教育現場と姫様 2 - タリブネ・アウリ
えっと………これは…どういうことだろうか。
礼拝堂の一角にカーペットを引き、その上でカードゲームに興じる子供達がいる。
その中心に姫様がいた。
勿論、この場所に案内したのは自分なのだから居て当然なのだが、その床に座る姫様の周りにはたくさんの子供達が集まってきて、一緒にゲームをしている。しかも子供達は恐る恐るというよりも、とても親密に懐いていて、中には姫様に抱きついている女の子もいる。
笑顔が絶えない子供達と同様に、姫様の顔にも笑みが浮かんでいる。
自分達よりも少しだけ年上の綺麗で優しいお姫様に、子供達は完全に夢中なようだ。
しかし周囲でそれを見守っている大人達はそうはいかない。
自分の子供が何か粗相を犯さないか――というより、粗相を犯しているのではないかと生きた心地がしないだろう。だが、あの姫様の笑顔を見ていたら、下手に止める訳にもいかずオロオロしている。
姫様の傍に立つグレー髪の紅い血の女性使用人も微笑んで見守っているのを見るに、口を出さないのならばこれは許容範囲なのだろうか。
姫様の隣に寄り添うように座っていた女の子が姫様を見ながら不思議そうに口を開いた。
「姫様、なんだか不思議な匂いがする」
「え……そうですか。お風呂には入っているのですけど…」
姫様が慌てて手先、胸元の臭いを嗅ぎ出した。何て恐ろしい事を言う子なのだ……。
「ちがうよ。とっても良い匂い!」
別の子が横からとても良いフォローをした。
「そうそう。すごく良い匂い!」
「ああ、そういう事ですか。良かったです。ありがとうございます。これは若葉の匂いを模した香水で、匂いがキツくないので、私のお気に入りなのです」
さらに別の女の子が姫様の顔を覗き込むように言う。
「良い匂いだし、顔も手もすごく白くて綺麗。おひめさまみたい」
「バカだなぁ~姫様なんだからおひめさまみたいで当たり前じゃん」
「あーバカって言った!」
「バカなんだからしょうがないじゃん」
「だからバカって言っちゃいけないんだよ!」
た、頼むから姫様を挟んで喧嘩なんて止めてくれ。
………痛っっ……腹が痛い…
肝心の姫様は、とくに不満を感じているようには見えないのが救いだ。口喧嘩する子供達を微笑みながら宥めている。
「確かに人にバカと言ってはいけませんね。でもそれを注意する時でも、もう少し優しく注意してあげてください」
『は~い』
言い合いを始めていた子供達が素直に返事する。それに対して満面の笑みで『良い子です』と言いながら頭を撫でている姫様。それを周囲の子供達は羨ましそうに眺めている。
「さて、続きをしましょうか。次は誰の番でしたっけ?」
「ひめさまだよ~」
複数の子供達が声を合わせる。
「あ、もう私でしたか。それでは――」
姫様が床に並べられているカードに真剣な眼差しを向ける。
「これと――これです」
選んだカードは『カラス』と『子犬』の2枚。
このカードゲームの名前は『仲間捜し』。2枚のカードを選び、それがどういった関係があるかをみんなに説明する。それが皆が納得いく関係だったならばいずれかのカードを1枚貰えて得点になる。
どれだけみんなが納得する組み合わせを選ぶかと、場に戻すカードをどちらにするか、この2点が重要になるゲームだ。
「これで……生き物……というのはダメでしょうか?」
「う~ん…」
子供達が皆、難しい顔をしている。間違ってはいないが、くくりが広すぎるのだ。
結局、半数以上の賛同を得られず姫様の選択は失敗に終わった。
「ふふふ、なかなか難しいですね」
勿論、姫様はわざと間違えたのだ。
先程から見ているが、成功と失敗を交互に繰り返している。姫様からすればいたって簡単なゲームのはずだ。成功ばかりして当然のところだが、わざと半分失敗している。成功ばかりでは子供達が飽きてしまうからだろう。
それに対して、失敗ばかりでもそれはそれで手加減していることが何となく分かってしまい、子供達も面白くないだろう。
そんな絶妙な匙加減を姫様は行っていた。
………あの蒼い血である姫様がだ。
そもそも気位の高い蒼い血の方がわざと失敗して、紅い血の者を楽しませる。という発想をするはずがない。
……するはずがないのだが……目の前の蒼い血の姫様はそれをしていた。
「ひめさま!『カラス』はね、これと一緒だよ!」
隣の少年が姫様の戻した『カラス』と一緒にあげたカードは――『木炭』?
