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アルバム

 錆つき、雑草に覆われた言われなければわからないような線路に沿って僕はここまで歩き続けてきた。

 僕は今、板張りの駅とも呼べないような小さな乗降場の上に立ってあたりを見回していた。

 この北野大地に唯一残る東の小さな町から、どこか人のいない、できるだけ遠い場所へという一心で西へ西へと続く廃線跡をたどり続けて一週間がたった。どこまで歩いても変わらない、どこまでも続く草原の中に思い出したようにたまに森や丘が現れる。そんな風景の繰り返しだった。

 日が傾いてきた。じきに夜がやってくる。どこかに宿になるような場所はないだろうか、と目をこらした。

 遠く夕日に照らされた線路の先にそれに寄り添うように木造の建物が何軒か建っているのが目に入った。まだ距離はあるけれども暗くなる前にはつくことができそうだ。人が住んでいないことを祈りつつ線路の上を歩きだした。

 いつしか気づかないうちに少し足早になっていることに気付き、ため息交じりに小さく笑った。

 小さな集落のようだった。どれも平屋で長い間人が住んでいないのだろう、風雪にさらされ、どの家もボロボロだった。雨が降ったらと不安になったが野宿よりはましと心を決め一番状態の良さそうな家の戸を引いた。鍵はかかっていたけれど強く引くと嫌な音と共に戸が開いた。

 中は意外にも綺麗だった。床には埃がたまっているものの、雨に浸った形跡はなかった。玄関の靴入れの上には残されたいくつかの靴が夕陽の中にさみしそうに沈んでいた。

 いくつかの部屋を見て回った後、小さな部屋を寝床に決め、畳の上に背負ってた荷物を下ろした。辺りはかなり暗くなっていた。荷物からランタンを取り出し、灯りを点け使えるものを探そうとまずは台所に向かった。

 マッチ箱が三つ見つかった。中身も湿っている様子はなく使えそうだ。

 それをポケットに突っ込み、外に出た。物置の中を物色しているとごちゃごちゃと汚れたスコップや農具の奥に赤いポリタンクに入った灯油があった。全部は持ち運ぶことができないので家の中にある鞄から飲み水の入っていた今は空である1リットルペットボトルを持ってきてそれに入れた。ポリバケツを物置の中に戻すか迷ったが面倒なのでそのまま外に放置した。外の闇の中ではもう夜の虫が鳴き始め、空にはいくつかの星が輝いていた。

 先程の畳の部屋に戻り、その部屋の棚を物色していると奥の方から一冊の本が見つかった。何だろうと思い手に取るとどうやらアルバムのようだった。

 畳の上に腰を降ろしちょっとした好奇心でそれを開いた。するとそこには若い男女が着物姿で写っていた。二人ともこっちを向いて微笑んでいる。随分古いものらしく白黒写真で、日付は60年も前だった。

 それからしばらくその二人の写真が続いた。どの写真でも二人は笑顔だった。嫌なことなど何もないかのように、写真の中で二人は幸せそうに笑っていた。

 1ページ空白のページがあった後に収まっていたのは小さな女の赤ん坊の写真だった。場所はちょうど、この場所のようでこのアルバムの入っていた棚が後ろに写っている。そしてカメラに興味があったのか、こっちをぼんやりと眺めていた。

 父親が子供に、わかるはずがないのにこっち向いて、ほらほらと言ってカメラを構えている。母親もこっちだよと手を叩いている。子供は座りながらそんな声には無関心に母の方を向いていたがカメラに気付き、それに興味を示す。その瞬間を逃さないように父がシャッターを切る。そんな光景が不意に頭に浮かんだ。ふと、時に忘れ去られたはずのこの薄暗い部屋から人の暖かさを感じた。何故か、僕は少し哀しくなった。

 ページをめくるにつれ、娘はどんどん成長し、両親は少しずつ老いていった。そしてはじめてのカラーの写真の中に父はここではないどこかの無機質な部屋のベットの上で不釣り合いな青空を背に目をそらして苦笑いしながら写っていた。

