開幕_Runway ランウェイ
「ぁあ……あぁ……ミア……」
一人の男が、テーブルに突っ伏していた。テーブルの上には大小様々な酒瓶が所狭しと置かれ、伏せる男は埋もれている。
ダイニングキッチンであろう、そこは暗く随分と散らかっていた。辛うじて照らす電灯も切れ掛けているのか弱々しく、空になった酒瓶は転がり汚れた袋と山を築いている。男自身も、酒浸りなのか酒臭い。
「……最期は、安らかに逝けたかい……」
幾度と無く零される懺悔。口にし過ぎて、酒のせいで弛緩した唇から止め処無く漏れる涎に、塗れていた。続くのは決まっている。
────助けられなくて、ごめん。
「ミア……ああ、カルミア……僕に力が在れば、知識が、金が、もっともっともっと在れば……!」
鎮静剤なんかで、誤魔化す道を選ばず済んだはずなのに。
「何のために、軍医になんかなって、戦争に加担したんだ! 僕は!」
男が、抑え切れない衝動に乱立する酒瓶を、手で横に払って薙ぎ倒した。ガッシャァアアアアン! テーブルから落ちた酒瓶が割れる。相当な音がしたが、室内には男のみ。他には反応する者などいなかった
────はずだった。
「いやぁ、凄い音だったね」
「っ、」
吃驚した男が、がばりっと上体を起こした。開いた扉から月の光が差し込む。
暗い部屋を照らす月光を背に誰かが立っていた。細身のシルエット。逆光で、容貌はわからない。
「誰……だ?」
酒で焼け掠れた声量は僅かで、誰何は隣にいても届かなそうだったけれども。
人影は聞き逃さなかった。
「私? そうだな、私は────」
・・・・・・
【 開幕_Runway ランウェイ 】
「────なぁ! 俺、先に出るよ!」
「おー、おー、行け行け! 俺ぁ今日、非番だからな」
「あ、そっか」
玄関で騒いでいた養い子に大尉が返すと得心したように落ち着き「じゃ、行くから!」と大声で言って、バタン!と大きく音を立てて閉まったドアの先へ消えた。大尉は、それに手を振って応えていたが。
閉まったはずの扉がまた開き。
「……早めに帰るけど。羽目外して、飲み過ぎるなよ」
顔を覗かせた養い子はジト目で言い忘れたと忠告し、再び「行って来ます」と消えて行った。
「はいはい……行って来い、────リンデン」
大尉は養い子、リンデンの小言に苦笑して再度、手を振り送り出す。
誰に似たんだろうなぁ……フューシャじゃあねぇよな、と考えつつ。リンデンの母親で大尉の同僚だったフューシャは、どちらかと言うなら言われる側だった。と言うことは。
十中八九、今や上司の元教え子、准佐の影響だろう。
リンデンを連れ帰った日を思い出せば、間違い無く。
“あなた、莫迦なんですか”
開口一番、リンデンを連れて訪れた執務室で、半目の准佐が大尉に言い放った科白だった。
フューシャの墓参りのあと。憲兵に在らぬ疑いを掛けられ捕まっていた、当時は浮浪児だったリンデンの身柄を引き受けたは良いものの。
このとき大尉は教官寮に住んでいた。教官寮は個人部屋だが所謂、独身寮だった。前以て申請した家族が遊びに来ることや泊まることは出来ても、行き場の無いリンデンを住まわせることは出来なかった。
そうして、成り行きを報告した大尉の話を聞き終えた准佐の感想が、コレだった。疑問符を付けず言い切っているところに准佐の気持ちが表れている。
こめかみを押さえ溜め息を吐く准佐を前に、へらりと笑う大尉の隣で緊張し恐縮するリンデン。不安そうなリンデンを横目に捉え、大尉が肩を抱く。この光景に准佐は今一度、嘆息した。
“苦労しますよ”
零した准佐にリンデンは体を揺らし大尉は、わかっている、と返答しようとしたが。
