拒否と理由 1 - グラヴィス
微かに虫の音がする静かな夜。
部屋の中ではその虫の音よりも少し大きなペンを走らせる音が鳴っています。
私の前にはユークリッドと、最近増えた2名のあわせて3人の生徒達がそれぞれの課題に向き合っているところです。
ナルくんとミカちゃんは共通語の書き取りです。
魔法の練習も大事ですが、知識を深める上で書物を読めるというのは重要な事です。しばらくは勉強時間の半分を魔法の実技、半分を文字の勉強に充てる予定です。
対して、ユークリッドは何故か教える前から読み書きがバッチリでした。
紅い血から覚醒した直後でも本や新聞に目を通していたそうですが、紅い血の頃の彼女の生活状況は産みの親のエバンさまから伺っています。とても文字の読み書きを勉強する機会など無かったはずです。
とても不思議ですが、本人は覚醒したら皆そうなのだと思っている節があり、殆ど気にしていないようです。
とりあえず理由はともかく読み書きに問題は無いので、魔法の実技だけでも良いのですが、ナルくんとミカちゃんが文字の勉強をしている時は、自分も実技は止めて本を読んだりしたいという本人の希望により、今は読書の時間にしています。
今も本を開き、食い入るように読んでいるように見えるユークリッドですが――
……。
読書するユークリッドの顔を横から伺ってみます。
あ~……これは集中しているように見えて全然読んでいませんね。他の事を考えてしまっています。
「ユークリッド?」
「……え?」
ユークリッドがようやく顔をあげました。
吸い込まれるような漆黒の瞳に私の顔が映っています。黒髪と一緒で本当に綺麗な瞳ですね。映り込んでいる私の顔が邪魔なぐらいです。
「…どうしたの?先生」
「どうしたの?ではありません」
私は腰に手をやり、ちょっと怒った顔をしてみせる。本気で怒っているわけではなくフリなだけですけど。
当然、聡いユークリッドはそんな事は分かっているでしょう。
ちょっと気まずそうな顔で微笑み返します。駄目ですよ。誤魔化そうとしても。
「…それで?」
「え?」
「何が気になって勉強に身が入らないのですか?あ、ナルくんとミカちゃんはそのまま続けてくださいな」
どうしたのだろう?と、こちらを見ていた2人に続きをやるように促します。
2人とも『はい』と返事をして書き取りを再開しました。2人とも素直で本当に良い子ですね。
再びユークリッドの方に視線を戻すと、彼女は素知らぬ顔で読書を再開しています。
「ゆーくりっど」
私は彼女の本を取り上げてちょっと睨みます。
「あ、あはは……」
「ユークリッド、私は真面目な話をしているのです。悩んでいる事、話してくれませんか?友人として相談に乗れるかも知れませんし。そして何より私はこれでもユークリッドのお義母さんになる予定の者ですからね。娘の事を心配に思うのは当然です」
なんちゃって。
「お義母さん?」
しかしユークリッドは少し思案顔です。
「…………確かに。そうですよね。うん、分かりました。話します」
あ、あれ?後半部分は半分冗談で言ったのですが、予想外にも肯定されちゃいました。
なんだかイタズラしても気づいてもらえなかった、ちょっと寂しい気分ですね。
……お義母さんと思われたのも存外悪くない気持ちですけど――
お義母さんですか……。
「…グラヴィス、もしかしてお義母さんって呼ばれてちょっと嬉しい?」
ユークリッドがニヤリと悪い笑みを浮かべています。本当に聡い子です。逆に私を揶揄うなんて。
「はいはい、とても嬉しいですよ。それよりも悩み事というのは?」
「あ、うん…………えっと…さっきの夕食の時の話なのだけど――」
そう言ってユークリッドが夕食の時のフォーティス様とユークリッドのやり取りを説明してくれました。
その内容はミリリバンとハリスハンの争いに関する処置についての話だった。
「――先日のミリリバンとハリスハンの争いに関して、国王陛下が大変危惧されているそうです。ミリリバン、ハリスハンの両領主を呼び出して、御前で事情聴取を行う事になったそうなのですけど、その際に中立の立場、アブザーバーとしてお義父様も招集を受けたのは知っていますか?」
「はい。詳細は聞いていませんが、明日には都に向けてたたれるとのことでしたね。不在の間、ユークリッドを頼むと先程言われたばかりです」
「その都からの招集に私も同行したいと言いました………そうしたらお義父様から厳しく叱られました。絶対に連れて行かないと……」
「叱られた――のですか?」
「……はい。お義父様に叱られたのは初めてで……少しビックリしました。
でも、何故あんなに怒られたのか分からなくて……」
なるほど。それはフォーティス様も気が気ではなかったでしょうね。
少し思案顔になっていたようです。そんな私の変化を察してユークリッドの黒瞳が私を見ていました。
「もしかしてグラヴィスには怒った理由が分かっているの?」
「ん……」
伝えて良いものかと少し躊躇しますが、ユークリッドは領主の娘という立場です。この先、知らない方が何かと危険でしょう。
それにフォーティス様よりも私の方が上手く伝えられるであろう内容です。
「グラヴィス!」
ユークリッドが食い入るように迫ってきます。こういう必死な表情は珍しい――というよりも初めて見たかもしれませんね。
「ふふふ、そんなにフォーティス様には怒られたくないですか?」
「グラヴィス、私は真面目です」
明らかに不機嫌そうに口をへの字に曲げる。
「ああ………ごめんなさい。流石に巫山戯すぎですね……
分かりました。おそらくですが、フォーティス様の機嫌が悪くなった理由は教えてあげられると思います。ただ、その前にフォーティス様は別にユークリッドを叱ったわけではありません。危機感を感じてつい言葉が荒くなってしまっただけです。それは勘違いしないであげてください」
ユークリッドはいまいち腑に落ちない表情ですが、とりあえず『分かりました』と肯きます。
「それでは、本題に入る前に少しだけ昔の話から――」
話が長くなるので、私はユークリッドの向かいの席に腰を下ろします。
気がつけばナルくんとミカちゃんも私の話を聞く姿勢になっています。
隣でこんな話をしている中で文字の練習に集中しろというのは酷ですし、この2人なら聞かれて構わないでしょう。




