教育現場と姫様 1 - タリブネ・アウリ
小領クラウサはその領地の殆どが四方を険しい山脈に囲まれた盆地にある。
その盆地のほぼ中央に広がるのが、クラウサ領で最大の街にして、領主家の家名を冠し、領主様の屋敷がある領都クラウサだ。
盆地の中央とは言え、周囲は鳥も飛び越えるのが難しい高い山脈に囲まれている。
初夏、日が高く昇るようになり、日中の時間が長くなってきた最近でも、その山脈によって日照時間は他の地域よりも圧倒的に短い。
17時も過ぎると、外は夕闇が広がり始め、半時もしないうちに灯りが必要になる暗さとなる。
その暗くなるのを待ってから、
今日、
この夜に、
ここに、
大変な方を迎え入れなくてはいけなかった。
ここは領都クラウサの中では北の端に位置するテネブリス神殿――闇の女神テネブリス様を祭るクラウサ一大きな神殿だ。
クラウサの住人の大多数を占めるナイトウォーカー種が一番熱心に信仰している女神様になる。
私はその神殿で神殿次長を賜っているタリブネ・アウリ。
神殿関係者の中ではナンバー2で、紅い血の神官、信者達を取りまとめる立場にある。この役職を賜ってから40年経ち、最近はようやく1人前の大人になったと言われてもおかしくない年代に踏み込んだところだ。
そして今日、ここに止ん事無い方を迎えるための責任者でもある。
迎える部屋は神殿内での一番広い礼拝堂。
この礼拝堂の一番奥に立つテネブリス様の女神像とその周辺、あとは最前列の礼拝用の長椅子――これらを除く全てのモノを今は部屋から運び出している。
代わりに、今日の視察で使用する予定の勉強道具や遊戯、食堂から持ってきた料理台が置かれている。
そしてこの礼拝堂内の壁には、ほぼ間を置かず大人の男女が立ち並び、その者達の前には子供達が並んで立っている。
『18時半すぎに到着する』
一昨日、事前にそう連絡は受けている。
しかし万が一を考えて、1時間前から今の位置に集合してもらっている。
大人はともかく、子供達は我慢の限界はとうに超えているだろう。
いつもならば友達が集まっているのだ、はしゃぎ出してもおかしくないところだが、しかし周囲の大人達の様子を敏感に感じて今は大人しくしている。
それにこれからここに来る方が、どなたなのかは子供達にも周知している。緊張状態を維持せざるおえないだろう。
壁に掛けられた古時計を確認する。
時計の針は17時と30分を指している。
時間としてはそろそろか……。
そう思った矢先、礼拝堂に飛び込んでくる者が1人―――しかし、お迎えしようとする相手ではない。
「い、いらっしゃいました!」
外で馬車が来るのを見張っていた神殿の者だ。
「わかった。
……皆さん、これから神殿長とご一緒にいらっしゃいます。くれぐれも、くれぐれも、失礼の無いように。いいですね?」
『はい!』
大人も子供も緊張した声で返事をする。
少し心配だが、ここにいるのは普通の市民ばかりだ。礼儀作法などいきなり求めてもどうなるものでもない。もう変な事さえされなければ構わない。
そうこうしていると来訪を伝えてくれた者が開けた扉の外に向かって深く頭を下げた。ついにいらっしゃったようだ。
まずは案内役の神殿長がご入室される。
我が神殿が誇る――いや、このクラウサが誇る、我らが女神様だ。
裾の長い純白の神官衣の上から透き通った黒い衣を羽織る神殿長の正装に身を包むその姿は、今夜もとても美しいです。
自然に靡かせた銀糸の髪を揺らしながら、礼拝堂の中を見渡し、準備が出来ていることに満足してくれたようだ。礼拝堂の中央に立つ私の方に小さく微笑みかけてくれた。
なんと尊い……
神殿長は若い身でテネブリス神殿の神殿長に任命された蒼い血の貴女―――しかし、その振る舞いは蒼い血の方のそれとはかけ離れていた。
*
私は若い時分から闇の女神テネブリスにその身を捧げ、様々な領地を渡り歩いて数十年。テネブリスの教えを広げる宣教師の役目を賜っていた。
そこでたくさんの蒼い血の者達に出会う機会を得られた。
宣教師とは言え、所詮は紅い血である自分に対する蒼い血の者達の扱いは大体一様に同じだった。
無視――
無感心――