“この人、本っっっっ当に、戦闘以外では考え無しですからね”
准佐は、力いっぱい断言した。予想外の力説にリンデンも大尉も目を見開いた。
さっきの言葉は、大尉にでなくリンデンへ、だったのだ。本当、の間に在る『っ』の多さが上司たる准佐の本心をよく物語っていた。付け足された“いや、戦闘もかもしれないな……”ぼやきも含めて。
「あのあと二人で滅茶苦茶、意気投合してんだもんなぁ……おじさん、参っちゃうぜ」
この日は致し方無いと大尉の部屋にリンデンを置くことを認めた准佐は、翌日には軍部に報告申請し家族と住む教官用の物件を用意して引っ越しの手配までしていた。真に仕事の出来る人間だった。
こんな准佐をリンデンが尊敬するのは、まぁ順当だろう。敬意を抱き憧れていれば、……真似しようとしなくても似て来る。准佐の元教官でリンデンの養い親である大尉は複雑だけれど。
いや、仲が良いのは良いんだ。願っても無い。
ただ、どう言う訳か……二人共、大尉を駄目な大人と言う認識を共有して、事在る毎に統一戦線を張っているのだ。
大尉が身元保証人になってから軍事学校の編入試験を受けて合格、晴れて軍事学校の生徒となったリンデンは優秀で准佐の他、どの教官からも評判が良い。そんなリンデンが一番に懐いてるのが准佐で在り、准佐も過去問など試験の準備に協力したりと入学前から殊更に可愛がっていた。
試験の手助けに至っては、さすがに贔屓では……と苦言を呈した大尉に准佐は。
「リンデンくんは、祖父母を亡くされてから浮浪児で満足に勉強出来なかった時期が在るんですよ? コレくらい、何のズルになるんです?」
過去問の勉強程度、皆やっている、今期の試験内容を教えるでも在るまいに。そう言って自ら勉強を見ていた。
現職の教官から手解きを受けるのって結構なアドバンテージじゃないの……とは思ったけれども黙っていた。試験官は准佐ではないしギリセーフ……と信じて。
准佐がやらなければ同じ教官の自身がやっていただろうし、元来、面倒見の良い准佐は戦災孤児だったリンデンを気に掛けてくれたのだろうと思えば、正直うれしい。
自分以外の大人がリンデンを気にしてくれることも、准佐がゆとりを持った思い遣り在る大人に育ったことにも。
「昔から杓子定規っつーか、生真面目だったからなぁ……タイムのヤツ」
久方振りに元教え子で上司の名前を口にした大尉は、いや、と思い直す。タイムの生真面目は変わってないか、と。
「自他共に厳しいのも変わってないわな……特に、俺には」
ツーンとしちゃってなぁ? 苦くゆるい笑いを漏らし独り言ちて、大尉は今日の予定を消化すべく己も仕度し始めた。
「やぁ、大尉」
想定外の相手と出くわし、大尉は思わず持っていた買い物袋を落とし掛け慌てて、気といっしょに持ち直した。
「……。どうも、────ローレンス少佐殿」
なぜいるのか、と問わずにいられないが、ぐっと飲み込んだ。素直に問えば、何か巻き込まれる気がする────嫌な予感に、大尉は問わないことを選んだ。
いるはずが無いのだ。ここに。こんな、街角の喫茶店兼珈琲豆の販売店にいる男ではない。
戦時中。大尉の国は、ある先進国と手を組んでいた。面積は小さいながら数度の戦争を経験済みの、大尉の国とは比べ難い程に歴史在る強国だ。
表向きは徴兵は無く志願のみと謳ってはいたものの君主制で、一人の王を頂点に貴族平民と階級制度が未だ存在し王族ですら参加する戦場に平民は勿論、貴族の子女も跡継ぎを残し皆が参戦していた。
そして、この男、ローレンス少佐は貴族の次男で。
「大国の英雄が、何だってこんなところに」
