」
「今更だろ。あの夜、美咲の色んな顔を見せられたよ。辛そうな顔と、無理してる顔。笑った顔に泣き顔な」
目を細める彼に対し、私は強張った顔しか見せられない。
「あの夜のこと、私はほとんど覚えてないですけど…それでも今は、見られたくないんです」
次の瞬間、シトラスとアルコールと煙草の匂いに包まれた。
彼に抱き締められていると理解するのに時間がかかった。
「こうすれば見えないだろ?」
確かに見えないけど。でも今は、悠さんに抱き締められるのが最適解なのかどうか、私にはわからない。