ハリスハンとミリリバン 3 - ユークリッド
太古の昔、魔法によってくり抜かれたと言われているアカツキ隧道は馬車を使って移動しても通り抜けるのに数刻が掛かる長大なトンネルです。
ナイトウォーカー種にはあまり必要ありませんが、他の魔人種も利用する街道のため、隧道の壁には等間隔に街灯が設置されています。その灯りが前から後ろへ流れていく様を見るに、馬車はちゃんと前に進んでいることが分かります。
そんな代わり映えのしない風景がかなりの時間続いていましたが、ようやく前方に街灯の灯りではない明かりが見えてきました。
おそらくクラウサ盆地とは反対側の出入り口でしょう。
予想通り、それは隧道の出口であり、そこ抜けた馬車の小窓には天上から満天の月明かりが降り注いできました。
「隧道を抜けたようだな」
お義父様がそう呟くと、それを待っていたかのように馬車が停まりました。
「ご領主様」
馬車の外からゴンゴス将軍の声が聞こえます。
「街道の先にハリスハン、ミリリバン、両領の軍勢が展開しているしているのを確認しました」
「分かった。早々に会談の場を準備すると両者に伝えろ」
「はっ!」
将軍の指示の元、後ろからついてきていた馬車達が私達の馬車を追い抜いていくのがわかります。
後続の馬車に会談のための天幕や椅子を積んでいました。それを下ろして設置していくのでしょう。
「両者を待たせてしまいましたね」
「そうだな。結果的にはな」
「結果的…ですか?」
「ああ、報告にあったのだが、既に昨日の内から両領とも兵を動かしていたらしい」
「あれ?約束は今夜でしたよね?何故ですか?」
「まあおそらくだが、相手の軍の動きが鈍いようなら、軍を進めて有利な状況を作ろうとしたのではないかな。もしくはそうさせまいと予め軍を展開していたか……」
なるほど。そうだったのですね。既に駆け引きが始まっているようです。
「何れにしても予定よりも早く着陣したのは向こうの方だ。気にすることは無い」
そういうものでしょうか。
先行して進んだ兵士さん達が準備してくれたため、私達が会談の場に到着する頃には大きな天幕が貼られていて、簡易の椅子も並べられていました。
大きな天幕の両端にはミリリバンとハリスハン両陣営の代表者が座っており、丁度間の辺りに私達クラウサが席を置く形です。
私達ナイトウォーカー種には必要ないですが、他の種族のために天幕の周囲は篝火もたくさん焚いています。この辺り一帯だけ夕暮れ時ぐらいの明るさになっています。
天幕両端に陣取るミリリバンとハリスハンのそれぞれの陣営の中央に、一段立派な椅子に座っている男性が双方の領主様なのでしょう。
お義父様にミリリバンの領主とはあまり目を合わせるなと言われましたが………アレを無視して見るなというのは無理です。
ミリリバン卿は細身の長身で、ロングの綺麗な金髪を肩に掛かるぐらいまで伸ばしている、少し軟派な印象を受ける中年――まではいかない妙齢の男性です。
金属を扱うのが得意なゴールドリッチという魔人種だったと記憶します。その所為でしょうか、首回りや手の甲の部分の皮膚が金属のような光沢を放っています。ただそれ以外は普通の人、本人の容姿には特段珍しい部分はありません。
しかし、そんな彼の周囲が異彩を放ってます。
女性としての丸みやくびれといった特徴を十全に強調したスタイルの成人女性もいれば、私と大差ない年頃の凹凸少ない未成熟な女の子まで、紅い血の若い女性4人を左右に侍らせているのです。
椅子に座るミリリバン卿は、そのうち2人を自分の両太腿に腰掛けさせて抱き寄せています。残り2人はそんな彼の腕により掛かっています。
そしてその女性たちの衣服がまた凄いです。
ほぼ隠す機能が働いていない透けた一枚布を羽織っているのみです。あれでは離れた場所からでも乳首や陰部を確認できてしまいます。私の就寝時に愛用しているネグリジェよりも透けています。
さらに、何よりもそのミリリバン卿が向けてくる視線が気になってしょうがないです。
ここに3領主が集結してからというもの……ずっと私を見ています。
最初は驚きの表情だったのが、
次は呆けた感じとなり、
今は隠そうともせずに、舌舐めずりしながら粘着質な視線を私の全身に遠慮無く浴びせてきます。
こんな状況にも関わらず、誰もこれを指摘する事も、気にしている様子もないのは、ミリリバン卿はこれが普通の状態なのでしょうか?