問い掛けたくは無いが、口内のぼやきは口から、うっかりと食み出てしまう。目敏くならぬ耳聡く「ふふふっ」少佐は聞き流さないとしても。
「ここの珈琲は美味しいよ? 初めて来たけどね」
共に戦った戦線でも活躍した、常勝国に祭られる英雄は実に楽しげに笑っていた。
「きみも、どう?」
「いや、自分は────」
豆を買いに来ただけです。そう断りたかった。平時なら、珈琲の一杯でも飲んでから買って帰るところだったけれど。
「良いじゃないか
きみのところの子は、学校だろう?」
「────」
変わらぬ微笑。有無は言わせない。
すでに戦争は終わり、現在の大尉は軍事学校の教官。
合同作戦で、命令系統が、もう在る訳では無い。
だが、大尉は知っていた。
少佐が、穏やかな笑顔の下に忍ばせている冷酷さと合理性を。共同戦線で、嫌と言うくらいに知っている。
味方で良かったと何度も背中を冷やしたものだ。奥歯が「……」軋む。
“きみのところの子”。
リンデンのことを出して来た真意は酌めないが、固辞するのが得策では無いことは理解出来た。少佐が勧める前の席に腰を下ろした。
「さて、きみもどうぞ? 僕の奢りだよ」
いつの間にやら頼んでいたのか、大尉の前に淹れ立ての珈琲が置かれた。どうやら、大尉が来店する前、着席したら運ぶように注文済みだったのだろう。つまり。
「俺の身辺まで調べ上げて、いったい何の御用なんですか。ローレンス少佐殿」
もともと、偶然では無いと推察してはいた。大尉の質疑に、少佐は笑みを深くする。
「大尉は、知っている?」
「何を、ですか」
「『花』だよ」
「『花』?」
少佐はカップを傾ける。珈琲を一口含んで飲み下した。
「そう────『花』、だよ」
大尉が考える通り、ローレンス少佐が指したのは観賞用や贈答用に店で売られたり、そこいらで咲くただの花ではない。
『花』とは、麻薬の一種だった。
白い花を咲かせる『花』。一見、どこにでも在る美しい花だ。けれど、花弁、葉、茎のすべてに麻薬成分が有り、何より種が最も強い麻薬成分を保持しているらしい。
一般的に流通している形態は『花』を精製した液体か粉末。だけど次第に中毒症状が進行すれば、『花』自体を欲し食し始め、最終的には種を飲む込んでしまう。
これこそが、この『花』の生存戦略。
嚥下された種は、消化されない。硬い殻は胃液に反応し胃酸で溶け、腸で発芽……人体に根を下ろして養分とし開花するのだ。
『花』は、人体を苗床に、繁殖した。
「元は、重傷者や難病患者の痛み止めとして開発されたそうだ。……が、どこからか流出したみたいだね」
よく在る話だった。殊、戦時中は持ち出すのが容易だったことだろう。
戦場では鎮痛剤が必要だ。そこから小遣い稼ぎとして外へ出ても、おかしくはない。
「……。それが、俺と何の関係が……」
自慢では無いが、大尉は鎮痛剤の類いのお世話になったことは無い。縦しんば怪我を負い使うことが在ったとしても、そんな特殊で高価そうなお薬には、お目に掛かったことも無かった。て言うか。
あの軍部にそう言う薬を調達出来る伝手が在ったとは考え難い。カツカツなのが平常だったのだ。
共同戦線で合同作戦時ぐらいじゃないだろうか。戦中で食事をしたりシャワー出来たり交代でふかふかの寝具に寝たり、人間らしい生活が出来たのは。
少佐の国の余力と軍部の見栄で。
「『花』の麻薬成分に含有される強烈な幻覚作用は五感を鈍らせるなんてレベルじゃなく、食事に苦労する人民は空腹を忘れるためだけに手を出して爆発的に流行った」
そんな『花』が、この国で、また流行り始めた。
そう説けば、わかるかな?
