北の台地と熊退治 1 - ユークリッド
ナルとミカがグラヴィス先生の授業を受けるようになってから3日後の夜。
私はある場所を視察するために、また屋敷から馬車で出かけています。
今回の視察団の編成は、私と土木関係の役人さん2名に護衛の兵士が2名と、付き添いとして母様となります。
いつもの王家所有の馬車に役人さん達のための馬車の2台だてに、そして護衛の兵士兼御者の方の組み合わせです。
今回の視察の目的は、以前にお義父様へ提案した3計画のうちの1つを進めるためのものです。
1つ目の計画であった直近での資金獲得のために生産量の上がらない鉱山の改善を目的にしたシルバーヘッド鉱山への視察は、思いがけない結果を得ることが出来ました。
こちらは一旦ドリゴからの報告待ちとして、他の2計画のうちの1つを進めていこうと思います。
その舞台となる『北の台地』を視察しに来たのです。
『北の台地』はクラウサ盆地の北部に広がる広い平地ですが、乾燥気味の台地のために耕作地としては適していないため、今まで殆ど利用されない土地となっていました。
この土地を農地化して、純粋に領内で消費される作物の備蓄を確保するだけでなく、余剰分をクラウサ領外へ輸出できないかと考えているのが2つ目の計画になります。
しかし、そんな良地が今まで手つかずだったのには当然理由があります。
台地の上に広がっているため、乾燥した土地となっておりまとまった水源も近場にはなく、台地の北の縁を流れる河まで行かなければ手に入れることが出来ない。大規模な農地として開墾するには圧倒的に水が不足しているということだそうです。
そんな土地を農地にするのならば―――当然、水源を確保しなければいけません。
そのために北の台地の縁を流れているという河と、猟師の方々から報告を受けている河の周辺に点在する池を確認しに行くのが今回の視察の目的です。
*
馬車に揺られながら、ふと前に座る母様を見ると向こうも私の事を見ていたようで、少しバツが悪そうに笑みを浮かべて誤魔化します。
「母様、どうしましたか?」
「あ、いえ…お嬢様がとても機嫌が良さそうですので…何か良いことでもあったのかなと思いまして」
「機嫌が良いですか?」
「はい」
「そうですね……とくに特別な事はありませんでしたけど、強いて上げるなら今の状況が気分が良いですね」
「今ですか?」
「ええ。母様と2人きりでお出かけなんて、初めてですから」
「あ……そうですね。2人きりは初めてかもしれません。シャリアさんが来られなくなってしまったので……」
母様の表情が曇ります。
あれあれ?そんな表情を曇らせるほど重い話題ではないですよね?
そう。今までだったらシャリアが一緒についてくるところなのだけど―――
先日のナルとミカを引き取った1件でシャリアでは私の外出時の気まぐれを制する事が出来ないとミーシャに評価されたらしく、しばらく外出時の付き添い役から外されてしまったそうです。
それを泣く泣く私に報告するシャリアを見ていると何となく申し訳なってきました。半分は私が原因な気がしますし。とりあえず元気づける為にも、先日の約束通りに今度何か服や装飾品を買ってあげることにしましょう。
そんな先日のカランド商会に伺った時の話で母様と盛り上がっていると、突然馬車がその歩みを止めます。
あれ?まだ北の台地に上がったばかりです。目的地まではまだ大分あると思いますが?
「し、失礼いたします!ひ、姫様。ご歓談中に大変申し訳ありません」
そうこう思っていると正面の小窓から御者さんをしてくれている護衛の兵士の方からちょっと震えた声が掛かります。
「はい。大丈夫ですよ。何でしょうか?」
「え、えっと、その……前方に」
前方?