 そしてそれから、父が写っている写真はなくなった。

 それ以降、次第に写真の示す日付はとびとびになっていった。そして何故か、どの写真でも母の顔は少し沈んでいるように見えた。

 2年間間隔が開いた写真には娘が優しそうな、少し気の弱そうな男と二人で写っていた。このアルバムの最初の一枚と同じように二人とも着物姿だった。次の一枚の中で二人は大勢の人に囲まれていた。どの人も笑顔だった。もちろん母も笑顔だった。しかしやはりそこから僕は先ほどよりも強い寂しさを感じた。

 次のページの、それから4年後を示している写真には先程の赤ん坊そっくりの赤ん坊が写っていた。同じようにこの場所で、同じようにこっちをぼんやりと見つめている。写真がカラーでなければわからない位にそっくりだった。

 それ以降写真は定期的になっていった。その中で同じように孫はどんどん成長し、娘は少しずつ老いていき、母も少しずつ老いていった。

 1枚、不定期に現れた写真の中で、母は娘と大きく成長した孫と写っていた。母は車いすに乗っていた。場所はこの家の玄関の前のようだった。もちろんボロボロではなく、それでも確かな年期を感じた。空の色は心なしか明るい気がした。そのせいだろうか、この写真に写る家はここと違う場所のようだった。母は最初の一枚と比べるとはっきりと、当然のことだけれども、老いていた。その姿から寂しそうな、けれども幸せそうな、なんとも言えない雰囲気がした。

 その一枚を最後に、アルバムは終わっていた。


 本を閉じた。すると、ただの一夜の宿のはずのこの家が違うものに見えた。この消え去る時を待つ家から、ぼんやりとした暖かさのような何かを感じた。

 ポケットからマッチ箱が落ちた。あ、と思い、それを拾った。そこには赤い鳥の絵が描かれていた。そして火を点ける部分はこすれてすり減っていた。この写真に写る母がストーブや、仏壇や、もしかすると娘と一緒に花火をする時なんかにもこのマッチをつかったのかもしれない。そういう積み重ねられた思い出のしみ込んだものを何もしらない自分がここからそれを持ち出して適当に使い、適当に捨てる。思い込みなのかもしれない、とは思った。きっとそうなのだろう。そして自分は思い出を全て捨てる覚悟をしてここまできたのではなかったのか。ならば何故いちいちそんなことを考えるのか。それでもやはりマッチを使うことも、ポリバケツをあのまま外に放置することもできそうになかった。

 そしてふと、いいな、と思った。母は父が死に、娘が結婚して毎日を孤独に過ごしていたかもしれない。それでもこの世界の何処かには大切な人がいた。毎年律儀に訪れてくれる娘の家族がいるから本当の意味での孤独ではなかった。

 

 突然遠いどこかの光景が頭に流れた。

 そこで1人の女が毎朝ポストを確認していた。欠かすことなく毎日。何も入っていないことがわかると少しうつむき、しかしすぐに表情が戻る。そして日常へと戻っていく。しかし、そこには大きな穴が開いていた。

 ある日、自分にそっくりな誰かがうつむきながら玄関の前に立っている。チャイムを押そうかどうしようか決めかねている。そんなとき、中から先程の女が出てきて自分そっくりの誰かを見て目を見開き、その場で泣き出す。それに驚いた男が家の中から出てきて自分に似た誰かを見て驚きふるえながら馬鹿野郎、と呟く。自分に似た誰かは次に続くであろう怒鳴り声に怯えるが、いつまで経ってもそれは飛んでこない。二人はその場で泣き続ける。自分に似た誰かは何かを言おうとした。言葉にならない。それでも、言わなくてはと思う。視界がゆがむ。だめだと思う。自分は泣いてはいけない。それでもこらえられない。そしてかすれた声で――――



 畳の上に置かれたランタンがどこまでも広い闇の中で小さく僕を灯していた。窓の外には真っ暗な荒野が広がり、風に揺れる草の音と虫の音が大地を満たしていた。

 僕は呆然と辺りを見回した。ぽつん、と太ももの上にあるアルバムに雫が落ちた。降り出した雨のように後に続いてまた何粒かが落ち、本を濡らした。

 ごめんなさい、と小さくつぶやいた。ほとんど声になっていなかった。

 もう止めることはできなかった。

 

外では草と虫の音が悲痛な叫びをかき消すようにこの大地に響き、空には大きな満月と星が、優しく包み込むように輝いていた。

読んでくださり本当にありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
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