蒼い血の覚醒と不慣れな目覚め - ???
……。
……。
……ん。
……ん?
……頭の中に霞がかかっているように朧気だった意識が、徐々に覚醒してきました。
眠っていたのだと思います。身体が横になっているのは感覚で分かりました。
ゆっくりと目を開けてみます。
そこには開ける前と同じ暗闇が広がっていました。一瞬、目蓋の裏をまだ見ているのかと思ったけど、どうやら違うようです。闇の先に見える天井?の木目がしっかり確認出来ました。
視界の端の方に、微かに灯りを窺うことができます。少し視線をずらしてみると、アルコールランプのような柔らかな自然の火の光に微かに照らせている箇所がありました。
私はそちらに頭を傾けてみます。
小さな木製のサイドテーブルの上に、綺麗な装飾の施された銀色のランプが置いてありました。そしてその中で小さな炎がユラユラと揺れているのが確認できます。その明かりに照らされてサイドテーブルの横に扉があるのも窺えました。扉は黒っぽい木を使った、花や草木をあしらった豪奢な彫りの施された立派な扉でした。
しかしそれ以外は私の所からは窺えません。
ここから手を伸ばしたぐらいでは何も届きそうにもありません。壁まで10メリトルは離れているようです。
頭だけを今度は反対側に向けてみます。
そちらは扉同様に黒めの木材を使った綺麗な彫り物の入った窓枠の大きな窓がありました。しかしその窓には分厚い黒のカーテンが掛かっており、外の様子は一切窺えそうにありません。そしてそのカーテンも手を伸ばしても届かない。こちらも同様に10メリトルほど離れています。
なんとも広い部屋で寝ていたことでしょうか……。
あとは部屋の広さの割りにはモノが少ない印象があります。
それでも丁度目に入ったベッド横の脇机だけ見ても凄く芸術的価値がありそうです。ゴシック様式というものでしょうか?机の脚にはビッシリと細かな彫りの装飾が入れられています。豪華ですね。
頭を元の正面に戻す。
天井の木目を眺めて―――あれ、天井ではありませんね。
天井の手前に何かが覆い被さっています。これは……天蓋というものでしょうか?
ベッドに屋根が付けられているようなアレです。私はちゃんとしたベッドに寝ていました。しかも上等なベッドのようです。こんなベッドに自分で入った記憶が無いので、誰かがここまで運んでくれたのでしょうか?
……むふ。
……むふふ。
とてもフカフカモフモフな毛布がとても気持ちいいです。
ベッドの敷き布団、かけ布団ともに真っ白で肌触りも最高です。もしかしてシルクなのかな?布団の中に詰め込まれている羽毛もフカフカでとても気持ちが良いですね。
しばらく全身で羽毛の柔らかさを満喫していたいけれど、身体を動かした所為でしょうか。さすがに目が覚めてしまいました。
ゆっくり身体を起こします。
………ん~
……ん?
……
……やっぱり思い出せない。
えっと………ここ……どこだっけ?
周囲を眺めてみます。
ベッドの中から眺めた以上の風景は見えません。
私は両手を眼の高さまで挙げてみます。
そこには暗闇の中でも淡く光っているのではないかと錯覚するぐらい白く細い指を生やした手の平が2つありました。
ぐっぱっ……
ぐっぱっ……
手を開いたり閉じたりしてみます。
ん~…………なんでしょうか。
この手。私のじゃないような変な違和感があります。
ぐっぱっ……
ぐっぱっ……
うん。私の思い通りに動いているので、間違いなく私の手なんですけど――
ぐっぱっ……
ぐっぱっ……
――やっぱり変な感じがしますね。
フカフカの羽毛寝具を退かしてみます。
そこには黒生地の薄いスケスケでちょっとエッチな雰囲気のネグリジェに身を包んだ私の下半身がありました。そして腕と同じ白い脚が2本伸びています。
――まあ、足があるのはいいとして……私、こういう服が趣味でしたっけ?
2本の足は見るからに細いですけど、ちゃんと動きます。私は脚を左に動かし、そのまま身体を横に向けてベッドに座った姿勢から立ち上がります。
視線の位置から130……140ぐらいでしょうか。
………。
……何でしょうね。理由は分からないけど、何故か違和感しか感じません……。
私はベッドを離れて扉の方に歩いて行きます。
ふと視線の端に見えたのが、化粧台と姿鏡。
化粧台には化粧品などの小物が綺麗に並べられています。そして姿鏡は天井に届くかというぐらいに高く長いです。
そんな姿鏡を覗いてみます。
――っ!!