「ん?……あ~もしかして、真っ黒だからですか?」
「うん!」
「なるほど。それは柔軟な発想ですね」
素で感心しているように見える。
「じゅ…じゅうなん…?」
「あ…えっと……とても頭が良いですね。という意味です」
「ひめさま!僕、頭良い?」
「ええ。とても」
「やったぁ~♪」
姫様に褒められて飛び上がって喜ぶ少年と、それを再び羨ましそうに周囲の子供が見ている。
姫様に褒められているのが羨ましいのか、次の子も次の子も姫様に褒めてもらおうと殺到してゲームどころではなくなってきた。
それでも姫様は1人1人丁寧に話を聞いて褒めて回っていた。
「ねぇ、おばちゃん」
その集団から抜け出た1人の子供が、姫様の後ろに控えるグレー髪のメイドの服の裾を引っ張っている。
「は、はい。何でしょうか?」
ちょっと驚きながらも、腰を折って視線を子供と合わせる。子供の扱いに慣れていると感じた。
「んと…のど、かわいた」
「あ、そうですね。みんな、喋り続けていますからね。
母様、何か飲み物を準備してもらえませんか?」
姫様は子供達に半分もみくちゃにされながらもメイドに指示を出す。
「はい。畏まりました」
グレー髪のメイドは綺麗にお辞儀をすると、夕飯を作っているグループの方に歩いて行く。
しかしそんな事よりも遙かに気になる発言があったぞ。
「かあさま?……おかあさんってこと?」
私と全く同じ疑問を抱いた少女が姫様に問う。
「はい。彼女は私の母親で、エバンといいます」
「エバンおばちゃん?」
「はい。私にとってはエバン母様です」
使用人の事を紹介するのがそんなに嬉しいのか、姫様は満面の笑みを浮かべている。
「ひめさまのおかあさんなら、じょおうさまなの?」
「え……」
一転、姫様が困ったように苦笑いした。これはあまり聞いてはいけない類いの質問だったのかもしれない………いや、どう考えても聞いてはいけないだろう。
「ちがうの?」
「えっと…女王様ではありません。でも何て説明すれば良いのでしょうか………母親ではあるのですけど、クラウサの家の中では母親ではないのです。別の方が家では母親、というか母親候補というか――」
質問した女の子は首を傾げている。
まあ、当然だろう。私や周りの大人は察したが、5,6歳の子供が理解できる話ではない。
「じゃあ、ひまさまには2人のおかあさんがいるの?」
だぁぁ!!確信を突くな!!
「あ~……はい。そうですね。その表現が一番簡潔――一番わかりやすい説明ですね」
姫様はとくに激しい感情も困った様子も見せずに、感心した様子で女の子の問いに肯定を示した。
「もう1人の母親も母様に負けないぐらい立派で大好きな方ですが、エバン母様はその方に負けないぐらいに立派で、すごい人なのです。お慕いしているし、尊敬もしております」
姫様のもう一人の母親というのは―――予定なのだろうが、領主様の妃候補である神殿長の事のはずだ。
と言うことは、あの神殿長よりも凄い者。しかも紅い血の者だと?あのメイドが?……想像がつかん。
「お嬢様。冗談はそれぐらいにしておいて下さい」
いつの間にか大量のコップを載せたお盆を持ったグレー髪のメイド――エバンといったか。エバンが姫様の後ろに立っていた。
「みなさん、飲み物をいただいてきました」
そう言って子供達にコップを配り始めたエバン。そんな彼女の後ろにはさらに手伝いの親御さんが3人。同じようにお盆に載ったコップを配り始める。
「冗談では無いです。母様の事は尊敬していますし、とても大事な人だとも思っています」
「わ、私など……尊敬していただくような事など何も……」
俯き加減にメイドが呟いたことに、姫様が何か言おうとするが、それを周りの子供達が再び邪魔をする。
「じゃあ!じゃあ!エバンおばちゃんはもう一人のおかあさんをころしちゃうんだね」
ぶぅぅぅぅぅぅ!!?
