隧道と防衛戦 3 - ゴンゴス
影達は始めはゆっくりとした足取りで進んできていたが、大分近づいてからこちらの存在に気が付いたようだ。こちらへ進む足取りが速くなってきた。
思いの外、視覚や聴覚、嗅覚はあまり鋭くないようだ。我々と違って闇視を持っているわけでもないようだ。
「神殿長。我々に祝福を!」
「ええ」
儂の呼びかけに応えて神殿長は小さく呪文を唱え始める――いや、それは呪文というよりも神様へのお祈りのようだ。
首やローブから垂らしていた魔力石が3つほど弾けて砂に変わり、そして魔法が発現する。
『メガ・ビニフィーチャ(大祝福)』
神殿長のよく通る声が隧道内を走り抜ける。
それと共に、淡く光る霧のようなモノが広がっていき、霧が通り過ぎた後は、隧道内とは思えない程に澄んだ空気が広がった。
そして、前線の兵士達と儂らの身体を薄い光の膜が覆った。
魔法を掛けた相手の運動能力の向上、身体の強靱さ、五感の強化、免疫力治癒力の向上など幅広い強化がされる支援系の魔法が『ビニフィーチャ(祝福)』だ。『メガ・ビニフィーチャ(大祝福)』はこれを単体にではなく範囲に対して効果を及ぼすことが可能な上位魔法だ。
また、『保護』の加護持ちの神殿長が唱えた場合は、その有効範囲は軽く部隊全体に広がり、その効果も通常よりも2,3割増しになるらしい。ただし神殿長以外の使い手に会ったことが無いので、実際に3割増しかどうかはわからない。
しかし効果が絶大なのは間違いない。これで純粋に戦力が倍になったと言っても過言ではない。
「将軍、効果延長も混ぜて発動させました。私がこの場に居る限り、半日は効果は持ちます」
「祝福、感謝致します!」
なるほど。魔力石を砕いてまで唱えたのはそういうわけだったか。
「皆の者!神殿長による闇の女神テネブリスからの祝福だ!祝福を受けた者に敗北は許されん!粉骨砕身、各自持ち場を死守しろ!!」
おぉぉぉぉ!!!!
兵士達の歓声があがる。
気持ちだけじゃなく、実際に身体能力の向上を感じられているはずだ。それは始めて世界敵と相対した兵士達の心を落ち着かせるにも十分の効果があるだろう。
闇に溶け込むような漆黒の怪物が、波のように押し寄せてきている。その数は数百、いや数千にも達するだろうか……彼らは異形の姿を持ち、牙と爪を剥き出しにして、狂戦士のように突進してくるが、祝福を受けて精神も強化された兵士達は、恐怖に恐慌する事も無く、一糸乱れず隊列を維持している。
そしてついに世界敵の先頭が狂戦士のようになりふり構わずこちらの陣にぶつかってきた。
しかし祝福を受けた盾の壁は世界敵達の猛攻をやすやすと跳ね返す。槍兵たちは盾の隙間から槍を突き出し、足の止まった世界敵を1体ずつ串刺しにしていく。
激しい戦闘が続く中、盾兵たちは必死に盾を支え続ける。盾にめり込む敵の牙や爪、盾を乗り越えようとする世界敵。それに槍と突き刺し、剣を振り下ろし、魔法をぶつける兵士達。
そして、盾に飛び散る世界敵の肉体を構成する黒い何か――
地獄絵図のような戦場が目の前ではじまった。
戦闘開始から10分ほどだろうか。
「うわぁぁ!?」
兵士達の怯えの声のした方へ振りかえると、そこには兵士が構えた盾の上に器用に乗った世界敵が2匹いた。
それは一言で言えば、全身黒く短い毛で覆われた猿のような姿をしており、唯一目と口だけが確認できる。しかし眼球も口内も黒い為にそれは窪みぐらいしか見えない。目と口があると思われる場所にある窪みだ。
猿型の世界敵は盾に飛び乗った勢いで、持ち手の兵士を蹴り飛ばして隊列の内側へと降り立った。
これはマズイ!