姿見に映っているモノを見て、息が止まったかと思いました………いえ、実際ちょっと息が止まっていたかもしれません。
軽い目眩がして短く息を吐いた拍子に、化粧台に手を突いてしまいました。それで並べてあった小物が床に落ちました。
けれど、それどころではありません。
姿見に映っていたのは―――暗闇に溶けてしまいそうなほどの黒髪を腰ぐらいまで伸ばし、手も足も顔も首も全身、滲み一つ無い白い肌をした、整った顔立ちの細身の少女――――私でした。
え?これが……わたし?
ジッと見て――手を翳し――身体を少し傾け――瞳を動かし――瞬きして……あぁ、瞬きは自分では確認できませんね。しかしそれ以外は私の動作そっくりに姿見の中の少女も動きます。
………当たり前ですね。
やはり私が映っているんですか………でもなんでしょうか。やっぱり自分とは思えない違和感が――
こんこん。
ひゃっ!?
突然発した音にビックリしたけど、それは扉をノックする音でした。
「……は、はい?」
「お嬢様、失礼致します」
扉が丁寧に開かれる。
「え………あ、お嬢様。おはようございます」
ベッドに私が居ない事に一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐにこちらに気がつき深く一礼をします。それはシックなメイド風の衣装に身を包んだ初老の女性でした。赤みのある髪を綺麗に纏めて清潔感を感じる頭を私に向かって垂れています。
メイドさんは綺麗な姿勢のまま頭を上げて。そしてこちらをジッと見つめています。
「………」
「………」
「……お嬢様?」
すごい!本物ですか!?本物のメイドさんがいます!
しかも彼女の言うお嬢様ってやっぱり私の事ですよね?
「えっと、はい?」
「……あっ!も、申し訳ありませんっ!!」
また深く頭を下げてしまいました。しかも今度は結構乱暴に。何事ですか!?
「え?何?ど、どうしました?」
「申し訳ありません。お目覚めされていた事に気がつかず、お、お着替えをお待たせしてしまい……ど、どうか、どうか…ご、ご容赦ください……」
メイドさんは見るからに身体が震えて、そして声はもっと震えています。
え、何で?こんなに怖がられているの?私、何かしましたっけ?
「えっと……大丈夫ですよ。ちょっと鏡見てぼ~っとしていただけです。うん。自分の姿を見てただけですから」
見てたというか、見蕩れていたのは本当ですけど、聞きようによってはナルシストに聞こえますね。黙っておきましょう…。
「は……はい、そうですか。取り乱しました……申し訳ありませんでした」
それでも何か怯えられ、懸命に謝っています。何故でしょうか?
それよりも――えっと………どちら様ですか?
「え?お嬢様?あの……まだ起きたてだからでしょうか。使用人頭のミーシャです。昨夜、就寝前にですがも挨拶させていただいただきましたミーシャにございます」
そう言ってミーシャは心底心配そうな表情を浮かべて、こちらの顔色を伺ってきます。
あ、いえ大丈夫ですよ。なんだか余計な事を言って心配させるのも申し訳ないです。
ここは雰囲気を変えるためにもメイドさんとの正しい接し方を―――
……。
……。
あれ?メイドさんとの正しい接し方って何??
「ん~……あ、そうだ。着替えを準備して貰えますか?」
メイドさんと言えば、身の回りのお世話をして貰うのが正解じゃないでしょうか。我ながらよく思いつきました。
お着替え云々を言っていたのです。ここは着替えを手伝って貰いましょう。
「はい!すぐに」
ミーシャが役目を思い出したのでしょうか、飛び跳ねるように反対側の壁に向かいます。今、気がついたけど、そこにはクローゼットがあったんですね。
クローゼットを開いて中へ入っていきます。ウォークインクローゼットになっているようです。
少し中でゴソゴソしてから、車輪の付いたハンガーラックを押して出てきました。カーペットがとてもフカフカなので車輪の音はほとんどさせていません。
さて、とりあえず寝間着から着替えをしましょうか。
私は自分の着ているネグリジェを脱ごうとして―――ミーシャに止められます。
「お待ちくださいお嬢様。
昨夜も言いましたように、蒼い血であらせられるお嬢様は使用人が控えているのならば自分で衣服の着替えなどしてはいけません。そういったことは下の者にやらせるものです。身の回りの世話は私達の仕事ですので」
蒼い血?