少佐は、軽く世間話でもするみたいに尋ねて来た。
「この国で?」
「ここは、異民街が在るだろう」
民主主義を掲げる大尉の国は、世界の国々でも若く新興国と呼べた。法整備もまだまだで、国境と言うものも、きっちりと引いていても目が届いていなければ守られるものでも無い。
こう言う国には、往々にして世界から人が辿り着き住み着き易い。良くも悪くも。
そうこうしている内に、人と言うのは共通言語や出身、宗教で集まり出す。
有象無象のグループは膨れ上がり、国として纏まりを欠いている上に先の大戦だ。
戦災孤児に寡婦、傷痍軍人……戦災の爪痕で弾き出されたものに溢れ立て直しに必死な国家は、移住する異国人にまで公的機関の手が回っていないのが現状だ。
「……ええ、まぁ、……そちらには無いでしょうね」
「まぁねぇ。古臭い国は、古臭い国だけに統率が取れているからね……排他的なのは如何とは思うけど」
古臭い、如何と吐く割に、その微笑みには負の感情は見受けられない。戦後ならば、排他的なのは利点でも有るのだろう。……いや。
国家の在り方なんぞは本題では無い。異民街が何だって?
「何が言いたいのでしょうか?」
「『花』の密造場所が、その異民街みたいなんだ」
大尉は、飲もうとカップを持ち上げた手を止めた。
「異民街なら、余程でない限り紛れるのは簡単だろうからね。潜伏には持って来いだ」
まさに、木々に紛れる葉の如く。
「そう……ですか」
大尉は相槌を打つ。だからどうしたと言うのだ。率直に述べるなら、こうとしか言い様が無い。
大尉は軍人で在るが憲兵では無い。一教官なのだ。
「正確には移転した、と言うのかな────ねぇ、大尉。僕は、きみをとてもとても買っているんだよ」
突然の世辞に、大尉の体が強張る。英雄の誉め言葉なんぞ、警戒しないほうが不自然だ。
「それは……光栄なことです」
「うん、だからね……きみには、僕を手伝ってほしいんだ」
「はぁっ?」
素っ頓狂な声を盛大に出した。不敬だろうと仕方ない。
手伝ってほしい。戦争常勝国の、他国の英雄が、一介の軍人……しかも軍事学校の教官にだ。
額面通りの、単なる要望では有り難い。
「何で、」
「“リンデン”」
「っ、」
「きみと同じ軍にいた女性兵士の忘れ形見だってね? 頭も良いみたいだ。学校に入って早々で成績も優秀だし……浮浪児時代も、纏め役だったようだね。浮浪児の纏め役なら、『花』のことも知っているかな?」
歓談している風に、つらつらと少佐はリンデンの内情を連ねて見せる。
「リ、……そのことと、『花』の件に何の関係が、」
リンデンの名前を出し掛けて言い直し質す大尉に、少佐は目を細めた。
「今回の『花』は、異民より主に先住者……生活困窮者に流行している────浮浪児とかにも、ね」
取り分け薬の乱用に多いのは傷痍軍人などの傷病者だろうが、常に飢餓と隣り合わせの生活困窮者、浮浪児も手を出すのは想像に容易い。
戦争が完全に終わるまでは仕事の無い異民たちに蔓延していた麻薬類は、今や自国民の拠り所と言う訳だ。
「そう言えば、浮浪児には男娼もいたのだろう? この国では取り締まりの対象だったね」
まぁ、どこの国もコレは同じかな。悪魔のように囁く美しい面差しは、つるりとした貴婦人染みた肌も相俟って出来の良い仮面か人形みたいだ。中年に差し掛かった年相応の皺が在っても、損なわれる要素になり得ないらしい。
リンデンには、男娼の元締めと言う容疑で連行され掛けた過去が在った。無論、前歴にもなっていない、事実無根の濡れ衣だ。
だと言え、現今リンデンは軍事学校に通う生徒だ。軍事学校には中流や上流家庭の子も通っている。容疑を掛けられたと言う噂だけでも流れれば、優等生で教官の覚えもめでたいリンデンには、致命的とは行かないでも良いとは言えない。
少佐は、わかっていて、告げていた。
“断れば、リンデンの将来に影を差すことになる”
ましてや麻薬である『花』のことで聞き取りが在った、なんて流布されれば。
「……」
歯噛みする大尉に、とびきりの笑みを向けて少佐が尋ねて来る。
「どうかな? 養い親の大尉が直に動いてくれたなら僕としても、わざわざ軍学校に申し入れして面談を取り付ける手間も省けるんだけど────」
