イーサンのひとり言
短編「姉に突き落とされて記憶喪失になった私が幸せになるまで」の番外編になります。
今回から、ベアトリスはメアリに統一しました。
「おかえりなさい、メアリちゃん!」
「よく帰って来てくれた、メアリ。待ち侘びたぞ」
ペンブルック公爵と公爵夫人はメアリが玄関ホールに入るなり飛び付いて出迎えた。
「もしかして、記憶が戻ったらエルニアンに残ってしまうかもって、私達、本当に心配していたのよ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、お父様お母様。記憶は戻りましたけれど、私はもうメアリ・ペンブルックですわ。私の家はお二人のいらっしゃるここですもの。帰って来るに決まっているじゃありませんか」
「そうかそうか。そうだな、メアリはもう我が家の大事な娘だからな。もちろん信じていたとも」
メアリを取り囲んでキャッキャ言っている両親を見ながらイーサンはため息をついた。
「一応、お二人の長男も一緒に戻ってきているんですけどね」
「あらごめんなさい、イーサン。お勤め、ご苦労様でした」
公爵夫人はにこやかに労うと、すぐにメアリに顔を戻した。
「さあさあ、疲れたでしょうからお茶の時間にしましょう。イーサン、あなたもいらっしゃいな」
「メアリ、美味しいお菓子を外国の大使から貰ったのでな。一緒に食べようと待っていたのだよ」
(いやはや、両親がこんなに甘々でお喋り好きとは思っていなかったな。男ばかり四兄弟で、しかも全員、思春期以降は家では無口になってしまったから仕方ないか)
メアリが来てくれたことは我が家にとっても良いことだったと考えながらイーサンは三人の後を付いて行った。
部屋には、すでにお茶の準備がされていた。
「お帰り、メアリ」
「姉さん、お帰りなさい」
弟達も口々にメアリを出迎えた。二十一歳のイーサンを筆頭に、十九、十六、十三歳の四兄弟だ。メアリは十八になったばかりなので、ちょうど真ん中になる。
(食事はともかく、お茶の時間に全員集合なんてことも、メアリが来てからだ。下の弟達もメアリに懐いてくれている。娘が一人いるだけで、こんなに柔らかな雰囲気になるものなのだな)
メアリはエルニアンのお土産を家族一人一人にそれぞれ違う物を選んで買い求めていた。エルニアン出身だけあって、『お土産として有名ではないが優れている物』を知っており、皆、喜んでいた。
(家族にお土産という発想は今まで私には無かったな。女性ならではというべきか。しかも使用人達にもお菓子を買ってきている。彼らに慕われるのも分かるな)
楽しげに話しているメアリと家族を見ながら、イーサンはエルニアン滞在中のことを思い返していた。
(メアリにとっては辛い滞在だったろう。アーネスト殿下が片時も離れず支えていたから乗り越えられたのだ)
エルニアン国王の誕生日パーティーで、メアリはベアトリス・アランソンとしての記憶を取り戻した。
そしてそれは、実の姉を殺人未遂で告発するということを意味していた。
もちろん、メアリを軍に呼び出して事情聴取するなどということはなく、滞在先のエルニアン宮殿客間にて、女性将校による穏やかな聴取ではあった。
しかし、殺されそうになった時のことを詳しく述べなければならず、その時の恐怖がよみがえって言葉に詰まる場面もあった。
また、姉デボラとの関係性などを説明する必要もあり、幼い頃の思い出を話した時には涙を堪え切れずアーネストと共に席を外すこともあった。無理もない。悪い思い出ばかりではないのだ。
聴取のあった当日はさすがにメアリも精神的にこたえたようでベッドで休んでいたが、翌日、『行きたい所がある』と言った。
「お母様のお墓に行きたいのです」
メアリの母の墓は郊外の領地内、見晴らしの良い丘の上に父と並んで建てられていた。
花を手向け、長いこと祈りを捧げていたメアリは、ようやく微笑んだ。
「アーニー、イーサンお兄様、ありがとうございました。これで思い残すことはありません」
墓を訪れる前、メアリはアランソン家に立ち寄っていた。使用人達はみな涙を流して出迎えた。その時に、メアリは母の部屋から櫛と手鏡だけを持ち出して来た。