傲慢――
排他――
そして――餌
食料として、もしくはおもちゃ扱いで殺されかけた事は1度や2度では無い。
蒼い血と紅い血の間にある埋められない相違を感じ、それに絶望した。
もちろん宣教師になる前から蒼い血の者の紅い血の者に対する扱いが酷い事は知っていた。何せ、紅い血の者の子供は物心つく頃には蒼い血の者は怖いものだとしつこく躾けられる。私も両親には蒼い血の者には絶対近づくなと言われて育ったものだ。
しかし紅い血の者にも良い人もいれば悪い人もいるように、蒼い血の者にも色々な人がいるはずである。
心の何処かに普通と違う蒼い血に者が少ないながら居るのではないか――そんな子供の頃からの想いに夢想にしながら宣教師の旅を続けていた。
40年間、宣教師を続けて――そして限界を迎えた。
何処に行っても、通り一辺倒の蒼い血の者にしか出会えなかった。
40年掛かって、ようやくその事実に辿り着いたと悟った私は宣教師を辞して、故郷であるクラウサに帰ることにした。
生まれ故郷のクラウサは、昔から少なかった蒼い血の者がさらに減っていた。
そして先代と新しい若い領主様の紅い血の者に対する態度はともに『無感心』だった。
蒼い血の者達の中ではまだ良心的な態度である。少なくとも蒼い血の者に常に怯える生活は送らずに済んだ。
クラウサのテネブリス神殿に腰を落ち着けた私に、神殿次長のお役目が言い渡された。
長らく神殿長は空席のままだったため、実質神殿のトップである。
神殿長は通例として蒼い血の方が就くことになっていた。この決まりは珍しい事ではない。他の領地でも見られる決まりである。
それから神殿長が不在のまま40年近くが過ぎた。
そんなある日、都の大学院で勉強していた蒼い血の方が故郷に戻ってくるという。さらにその蒼い血の方が新しい神殿長に就任するとお達しがあった。
その通知が私の手元に届いたのは、かの者が着任する1日前だった。
決定に意義を唱えるつもりなど毛頭無いが、迎え入れるための準備期間は当然必要だ。もっと事前に知らせてくれれば良いものをと内心愚痴ってしまう。これが蒼い血の者の『無感心』の現れなのだろう。
急ぎ準備して、私室だけは整えることができた頃に、件の蒼い血の方が神殿に到着した。
正門に迎えに出た私は、領主家所有の馬車から降りた新神殿長を深い敬礼で迎える。
「面を上げてください」
鈴が鳴ったのかと思った。
小気味の良い声に吊られて頭を上げた私と、神殿長は視線が合い、軽い目礼と僅かな微笑みを向けてくれる。
蒼い血の方を見て初めて綺麗だと思った。
「……たいへん――」
「大変?」
「――うつくしい」
「え?」
…………あ。
わ、私はなんという事を!?
大変失礼な事を口走ったと気づき血の気が引く。今まで上手く立ち回って生き抜いてきた自分もついにここ迄かと本気で思った。
神殿長は一瞬呆けた表情を見せた後、クスクスと笑い出した。
それは先ほどの僅かな笑みでもなく、蒼い血の者がよく見せる冷笑でもなく、心から面白いと思った時の笑いだ。
長年、神殿を取り仕切っている方と聞いていたから真面目な方かと思いましたが、面白い人ですね。
そう言って我慢できずに口元を隠してつつ笑い続けた。
この瞬間―――私の子供の頃からの夢が叶ったと思った。
*
神殿長との出会いを思い出しているうちに、その神殿長が視線を自分が入ってきた扉の外へと向けた。
そして軽く頭を下げる。
さて、いよいよだ……
私も半分開いている扉に向かって深く頭を下げて迎える。
周囲の大人も子供も一緒だ。
ここにいる紅い血の者達は誰でも知っている。入室時に顔を上げて出迎える事を許す蒼い血の者などは殆どいない。許してくれるのは敬愛する神殿長ぐらいだ。
カツン…カツン…
殆ど物音のしなくなった礼拝堂に革靴の乾いた音が響く。
5歩歩いた音が鳴り――完全に礼拝堂に入っただろう所で声がした。
「面をあげて下さい」
小さいがよく通る透き通った声だ。何か神殿長に初めて言われた時を思い出す。
許しを得て、ゆっくりと頭を上げる。その途中で周囲からざわめきが起こった。
何を許しも得ずに声を出しているのだっ!?