まだ見てます……お願いですから、あっちを向いて下さい。
私の不快な気分を察してくれたのか、お義父様が少し動いて、ミリリバン卿の粘着質な視線を遮ってくれました。
いつも背中を洗うのが大変だと愚痴ってばかりでしたが、今だけはお義父様の体の大きさに大感謝です。今だけは間違いなく大好きですよ、お義父様。
しかし今度はそれと違う視線を感じます。
反対側のハリスハンの領主からも何やら視線を感じます。
ハリスハン卿は鈍い銀色の髪をざんばらに伸ばして、肌も褐色、中肉中背ながら引き締まった身体をしているのは服の上からでも分かるミリリバン卿とは色々と真反対な壮年の男性です。
こちらはノーザンウルフという魔人種で、身体能力がとても高いのが特徴です。そして皆、その身体に動物のような特徴を持っています。ハリスハン卿の場合は、濃い銀色の頭髪だけでなく、顔の周りから肩に掛けて獅子の鬣のようなものが生えています。その銀髪とは対照的に色黒の肌をしており、一層引き締まった印象を与えています。獣の王様にふさわしい威風堂々とした容姿です。
そういえば、色黒の肌はナイトウォーカー種ではあまり見かけないですね。日に当たる機会が少ないからでしょうか?
どうしても軽薄な印象を受けてしまうミリリバン卿とは違い、こちらはいかにも武人風の厳格な領主然としてます。しかし私に向けられるその視線は……まるで珍品を見つけた子供のようにキラキラ……いえ、どちらかというとギラギラしてます。
前言撤回。あんな目をした子供はいませんね。いたら嫌です。
こちらからの視線も出来れば避けたいところですが、流石にお義父様の身体はそこまで広くはありません。少し離れて控える巨漢のゴンゴス将軍が真横に居てくれればバッチリなのですが……仕方ないです。
ミリリバン卿からのナメクジが身体を這い回るような視線に比べれば遙かにマシです。
話が始まるまで我慢しましょう。
お義父様の背中が大きく膨らみます。
「2領の両領主殿。私の召集に応じて頂き感謝する」
お義父様のよく通る声が月明かりと篝火で明るくなった夜の草原に響きます。
ハリスハン卿は大きく肯いて応えます。
「なぁに、若くして武名の誉も高く、地域の安寧に心砕いているクラウサ卿の頼みならば、無下には断る事などできましょうか――」
「ふん……よく言う」
ミリリバン卿が鼻で笑っていますが、ハリスハン卿は無視して台詞を続けます。
「――ところでクラウサ卿。
前回とこうやって集まった時とはお互い顔ぶれは殆ど変わりませんが、1人ほど前回にはいなかった方がいるようですが、是非紹介いただきたいものですな」
うわぁ……絶対私の事ですよね。そっとしておいてくれればいいのに。
「勿論。ユークリッド」
「はい」
お義父様に言われれば、挨拶しないわけにはいきません。
2歩前に出て、双方から見える位置に立ちます。
視線が不快だけど、お義父様に恥をかかせるわけにはいきませんから我慢です。
今はお姫様としてというより、お義父様の補佐として武官扱いでここにいるので、軍人の挨拶が望ましいはずです。
右拳を握り左胸に当てます。
コン
白銀のブレストメイルが返す、軽い小さな金属音が心地よく、心が落ち着きます。
「皆様、初めてお目に掛かります。私はユークリッド・ル・クラウサ。領主フォーティス・ル・クラウサの養女として、クラウサ家の末席に加えていただいたものです。以後、お見知りおきください」
その姿勢のまま、正面に向かって頭を軽く下げます。
ハリスハンもミリリバンも誰もいない方向ですがこれで正解です。
先にハリスハンに向かって礼をすれば、ミリリバンに角が立ち、ミリリバンから礼をすれば、ハリスハンに角が立つ―――面倒な事です。
お義父様もそれが分かっていて挨拶の呼びかけは『2領の両領主殿』だったのです。どちらを優先して呼ぶような事がないように注意した結果でした。