「爵位を継ぐことになった方に、これだけは持ち出す許可を得ましたの。母の形見として、大事にします」
そしてその後、墓に向かったのだ。
「本当にもう、大丈夫か?」
アーネストの問いに、メアリは答えた。
「はい、大丈夫です。さあ、ガードナーへ帰りましょう。私の大切な家族が待っている、ガードナーへ」
今、メアリは明るく笑っている。だがその瞳に以前は無かった悲しみの影が宿っていることをイーサンは感じていた。
(記憶を取り戻す前は明るく可愛らしい少女だった。だが今は、悲しい過去を胸の奥に抱いて生きていくことを決めた一人の女性へと変化した。あの影は消えることはない。だが、それが大人になるということなのだ)
きっとそれに気づいているであろう両親の明るさに、救われる思いになるイーサンだった。
翌日、アーネストと共に国王陛下にお会いすることになっているメアリを、イーサンは馬車で送り届けた。
「メアリ! 昨日はよく眠れたか?」
「ええ、アーニー。やっぱり我が家は落ち着きます。ね、お兄様」
にっこり笑ってイーサンを見上げるメアリに、イーサンも目を細めて頷いた。
アーネストは安心したように笑顔を見せるとこう言った。
「父上も早く会いたがっている。今朝、参上してきたペンブルック公爵に、メアリからの土産を見せつけられてな。地団駄を踏んで悔しがっていたぞ」
イーサンは内心でため息をついた。
(何でわざわざ見せつけるのかな、父上は。陛下が悔しがるのをわかっていて、ワザとやってるんだろうけれど。幼い頃からの友人でもある二人だから許されることだな)
「ちゃんと、陛下にもお土産をお持ちしましたわ。気に入って頂けるといいんだけど」
「メアリから貰う物なら、その辺の石ころでも嬉しいはずだ、父上は」
(いやさすがにそれはないでしょう、アーネスト殿下)
と、心の中で突っ込みを入れながら、イーサンはアーネストが以前より人間らしくなったと思った。
(優秀で隙がなく非の打ち所がないアーネスト殿下を、私も含めて臣下達は憧れ、敬い、崇拝して、まるで雲の上の……そう、天上人のように思っていた。知らぬ間に垣根を作ってしまっていたのだ。だがメアリは記憶を失ったがために身分を超えた出会いをして、その垣根を易々と超えてくれた。表情が豊かになったアーネスト殿下は前にも増して魅力的だ)
イーサンはうっとりとアーネストを見つめていた。
「お兄様! また、気持ちがダダ漏れになっていますわよ」
メアリに耳元で囁かれ、イーサンはハッとして顔の緩みを正した。
「しまった。つい」
「駄目ですよ、切れ者の側近がそんな萌え萌えした可愛らしい顔をしていちゃ」
「すまん。以後気をつける」
実はイーサンにとってメアリはアーネストへの想いを分かち合う友でもあった。二人きりの時はいつも、アーネストの良い所を言い合ったり、今日こんな事があったと報告し合ったり。好きなものについて語り尽くせることがこんなに楽しいとイーサンは初めて知ったのだった。
(メアリには本当に感謝している。来年、二人が結婚したら、私は……義兄! 臣下でありながら、殿下の義兄でもあるのだ! 勿論、『兄さん』と呼ばれることなどあるわけないが……)
妄想してニマニマするくらいはいいだろう、と思っていると、メアリに肘で軽くつつかれてしまった。
気がつくとアーネストが身支度を終えてメアリの手を取ろうとしているところだった。
「じゃあそろそろ、父上のところへ行こうか」
「ええ、アーニー」
「行ってらっしゃいませ、殿下」
真面目な顔をして恭しく礼をするイーサンを部屋に残して、二人は国王陛下の私室へと向かって行った。
(きっと国王陛下も王妃様も、メアリを甘々に歓迎するんだろうな。今日帰ったら、今度は私の父が地団駄踏むんじゃないか)
想像してフフッと微笑みながら、イーサンはエルニアン出張で溜まった書類を片付けるために仕事へ向かった。
イーサンとアーネストのどちらかわからない表現がありましたので、該当部分を変更しました。ご指摘いただいた方、ありがとうございました。
誤字報告いただきました。早速訂正いたしました。ありがとうございました。