周囲の状況に慌てて顔を上げる。
そこにはとても整った容姿の少女がちょこんと立っていた。
蒼い血の者達はその容姿を美醜で判断した場合、好みや優劣はあるにせよ、ほぼ例外無く美に分類される者達ばかりだ。しかしその少女が持つ雰囲気は単純な美とは少し違う印象を受けた。
何が違うのかと思ったが―――まず黒髪だった。
黒髪は大変珍しい。
蒼い血の者にも紅い血の者でも黒髪の者は少数ながらいる。しかしどういうわけだか親が黒髪でも子は黒髪にならず、逆に親が黒髪じゃなくても突然黒髪の子が生まれる。そんな希少な黒髪は、ようやく暗くなったばかりの外の夜闇よりも黒く、吸い込まれるように目が離せない。
ため息が出る。
次にその身に纏う衣服―――蒼い血の者の良家の女性は基本的にドレスを普段着としているが、少女が着ているのはドレスではなかった。スカートですらなくズボンだった。
しかし見窄らしいモノではなく、遠目にも上等の生地を使ったモノだとわかる。デザインは言うなれば乗馬の際に着る服に似ている。身体は動かしやすそうではある。しかし屋敷からここまでは馬車移動のはず。動きやすさが必要なのだろうか?
そして最後に気が付いた違和感に愕然とした。
少女が同じ微笑みを浮かべていた……我が神殿長と同じ微笑みを。
それは作り笑いでも、嘲笑うような笑みでもない。今夜のこの出会いを本当に楽しみにしていたのがわかる幼くも純粋な笑みだった。
少女は礼拝堂の中をぐるっと見渡してから小さな口を開く。
「殆どの方が初めてと存じます。
私の名はユークリッド・ル・クラウサ。天高くそびえる四方山脈に囲まれしクラウサの地を治めるフォーティス・ル・クラウサの娘です」
まさかの正式な名乗りをあげられた………この紅い血の者ばかりの場所で。
慌てて神殿長の方を伺いますが、見た限り普段通りの様子。何か段取りを間違えた訳ではないようです。
「今夜は魔法の師でもある神殿長からお誘いいただき、このテネブリス神殿で行われている授業を体験させていただけることになり、とても楽しみにしておりました。私は街の常識というモノに疎いところがあり、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、今夜はよろしくお願い致します」
ユークリッド様が最後にドレスの裾を摘まんでカーテシー風の挨拶をする。
カーテシー風と言ったのはズボンを履かれているからだ。
ユークリッド様も挨拶してから自分のズボン姿を思い出したようだ。摘まむモノが無い両手を所在なくさせながら、照れた笑みを浮かべている。
………。
礼拝堂に何とも言えない空気が充満する。
みんながユークリッド様から視線を外せず――
かといって口を開くわけにもいかず――
……?