「相も変わらず汚いですねぇ、遣り口が」
丁度窓の間、横の壁へドンッ、と手を突くよう少佐と大尉の間を遮って、腕が差し込まれた。ボタンを留めていない背広が、少佐と一線を画すカーテンみたいに大尉の視界に下りる。
先刻まで完璧だった少佐の相好が崩れた。第三者の登場に、大尉と同様、瞠目する。だけども、大尉とは違い目を瞠ったのは一瞬のことだった。瞬時に気を取り直した少佐は、斜め上から見下ろして覗き込んで来る闖入者を、口こそ笑わせて睥睨する。
「……どこの『鼠』かと思えば……」
「チュー」
大尉からは草臥れたスーツの背を向けているので窺えないけれど、鳴き真似をしてフザケた闖入者は嗤っていることだろう。声振りで、嘲笑っていることが、よくわかる。
「どーもー。あなたの嫌いな、“鼠ちゃん”でぇす」
「ははは。自覚が在るなら、黙っててくれて良いんですよ?」
体勢を直し両手を広げてお道化るスーツの男に、余裕綽々だった少佐が明らかに苛付いていた。仕切り直しのつもりか、冷め切った珈琲へ口を付ける程には。し掛けた舌打ちを、抑えるためかもしれない。
「ライ」
スーツの男が呼ばれて後ろを見返る。三歩程度離れたところに大尉たちと同年代と思しき、コートに身を包んだ体格の良い男が立っていた。威風堂々と言う立ち姿は、只者では無い風格が在った。周囲を我知らず威圧する風体の男は、スーツの男を再び「ライ」呼んで、続けた。
「何よ」
「お前は、“鼠ちゃん”などと可愛いものではないだろう」
「……や! 突っ込むとこ、そこじゃないでしょぉっ?」
「……。チュー、とか鳴いて見せて正気か?」
いい歳放いて。真顔から、きゅっ、と眉間に皺を寄せ渋面になってコートの男が呻く。続けられた批評に思わず、スーツの男、ライが「っぅどぁああああっっっ!」叫ぶ。イマイチ、天然の本気か和ませる冗談か判別が付かない。
「あのさぁ! 俺が何してるか、わかってんでしょーがよ! 突っ込むなら、そこの腹黒性悪英雄殿にしろよ!」
「だって、お前が年も考えず気持ち悪いから……」
「そんなにっ? そんっな引っ掛かるくらい、気持ち悪いんかよぉ!」
んだ、その顔は! コートの男がする、しょも、っとした表情にライも猛抗議する。……と言うか。
帰りたい。大尉はずっと考えていたけど、ここに来て拍車が掛かる。帰らせてくれ。
混乱に乗じて、逃げたら駄目だろうか。大尉は、さっ、と目線を走らせる。ローレンス少佐と二人、テーブルを挟んで向かい合っていたときから、店内に客はおろか店員もいなかった。珈琲を運ばせてから人払いしていたのだろうとは、察してはいた。会話の中身を鑑みて、貸し切りにでもしたのだろうと。
だので、いるのは、ぎゃいぎゃいと騒々しいおっさ……もとい男たちに少佐と自分だけだ。……無理だな、と早々に却下する。大尉は瞑目した。
リンデン、今、何してっかな……。物理的退却をあきらめた大尉は最終的に、ならばと現実逃避を始めた。
大尉が逃亡を放棄して別のことへ思考を飛ばしていると、チッ、と微かな音が耳に入った。正面を見遣ると少佐はカップを未だ傾けていた。口元は傾けたカップで隠れているけれど、音の出所は絶対その辺だと大尉は確信している。とうとう、苛立ち抑止剤の珈琲を飲み干してしまったみたいだ。
「異民街の情報屋のみならず、自警団の団長まで来るとはね……異民街は、すこぶる平和なようだ」
少佐の言にピタリと言い合っていた……と言うにはライのほうが多弁だったが、とにかく、二人が止まる。白けた顔のライが鼻を鳴らした。
「そりゃあなぁ。ゼファーや俺や、自警団の団員たちが、がんばってっしねぇ?」
ライが嫌味と知りつつ胸を張って反らす。コートの体格が良い男こと、ゼファーは溜め息を吐いた。
異民街の情報屋ライと自警団のゼファーは軍内でも有名だった。大尉自身も面識は在ったが────よもや強国の英雄とまで繋がりが在るとは、顔が広いにも程が在る。
だけど二人は『異民』、詰まるところ、“移民”だ。
少佐の国と関わりの在る地域から移住して来たとすれば、何ら不思議は無かった。