知らない単語がでてきたけど―――青い血ってこと?青い血って貴族っていう意味じゃなかったっけ?
……ということは、私が貴族ですか?
混乱している私を余所にミーシャは「失礼します」と言って私の後ろに回ります。
私の後ろに立つや否や、慣れた手つきで私のネグリジェを脱がし始めました。
背中にボタンが付いていたようです。それを外して広がった肩口からストンとネグリジェを足下まで落としてくれます。
なるほど。こうやって脱ぐんだ。勉強になりました。でもふくよかな方はこの脱ぎ方は大変だろうなぁ……としょうもない心配したり―――
うわぁ………きれい……。
姿見に再度映った自分の姿を見て、溜息が漏れます。
細身だけど傷やシミが一切見当たらない真っ白な肢体。
首も手足も細くて、乱暴に動かすと折れてしまいそう。
微かに膨らみがある両胸とその中央に真っ白な肌に唯一色の付いた薄桃色が2つ。
鏡に映ったソレは今までに見たことも無い美少女でした。
脱がされて全裸になった自分?の裸を見て、変ですけど…………ドキドキしてしまいました。
絶世の美少女(おそらく自分)の全裸を凝視している間に、メイドさんはテキパキと手慣れた様子で私に服を着せていきます。
腰ベルトを巻いて、パンツも靴下もガーターベルトのように吊り下げる。なるほど。これなら腰ベルトがズレない限りは靴下がズレることはないですね。胸回りは布当てを巻かれます。いずれも純白でシルクの肌触りで、とても気持ちいいです。
その下着を身につけた上から衣のような服を2枚着せられます。
1枚は薄めの生地で下に羽織り、その上から厚めの生地のものを重ねて羽織ります。いずれも胸の前で生地を重ねあわせて締めるタイプのものです。
上に羽織った生地が厚めな方は装飾も多めです。
更に腰回りに幅広の帯のようなものをゆるめに巻いて出来上がり。帯も多彩な色合いで、見たこともない花びらが舞っている模様が薄く入っており、見た目は何処かの民族衣装のようなオリエンタルな装いになりました。
うんうん。自分で言うのもなんですが、この服は私によく似合っていると思います。
「お嬢様の綺麗な黒の御髪には白基調のお召し物が似合うと思いましたが、いかがでしょうか?」
「うん……いいです。とても良いと思います」
「ありがとうございます」
綺麗な姿勢のお辞儀です。
えっと……それよりも、何となく流されるがままに着替えをさせられましたけど。そもそも何故私の面倒を見てくれるのでしょうか?
でもそれを聞くと、彼女をまた困らせてしまいそうですね。
そんな事で悩んでいる間に、ミーシャは頭を下げながらハンガーラックを下げます。そして自分が入ってきた扉を開いてくれました。
これは『外に出てください』ってことでしょうか?
服の裾を踏まないように、ちょっと注意しながら寝室を出てみます。
部屋の外は高い天井の廊下が左右に伸びており、壁に転々と設置されたランプが光のリングをいくつもその廊下に作りだしていました。
ランプ以外の光源の無い薄暗い廊下には、等間隔に窓が設置されていますが、その窓はいずれも光を取り込んでいないように見えます。
外が暗いのは夜という事でしょうか?
メイドさんは扉を閉めると廊下を歩き始めます。私もその後を付いていきます。
ほぉぉ~!
ほほぉぉ~!
こ、これは凄いです!!