馬車の側面の小窓から少し顔を出してみると―――あ~なるほど。
「姫様?」
「母様。この先でちょうど領兵が演習をしていたみたいです。少し挨拶をしておきますね」
馬車の進行方向にはクラウサ領兵の集団を確認出来ました。
北の台地は練兵場としてよく使われていると聞いたので、たまたま演習に出くわしたという事でしょう。
向こうもこちらに気が付き、馬車の前を開けるように左右に散り始めています。
「領兵のみなさんに少し挨拶をします。彼らの横まで移動して止めてもらえませんか?」
「はっ!承知致しました!!」
兵士さんの元気な声と共に馬車が再び動き出し、すぐにまた止まりました。そして御者役の兵士さんが御者席から飛び降りて扉の前に立つのが分かります。人手が足りないものですから、1人2役なので大変です。
それを待って母様が馬車の扉を開けてくれます。
馬車から出てみると、連隊の人達がみんな跪いています。
およそ50名程でしょうか。
闇夜の中での迷彩も兼ねたクラウサ軍の黒い軍服に身を包んだ兵隊さん達が一様に跪いています。
あ~……ちょっと挨拶をしたかっただけなのに、またちょっと大事になっているかもしれません。
「ゴンゴス将軍」
「はっ!こちらに」
言われるまでもなく、ゴンゴス将軍の人一倍大きな体躯は一目で何処に居るかわかりますよ。
将軍は兵隊さん達を押しのけるように駆け寄ってきて片膝を突いて跪きます。
「姫様。綺麗な月夜の今宵にいずこへお出かけでしょうか」
「この先の山裾に広がる河や池の周辺の状況を視察する予定なのですが……何か練兵中にお邪魔してしまいましたね」
「滅相もございません!思いがけず姫様のお美しいご尊顔を拝謁できて至福の喜び。兵共々我ら一同大変喜んでおります!」
「そ、そうですか…」
皆さん、額を地面に付けて平頭跪いてるのだけど、それで私の顔が見えているのでしょうか……。
「ちなみに姫様。護衛の者は……その御者の者だけでしょうか?」
「護衛ですか?はい、そうです」
「そうですか……」
将軍が一瞬顔を顰めます。
「失礼ながら、姫様。一つ宜しいでしょうか?」
将軍が少し遠慮がちに言います。
「ええ。どうぞ」
「この先には人を襲う野生の大型獣も徘徊しております」
「そうなのですか?」
「はい。勿論、姫様が獣ごときに後れを取ることなど無い事は重々承知しておりますが、万に一つのため、我々に姫様の護衛につく名誉を賜ることはできないでしょうか」
「護衛したいという事ですか?それは構いませんが……演習の方は宜しいのですか?」
「勿論、演習を中止するというわけではございません」
そう言うと将軍は後ろに控える兵隊さん達に向かってお腹によく響く声をあげます。
「連隊長ぉ!」
「はっ!」
将軍の後ろに控えていたナイトウォーカー種の男性が将軍に負けないぐらい声を張って答えます。
「これから姫様は台地の北方へのご視察に行かれる。その護衛に選りすぐるの1分隊用意しろ」
「承知致しました!」
「あと、儂はそのまま護衛の分隊を指揮する。貴様は残りの連隊員を率いて訓練を継続するように」
「はっ!」
何だか私の思いとは別に、トントン拍子で話が進んでいきます。
勿論、仰々しいとは思いますが護衛についてくれるのは心強いですし、拒否する理由は無いのですけど。
すぐに7名の連隊員が集められて、即席の警護分隊が作られました。指揮は将軍が直々に取るようです。
分隊の方々はそのまま私達や文官の人達の馬車を囲むように徒歩で移動するつもりのようです。でも将軍を彼ら歩兵と一緒に歩かせるのは忍びないです。
「将軍。席に余裕があるので将軍だけでも馬車に乗って下さい」
「え、いやしかし…」
「それに道中、色々と将軍のお話も聞きたいですし、お願いします」
「姫様にそこまで言われては断るわけにはまいりません。喜んで同席させていただきます」
そう言って深く一礼し、少し窮屈そうに馬車に乗り込んできました。
「母様。私の隣に座って、将軍に席を空けてあげてください。将軍は身体の大きいので2人分の席が必要でしょう」
「そうですね。わかりました」
母様は席を立ち、将軍に譲ります。
「侍女殿、申し訳ない。席を移ってもらって」
「いいえ。お嬢様、隣に失礼いたします」
「うん」
ふっふっふ。母様が隣に座ったところで、寄りかかって甘えます。
「お、お嬢様」
「ふふふ。折角、母様とお出かけしているのです。少しぐらい甘えさせてください」
「その……」
母様が困ったように前を向きます。
私達の向かいにはゴンゴス将軍が座っていますが、やっぱり身体が大きくて立派です。私と母様が並んで座ったときの横幅と同じぐらいの幅を一人で取っています。そんな巨躯の将軍が驚いた表情を浮かべていました。
あれ?ゴンゴス将軍は母様の事は知らなかったっけ?
「……もしかして、侍女殿が噂のエバン殿か?」
「は、はい。私がエバンです」
「おぉー!!なるほど!なるほど!」
何か納得したように首を縦に振って、ウンウンと肯いてます。
「姫様にどことなく似ていて、大変美人な侍女殿だと思っていたが。やはり母君であったか。納得であるな!」
「び、美人!?」
うわぁ……母様が顔を真っ赤にしてます。
こんな反応する母様を初めて見ました。
「わ、わたしなんて……全然美人なんかじゃ……」
「母様は美人ですよ?」
「お嬢様……冗談はよしてください……」
「う~ん……でも、母様が美人じゃないと言うなら、私もあまり美人じゃないって事ですよね?」
「そ、そんな事は無いです!お嬢様は……とても愛らしくて、大変お美しいです」
「ふふふ…では私に似ている母様も美しいって事ですよね?」
「くぅ……」
「がっはっは!然り然り!」
母様と私のやり取りを決着が付いたと、楽しそうに声を上げるゴンゴス将軍。
あまり大きな声を出すと、外の兵士達が驚きますよ?