「……」
ただし。
奇妙では在った。
黙し動じないゼファーは措いて、ライとローレンス少佐の態度だ。
少佐は慇懃無礼と言うか、飄々として如何にも人を食ったような言動をするが、誰に対しても丁寧で物腰は柔らかい。ある程度、私的な好悪に左右されない分別も持っていた。
片や歴戦の情報屋らしく神経を張り巡らせながらも、広い視野を保っているのがライの基本姿勢だった。この隙の無さを、軽薄さや道化染みた挙動で覆って。
その二人が、互いへの嫌厭を隠しもしない。
張り詰めた空気に、自分は緊張感に中弛みしそうだ。自警団の団長、ゼファーは平然としているけども。
帰りたい。己は一体全体、何時間こんなことに付き合わされているのか。
ともあれ、どうしてか険悪な少佐とライには、並々ならぬ因縁が在るみたいだ……知りたくはないが。
断じて、知りたくはないが!
「アンタが、悪巧みに人が好さそうな軍人殿を問答無用で引き摺り込もうとしてるって、小耳に挟んだものだからねぇ?」
人が好さそうとは俺のことか、と大尉。ライが小馬鹿にしたような笑い方をするけれど、少佐は目を眇めて笑い返すだけだ。眉は皺を作っても。
「悪巧みとは下種の勘繰りが過ぎるな……ただの協力要請ですよ」
「ただの協力要請に、子供は関係無いんじゃなーい? ……可愛いお宅のお子様と奥様が知ったら、ショックで寝込んじゃうかもよぉ?」
ライは喋りながら大尉と少佐の着くテーブルに座る。お子様と奥様、特に奥様の辺で妙に強調された少佐は、ふっ、と「行儀の悪い」一笑に付した。
「テーブルに座るなんて、元とは言え、およそ侯爵家の流れを持つ人間がする振る舞いじゃないですよ?」
少佐の非難に、ぎょっと目を剥いたのは大尉だ。侯爵家。この国に身分制度は無い。となれば、身分制度の在る国の、ライは出身と言うことだが。
ローレンス少佐は伯爵だったはずだ。実家の伯爵家を継いだのでは無く、功績に応じて男爵位から陞爵されたと聴いている。国同士の力関係でまた変わるだろうけれど、実家を含めても少佐より上の階級になる。ライは「はっ、」笑った。
「それ今関係無いし……国ごと潰したヤツが言っちゃ駄目なんじゃぁないの? ねぇ」
口振りこそ朗らかなライは、けれども様相は剣呑だ。
知りたくないと脳内で断固拒否していた大尉を余所に、少佐とライは相関図を詳らかにしてくれる。
国ごと潰した……大尉はライの発言から、無意識に自己の記憶を浚った。
自国も参戦した今回の大戦は勝敗は決したものの、潰れた国、まぁ早い話が解体されて統合された国だけども、そんな国は無かったはずだ。……一つを除けば。
大尉の国も少佐の国との共同戦線で参加した大戦は、中規模な戦局が二つと小さな戦争が幾つか重なった複合的なものだった。
一時の休みも無く、ドミノ倒しに重ね重ね連綿と続いた争いを引っ括めて、一つの大戦とした。
大戦の切っ掛けは国同士の小競り合いだった。
発端は、国家間での些細な行き違いだった。勉強不足の粗相がどうとか、謝罪がどうとか、誠意がどうとか。
ほんの、些細な諍い。どちらかが寛容になり、どちらかが折れれば済んだ程の。
だけれども、拗れに拗れたそれは点火された導火線と化し、他国の思惑に煽られ暴発した。
元を正せば、コレが狙いだったのだろう。
結果、一つの国名が地図から消え失せる。小さいとは言え一国を抹消した火種は弱火のまま燻り続け、ついには周辺国をも丸呑みにし、飛散した。飛び火は、遥か遠く海を渡って、国の大小問わず被弾する。
大戦期の幕開けだった。
少佐の国へ宣戦布告した、今は亡き始まりの国。戦端を開いた小国の消滅は、惨憺たる有り様を招いた。
「……まるで、ウチが悪いみたいな言い草ですね」
「アンタの国が悪いとは言わない。アレは善悪の判定が出来る代物じゃなかった」
頑是無い子供が、意地の張り合いしただけだった。周囲に焚き付けられて、身動ぎ出来なくなっただけの。
反響の大きさも、わからなかった。
「……。────今回の件だけど、」
唐突に、ライが話題を変える。
「俺たちも追い掛けてる訳。異民街のことなら、無関係じゃないからねぇ……
でさ?