この廊下に敷かれているカーペットもとてもフカフカです。フカフカ過ぎて足が取られてしまい、逆になんだか歩きづらいぐらいです。それに廊下もとても長くてどれだけ大きな家――屋敷?なんでしょうか。
驚くのは廊下だけではありません。
案内された食堂みたいなところも凄いです。
白と黒を基調にしたシックな壁紙や調度品で統一されているその部屋――というよりホールは奥行きだけでも私が歩いて30歩以上あるように見えます。その奥行きのある広いホールには映画でしか見たことが無いような長ぁーい黒檀のテーブルが伸びていました。その黒のテーブルには対照的に真っ白なテーブルクロスが引かれています。
色々スケールが違いますが、一見すると食事を取る場所のようです。
扉から見て一番奥の席をミーシャに案内されました。
ふむ。30歩以上は少し大袈裟でしたね。テーブルの長さは私の歩幅でちょうど20歩でした。
食堂にはミーシャの他に、食事を給仕するためのメイドさんが1人いました。
若い女の子です。初老のメイドさんと同じ薄めの赤髪をしています。年頃は大体10代後半といったところでしょうか。髪の色や顔立ちが何となく似ているのでミーシャの親族の方でしょうか。立つ姿勢もとても綺麗です。良く教育されていると感じます。
あと……胸。すごく大きいです。腰が締まっているので余計大きく見えます。あれを見るとどうしても自分の胸に視線が落ちてしまいます。
私も背丈相応の大きさだとは思うのですが――
「お嬢様?ご夕食でございます」
下らないことを考えているうちに、若いメイドさんが準備してくれたのは真っ赤な液体が並々に入った細長い綺麗な形をしたワイングラスが1つだけ―――
これは食前酒みたいなものでしょうか?
とりあえず少し口をつけてみます。
こくこく。
ん~…濃いめのトマトジュースのような感じでしょうか?
野菜全般。特にトマトは大好きなので、とても美味しく飲めましたけど、食前酒ではなかったようです。それと少し飲んでみただけなのに不思議なぐらい満腹感というか、満足感があります。
ちょっと予想外だった味に「これは?」とつい口に出てしまいました。
するとメイドさん達の表情が一気に真っ青になります。
あ……これはまた何か触れてはいけない事に触れてしまったでしょうか……。
ミーシャが申し訳なさそうに謝罪を始めます。
「も、申し訳ありません!!若い女性の血を厳選いたしましたが……今朝採ったモノですので………鮮度が落ちていましたでしょうか?」
ぶっ――
ふ、噴き出しそうになったのを懸命に堪えます!
ここで噴き出しては、綺麗なテーブルクロスとテーブルが真っ赤に染まってしまいますから―――って、そうじゃなくて!?
「ん……んくっ…んくっ………ふぅ……これは―――血なのですか?」
「はい、もちろんです」
もちろんって言われた……。
「え、えっと……ヒトの?」
「もちろんです」
またもちろんって言われた……。
「………」
グラスの傾けて中の液体を眺めてみます。
回してみると確かに少し粘性というかとろみがあるように見えます。
味はともかく、血と言われてみると血に見える気がします。とりあえず飲む気が全く失せてしまいました。
まだ半分残っているグラスをどうしたものか眺めていると――
「も……申し訳ありません!!お嬢様っ!!」
「え?えっ?」
「見るからに鮮度の落ちたモノをお出ししてしまうなど……」
あぁ……半分口にしてからグラスを回して中の液体をジッと確認する―――そんな所作をすれば確かにそう勘違いされてもおかしくないですね。
またミーシャが頭を垂れました―――と言うか、フカフカのカーペットに顔が埋もれるように土下座を始めました。
「み、ミーシャ?」
「度重なる失態!!もうこうなっては自害してお詫びをするしかありません」
ジガイ?…じがい?…自害っ!?
「ちょ、ちょっと!ちょっと待ってください!ミーシャ!!」
ミーシャが正座したまま自分の首を自分の手で締め始めました。
この方法で自害できるのかは甚だ疑問ですけど、苦しいのには変わりありません。私は慌ててミーシャの両手を掴んで首から離させます。
「おじょうさま……」
「えっと…えーっと………あ!あー、そう!そうです。あまりお腹減っていないのでこれだけで十分です。はい」
確かにお腹は減っていないです。もちろん飲まない理由はそうではないですが……。
「ほら。折角準備して貰ったのに、半分しか食せず、どうしたものかなぁ………と考えていただけです。鮮度に不満があるとかそう言った事ではないのです」
「……………なるほど、そう言えば覚醒直後に食事をされたと聞いておりました。空腹ではないのはそのためでしょうか」
「覚醒?」
「はい。蒼い血に覚醒された折り、手近なモノを食事をされたと聞いております。大変失礼致しました。次は十分食欲が湧くよう、厳選した血を準備するように致します」
「あはは………あ、ありがとうございます」
でもやっぱり血なんですね。