物思い 8
癖になってしまったようだ。過去2回とも、マンションのエントランスで待ち伏せされていたから、人影があってもなくても身構えてしまう。そんな自分が滑稽で、思わず苦笑いをする。今日は平和に部屋のドアを開けることができた。
今日は秋刀魚を買ってきた。グリルで焼いている間に大根おろしを作っていると、スマホが着信を告げる。悠さんだ。
「はい。もう家にいるよ」
「悪い、今日遅くなる」
「え、もう秋刀魚焼き始めちゃった。仕事、大変なのね?」
「…母親に捕まった」
息を呑む音は、彼に聞こえてしまっただろうか。
「話を避けてもしょうがないから、行ってくるよ。秋刀魚、帰ったら食べるから取っといて」
無理に笑っている時の声だ。でも彼のお母さんについては、私に出来ることは多分無い。
「分かりました。遅くなりそう?」
「多分な」
気をつけて、とだけ告げて電話を切った。順調にグリルの中で焼き上がっていく秋刀魚。これを悠さんと平和に食べられると思っていたのに。平和な夜を過ごせると思っていたのに。でも、問題から逃げていては本当の平和はきっと訪れない。彼は私との未来の為に戦ってくれている。私に出来ることは、ただ信じて待つことだけだ。
悠さんが帰ってきたのは、日付が変わる直前だった。
「お帰りなさい」
言葉も無く目だけで返事をした彼は、玄関で出迎えた私をきつく抱き締めた。
「悠さん…?」
「このままで…暫く動かないで」
煙草とシトラスと汗の匂いに包まれて、私は背中に腕を回した。