秘密裏に処理したいのは、『花』の流出が、アンタのせいだから────か?」
「、……何を……」
「あの戦争で国が滅んだのは戦闘での被害より、大量の作物が病気になって枯れたことが原因の飢饉と、まるで狙い撃ちしたみたいに流行った薬……
────『花』のせいだからだよ」
ライが、ひたと見据える。少佐は苛立った面持ちを隠しもせず、深呼吸した。
「……アレが、僕の策だと?」
「『花』が横行し出したのは、あの凶荒で死人まで出始めていたときだ。……時期が良過ぎるでしょ?」
ライは少佐が、敵国で故意に植物の病を流行らせ、食糧難に陥らせたあとに国民を薬漬けにしたのだと語ったのだ。
「アンタの乳兄弟は庭師だったらしいじゃん。知識は在った訳でしょ? 不可能じゃないよね?」
不遜な笑みでライは少佐へ問うた。
「……」
ライの物言いを「莫迦らしい」少佐は一蹴する。
歯軋りが聞こえたのは、大尉の幻聴だったろうか。
「一つだけ、教えましょう」
ローレンス少佐が通る声で、言った。
「確かに、間違い無く僕は人間が嫌いです。身内以外が、どうなろうと知ったことじゃあない。
ですが……そのために植物を犠牲にするなんて、愚かなことはしません。
たかが人間に、そんな価値など在るものか」
情緒の削ぎ落された相貌。
無感動の両眼。
抑揚の無い声質。
真実だと証明するには、充分だった。少なくとも、この場にいる人員には。
ライが、はーっ、と息を吐いた。
「……まぁ、信じましょうかね?」
ライの返事に「偉そうに」少佐は毒付く。大尉は窓の外へ視線をやった。太陽が傾き始めていた。
茜色に染まり切る前に帰りたい。大尉の思惟が洩れた訳では無いだろうが。
「大尉」
ローレンス少佐が、大尉を呼んだ。
「はい」
「ところで、僕はまだ、きみの承諾を聞いていないんだけど」
「────」
そうだった。そう言う話だった。
急展開する状況に、うっかり忘却の極致だった。脳と心が保護しようとしてたな……うん。
にこにこと通常運転に戻った少佐に、今度は大尉が舌打ちを飲み下すために冷めた珈琲を呑下した。
・・・・・・
一方、数箇月前の、暗がりの室内。
月明りと酒気の満ちた中で、人影が大仰な身振りで名乗った。
「私は────私の名前は────
“レッドバド”
『バド』、と呼んでくれたら良いよ」
闇に同化した影で窺えない面容は、愉悦に歪んでいる気がした。
・・・・・・
戻って、茜差す珈琲の店。肘を突き組んだ手に顎を載せてローレンス少佐は微笑んでいた。
『花』を作ったのは少佐の国で、流出してしまったので回収したい。造っているのは異民街の何処かで、ライたちは放って置けない。
大尉は大尉で、浮浪児にも流行っていることからリンデンを天秤に懸けられている。
コレだけなら、どうにか免れそうだが……。
少佐に見詰められつつ、ここまで来ても逃げ道を模索して足掻いている大尉は、不意にテーブルの端に腰掛けているライが視角に入った。
若干、口角は上がっているが、眉尻が下がっている……? じっと、大尉を見入るライの顔付きに、やがて大尉は直感する。
「まぁ不本意だけど、こちらの内実も何と無く把握出来たでしょう。大尉」
────僕の立場とか、そこの情報屋の背景とかね?────表に出せない事由も。笑んだ少佐は晴れやかなのに、曇りの無さが却って恐ろしい。
「っ、」