「こ、ころすですか?」
「うん。だって、かあちゃんが言ってたもん。とうちゃんにべつの女のひとがくっついたら、ころしてやるって!」
あぁ……頼む。誰か。誰でもいいからあのクソガキを黙らせてくれ。
「…ぷっ」
しかし姫様の反応は私の斜め上をいっていた。
「……ぷふふ……あはははは!グラヴィスと母様がお義父様を巡ってケンカ……それって……くふふふ……だめ。想像しただけでだめです。あははは!」
爆笑である。
最初は口を押さえていたが、すぐに我慢できずに楽しそうに笑い出した。
「お、お嬢様!?」
対象の一人、母様ことエバンが困った顔で姫様を見ている。
流石に母親とは言え、紅い血の者だ。蒼い血である娘を叱ったりは出来ないようだ。
「あははは……くぷぷ……はぁはぁ……ごめんなさい、母様、想像したら面白くて――」
「とても楽しそうですね。何が面白いのですか?」
もう一人の相手。グラヴィス神殿長が笑い声に釣られていらっしゃった。
あぁ……いかん。また腹がキリキリと痛くなってきた……
しかし私の思いとは対照的に、神殿内の空気が少し浮ついたものになったのを感じる。
子供達は知らないだろうが、大人達は当然ながら姫様が言われた2人の母親が誰かは感づいている。保護者の大人達が遠巻きだが、そんな神殿長とエバンの事を注目している――とても好奇な視線で。
お前達!井戸端会議ではないのだ!!頼むからそんな目で神殿長を見るんじゃない!!
そんなささくれた私の心と真反対に、姫様は珠が転がる様な上機嫌な声で、何を笑っていたのかを説明しだした。
「へぇ〜……そうすると私とエバンさまが恋敵というお話しかしら?」
「そうです。そうなんです♪」
「お、お嬢様!?そうではなくて!ち、違うのです。グラヴィス様、子供の言った事で、決して事実と言うわけでは――」
「あら?
それではエバンさまはフォーティス様の事は実際はどう思っているのかしら?」
「グラヴィス様……」
エバンが今にも泣きそうな声で神殿長の名前を呼ぶ。
その時、私は見てしまった。神殿長の表情が今まで見た事のない怪しい笑みを浮かべている事に……。
「別に、憎からくは思ってないですよね?」
「も、もちろんです!ユークリッド様はともかく、私などを使用人として雇っていただいているのです。感謝こそすれど、憎いなど決して――」
「じゃあ結構好きだったりします?」
「っ―――」
エバンが何か口にしそうになって慌てて噤んだ。
互いに知っている間柄なのだろうが、相手は蒼い血の方。反論するなど許されるはずがない。
「ねぇ、どうなのですか?エバンさま?」
「ぐ、グラヴィス様………これ以上はお許しください」
エバンが頭を垂れるように許しを請う言葉を口にしたことで、姫様が跳ね起きるように立ち上がって2人の間に割って入ります。
「グラヴィス。母様を虐めないで下さい」
「ふふふ、虐めてるだなんて、そんな事してませんよ。だって――」
そう言って神殿長は姫様の脇をスッと通り過ぎると、何と紅い血の者であるエバンに寄り添うように軽く抱きついたのだ。
「――エバンさまと私は、とても仲良しなのですから」
周囲がざわめく。
普段、神殿長が喋っている間は静粛にするのが当然なのだが、今はそれどころではない。蒼い血の方が、紅い血の者に仲良しだと身体を擦り寄せているのだ。そんなあり得ない光景に静かになどしてられない。
「おばちゃんと神殿長様はお友達なの?」
事の重大さがまだよく分からない子供が不思議そうに疑問を口にする。それに呆然と固まっているエバンに代わって、神殿長が答える。
「そうですね。友人と言えなくもありませんが……歳の差を考えますと、母親の様な存在でしょうか」
さらにざわめく。
その発言に一番初めに反応したのは流石に当人であるエバンだった。
「ぐ、グラヴィス様!?本当にお、お巫山戯はおやめ下さい……在らぬ噂が立ちます」
「ふふふ……お巫山戯ではありませんよ?だって私は常々ユークリッド様が羨ましいと思っていましたから」
「え?私がですか?」
突然話を振られた姫様が少し驚いて聞き返す。