ユークリッド様が困ったように小首を傾げて、後ろに控えている神殿長の方を見ます。
神殿長は口を押さえて笑いを堪えています。
あんな楽しそうに笑っている神殿長を初めて見ました。
みんなの視線が自分に移ったことに気がついた神殿長が、こほんと咳をして、手を叩きます。
「はい。みなさん。ユークリッド様が言われたようにいつものみなさんの授業風景を体験できるように、早速準備に取りかかってください」
いつもの神殿長から指示の声に皆が正気に戻り、授業の準備を始める。
ユークリッド様はその光景にホッとした様子で神殿長と談笑を始めている。
離れているので声は聞き取れないが、神殿長が後ろでコッソリ笑っていたのを問い詰めているようだ。
しかし本当に怒っている風ではなく、お互いに笑っている。まるで姉妹のように微笑ましい光景がそこにあった。
私も準備の手伝いをしようとすると、それに気づいた神殿長が私を手招きする。
「何でございましょうか」
「タリブネ。今日は事前の準備、大変ご苦労様でした。ユークリッド様。彼がタリブネ・アウリ。神殿次長をしており、この神殿の実務面を全て取り仕切ってくれています」
「タリブネ・アウリと申します。今夜、この月が白く輝く夜にお目通りできたこと、大変嬉しく思います」
「これはご丁寧に。次長の事はグラヴィスから聞いております。とても冷静沈着、真面目で頼りになる方だと」
神殿長が私をそんな風に評価していただけてるのですかっ!?
……何て良い事を教えてくれる蒼い血の方だろうか。姫様への好感度が一気に上がった。
「今日は色々体験できると聞いて、とても楽しみにしてきたのです。動きやすいように、ほら」
そう言って自分の全身を見てくれと、ぐぐっと迫ってきます。
私は神殿長一筋なので問題ありませんが………とても綺麗な女の子が異性へそんな風に安易に迫るのはいかがなものでしょうか。
もちろん蒼い血の方を相手にそんな苦言は口にはしません。
それよりも先程から少し気になる単語をちらちら耳に入ってくる。
「あの……『体験』とは?」
「はい!今日はこちらでいつもやられている授業などを体験させて貰えると言う事で、ご無理を言って準備していただき、ありがとうございました」
姫様は満面の笑みを浮かべて、私などにお礼の言葉を述べた。
「そ…それほどでも……」
調子が狂う……。
というか――
「恐れながら……それは、もしかして……姫様も授業を受けられるつもりなのでしょうか?」
「ええ。そのつもりです」
姫様が曇りのない表情で言い切った。
あー……これは本気で参加するつもりだ。
姫様の後ろに控える神殿長の表情をチラッと覗う。
神殿長は微笑んでいるだけで、特に止める気配はない。これはもう決定事項のようだ。それならば最大限、蒼い血の方々の要望に答えなければ逆に危険だ。
「承知いたしました。それでは――」
礼拝堂内は大きく3グループに分かれて作業を始めようとしている。
1つは、夕食を準備しているグループ
1つは、机で神学などの座学をしているグループ
1つは、床で遊びながら勉強が出来るカードゲームに興じるグループ
ナイトウォーカー種の蒼い血の方々は食事は少量の血しか必要としないため、食に関する興味は大変乏しいはずだ。もちろん料理などする必要も無いのだから、その方面の興味も湧かないだろう。
やはり無難なのは座学を受けていただくことだろうか。
「――姫様には」
「あ!あの皆で遊べる遊具を是非してみたいです」
カードゲームを準備している子供達を指差して言う。
「あれは遊びながら勉強ができるというゲームです。ユークリッド様があちらに行かれるのなら、私は座学の方を見ましょうか」
「ええ。そうしましょう。是非そうしましょう♪」
神殿長の言葉に肯定する姫様。
……あぁ…腹が痛くなってきた……
神殿長がそのうち『冗談ですよ』と言って、姫様を諭してくれないか期待してみる。こう見えて神殿長は結構、悪戯好きでお茶目なところがあったりする。
しかし今回は本気だったようだ。
早々に神殿長は座学をしているグループの方へと移動していってしまう。残された私が姫様をゲームをしているグループまで案内して、子供達に紹介することになった。
姫様が近くに来ただけで興奮しはじめる子供達と――
姫様が近くに来ただけで戦々恐々と顔を真っ青にしているその親御達――
そんな対照的な両者に軽く会釈をしてから、姫様がカードが広げられている辺りに腰を下ろします。
こうなったら、ゲームとは言えども蒼い血の方が負けることだけは無いように、目を光らせるしかない。