やられた……! 最初から織り込み済みだったのだ。
芝居を打った訳では無いだろうけれども、途中に大尉を無視して繰り広げられたあの応酬は、然り気無く事情を暴露して一切の退身を封じる布石だった。
手の内を知ってしまった以上、辞去がゆるされるはずが無い。
大尉が苦虫を潰していると、自警団の団長ゼファーと目が合う。目線が交差したゼファーは大尉へ首を振った。横に。
言外に、あきらめろ、と告げられた。撤退は、絶望的だった。
「……まぁ、さ、」
内心で唸っている大尉に少佐が話し掛けた。
「良いじゃないか。何も、血腥いことをしようと言う訳じゃないんだよ。人殺しはもう飽きただろう? きみも」
「……」
良かないが。大尉は考えても反論はしなかった。
人殺しに飽きたのは、その通りだからだ。
「僕もね、好い加減うんざりしているんだ。もう腕が変色するようなことは御免だよ」
腕、で少佐の手首に焦点が行く。
少佐は両手に手袋を着けている。片方の手袋と袖の境界で垣間見えるのは、くすんだ銀色。
元は真珠色だった。
大戦の前。別の紛争が在った。大戦に比べれば小規模だったけれど少佐の初陣で、少佐が名を馳せる起点の紛争だった。
少佐はそこで、共に戦闘に従事していた乳兄弟と、片腕を失っている。
以来、少佐の片腕は義手だった。戦場に駆り出されるたび、真珠色だったコーティングは黒ずみ、変わって行った。
「僕はね、禍根を遺したくないんだよ。未来には、子供たちが笑顔で走れる花道だけが在れば良い。だから、
どんな極小の種だって、争いを呼ぶなら根絶やしにする」
ローレンス少佐は標準装備の微笑だったが、瞳は真剣で声音は真摯だった。
・・・・・・
バド、と自称した人影はスポットライト代わりに月光を浴びて、くるくる踊るように回り「あのね、」歌うかの如く喋り出した。
「私ね、苦しんでいる人たちを救いたいんだ!
だからね、
あなたの『花』が必要なんだぁっ」
くるくるくるくる。月下でステップを踏んでは、人影は高らかに宣言した。
「せっかく付けた“蕾”だもの……開花させないとね!」
くるくる回り終えると、人影────バドは一礼する。バドの奇行に唯一の観客だった男は、酔いは醒めたものの訳もわからないまま疎らに手を打った。
「開花させて、世界を花で満たせたら、きっと……」
男の拍手に、バドの呟きは掻き消されて誰にも届くこと無く暗闇に溶けた。
・・・・・・
大尉は、些かも納得はしていない。嵌められた感が否めないゆえだ。
……だって言うのに。
“禍根を遺したくないんだよ。未来には、子供たちが笑顔で走れる花道だけが在れば良い”
腑に落ちてしまったのだ。
“どんな極小の種だって、争いを呼ぶなら根絶やしにする”
共感してしまった。ローレンス少佐の行動理念に。
「さっきから言っているけど、血腥いことをしたいんじゃない。作戦目標は、あくまで“壊滅”。関係者の捕縛が勝利条件だ。協力してくれるよね?」
少佐が手を差し出す。手は、義手じゃないほうだった。
「……」
深く呼吸すると、握手を求められた大尉は、手を無言で握り返した。少佐の笑みが深まった。
「これから、よろしく────
アルダー大尉」
大尉は、ご満悦なローレンス少佐と「あーあ」と言いたげに苦笑するライ、無表情に憐れみを滲ませるゼファーが映る視界と共に、強制的に舞台に上げられたことには目を瞑ることにした。
【 了 】