一度崩れだした陣形は大変脆い。これは古今東西どの軍隊にも言えることだ。
儂はすぐに腰の剣を握るが、それより早く世界敵に飛びかかったのは―――姫様だった。
魔法で強化したであろう脚力は相当のもので二足で間合いを詰めて、最後の一足と同時に鞘に収まったコテツの抜刀による一閃。
2匹いた世界敵は共に一刃で二つに両断されていた。
そう言えば、姫様の振るう真剣を初めて見た。
ご領主様からは『ユークリッドは天性の剣才がある』と常々言われていたが…………あの親馬鹿ぶりゆえに、正直なところ話半分ぐらいで聞き流している節があった。
しかし大変申し訳ありませんでした、ご領主様。
仰る通りです。姫様は確かに剣才をお持ちです。しかも剣を握り始めて二月程で、これだけ綺麗な太刀筋を魅せるのは並の才能ではありません。
本当に申し訳ありませんでした……次話す機会があれば、ちゃんと真面目に聞くように致します。
姫様の鋭い一閃で両断された世界敵の体は、霧のように四散していく。
あれが普通の生物とは異なる異形のモノ達を倒した証であり、世界敵とはそういうものなのだ。
四散した後の世界敵がどうなるのかは誰も知らない。
「怪我はありませんか?」
姫様が蹴られて腰をついて倒れていた紅い血の兵士に手を差し伸べる。
「え…………あ、よよ、よろしいのですか?」
「うん?うん」
「は、はい!」
一瞬、何故手を差し伸べられたのか分からなかった兵士の男は、何を求めているのか理解したのか、慌てて手の平をゴシゴシとズボンで拭き始めた。
ゴシゴシ……ゴシゴシ……
気持ちはとても分かる。よく分かるがさっさと起こしてもらうか、自分で起きろ。
どうせ手を拭いている軍服も砂土まみれで清潔とは言えないだろうに、しばらく手を拭いてから恐る恐る手を差し出す兵士。
「ひ…姫様…い、失礼します!」
「うん。もう大丈夫?…っとと」
散々手を擦っていた兵士がようやく姫様の手を取った。
思ったよりも勢いよく捕まれて、姫様はちょっとビックリした様子だが、すぐに兵士を引き起こした。
な、なんと………。
まさか…姫様が……。
おぉぉぉ……。
姫様に手を引いて起こしてもらっただけで周囲からはどよめきとも喝采とも取れる声が広まる。
気持ちは分かるし、仕方あるまい。
姫様と――いやそもそも蒼い血の方と手を触れられたという事自体が普通はあり得ない。勿論、先程のように助けに入る様なことも無い。
姫様の側にいると、その当たり前を忘れてしまいそうになる。
横に居るバルア様を盗み見ると、姫様の全ての行動に驚いているのか、今の光景に言葉が無いようだ。まさに絶句という表情だ。
これが普通の蒼い血の方々の反応だ。
兵士達は姫様が自分達の後ろにいる事を再認識したのか、先程のように世界敵を抜けさせるような事は決してさせてはいけない。と、異様に士気が上がっている。
これは丁度良い。
「姫様はそのまま右翼をお願いします!」
「分かりました!」
「バルア様は左翼をお願い致します」
「あ、ああ。承知だ」
「神殿長は後方より全体の支援の継続を!」
「わかりました」
儂はこのまま中央を担当する。
「皆の者!姫様も言われたように、交代要員はいる!限界まで戦おうとせず、余力を残して代われ!戦いはこの一当てだけでは終わらんぞ!!」
おぉぉぉぉ!!!!
姫様のお陰もあって士気は良好だ。世界敵は個体としてはそこまで脅威では無い。紅い血の者でも訓練された兵士ならば2、3名で1体を抑える事は容易い。稀に強力な個体もいるが、かれらの最大の武器は基本的にその数なのだ。それを抑えるためにアカツキ隧道内の特に狭い箇所を戦場に選んでいる。これで数の優位性は失わせている。
これならば2日ぐらいは交代で戦い続けられるだろう。しかしその後をどうするかも考えておかねばならない。
時を見て、姫様と相談か……
……そう言えば、深く考えずに姫様に『右翼』と伝えたが、ちゃんと伝わったようだ。元紅い血である姫様に知識があったとは思えなかったが、日頃から剣や魔法だけでなく戦術も勉強されているのだろうか?