「ええ。こんなに優しくて、ただひたすらに自分を愛して、心配してくれる母親が居る事が、とても羨ましいです……私にはもう両親が居ませんから…」
「あ……」
「グラヴィス様……」
神殿長のその言葉に場の空気が静まる。姫様やエバンだけでなく、子供達ですら周りの大人の雰囲気を感じてか、メイドと神殿長の2人の事を不安そうに交互に見上げている。
「え…えっと……」
エバンがどう答えれば良いのか困惑している様子だが、その姿を見て神殿長の表情が崩れる。
「ふふふ……すみません、冗談。冗談です」
「じょ…冗談?」
「はい。申し訳ありません。確かに巫山戯すぎたかもしれません。ちょっと雰囲気がそれぽかったので、悪ふざけで話を作ってしまいました」
神殿長の微笑みで一気に場の空気が和らぐ。
「両親が亡くなっているのは知っての通りですが、既に何年も前の事です。さみしがる歳でもありませんので」
「そ、そうですか………よかったです……あ」
しまった。という様子で慌てて自分の口を塞ぐエバンだが――
「よかった?」
「あ……いえ……その…も、申し訳ありません」
「うん?それってどういう意味ですか?」
「そ、その…変な意味ではなく……」
「エバンさま?」
蒼い血の神殿長に促されては応えないわけにはいかない。メイドが重そうに口を開く。
「その………私、常々少し心配していたのです」
「もしかして、私を。ですか?」
「はい。グラヴィス様はお嬢様と変わらないぐらいにまだお若いのに、大変なお勤めをしつつ、お嬢様の勉強も見ております。しかもご両親は早くから亡くなられたと聞いていましたので、今の話を聞いて、一瞬本当に淋しくされているのかと………あぁ、私如きが心配する事自体が身分不相応でした………えっと」
エバンが上手く言葉が纏まらないのか、言葉を濁して苦笑いを浮かべる。
「……その…何を言ってるのでしょうか私は……要するに……グラヴィス様が寂しい思いをしている訳ではないと分かったので……安心したら、つい余計な事を溢してしまいました」
騙されていた事など僅かも気に掛けず、心底安堵した様子のエバン。
大変失礼いたしました。と言って深くお辞儀をして、頭を上げるエバン。そんな彼女に神殿長が無言でそっと抱きつきました。
「え?……あれ?…あ、あの…」
「……」
エバンの方が神殿長よりも僅かに背が高い。エバンの肩あたりにおでこを乗せる形で、軽く抱擁する。
狼狽しているエバンを他所に、それはしばらく続いた。
「……もう少しだけ」
「グラヴィス様……」
エバンはかなり躊躇しながらも、その両手で軽く神殿長の肩を抱きしめた。
しばらくそんな状態が続いたのち、神殿長が小さく呟いた。
「……前言撤回です」
「え?」
「先程のは撤回します。偶にで良いので母親になって下さい」
「え?……えぇ!?そ、それはどういうことでしょうか?グラヴィス様」
「言葉の通りです……私もたまには甘える相手が欲しいのです」
「しかし…私は紅い血の者なのですが――」
「ふふふ、私がそんな事を気にする者に見えますか?」
「……い、いえ」
ここでようやく神殿長はエバンから少し離れる。
「では呼び方はどうしましょうか」
「呼び名ですか…」
「はい……そうですねぇ………ユークリッド様を真似て、お義母様というのはどうでしょうか?」
「ご、ご冗談を――」
「ふふふ、今度は冗談ではありませんよ」
「え………え?え?え?」
どう返事すればよいのか大変困った様子のエバンと、そんな彼女の手を取り少しはにかみながらも微笑み返している神殿長―――
こんな光景は見たことが無い………。
「じ、次長?どうしましたか?」
神殿の見習い神官が心配そうに私の顔を覗ってくる。
「……どうしたとは?」
「いえ………涙が」
「な…に…」
頬を手で撫でる。
手に少なくない湿り気を感じた。
慌てて拭うが、拭った先からそれは零れ出てきた。
「次長?」
「ああ…心配するな……大事ない」
心配はいらない。
涙が止まらない理由は自分でも分かっている。
感動しているのだ。
目の前の普通の――少しだけしんみりした会話に。
――蒼い血の方と紅い血の者の、家族の様な会話に。




