少女へのおくりもの
「変わんないな」
と、ルカは辺りを見回しながら独り言ちます。彼は故郷のまちを歩いていました。
ルカのもとに届いていた母親からの手紙。そこには、
「ルカへ。元気かしら? きちんと仕事はこなせている? 忙しいとは思うけれど、連絡してくれないので少し寂しいです。暇があればこちらにも来てちょうだい。ルカからの手紙を待っているわ」
という内容があたたかな文字でつづられていました。都へ出て変化してしまった彼ですが、母親への愛情が消えてしまったというわけではありませんでした。一番に考えなくなったというだけで母親の存在は心の底にあり、変わらず愛していました。その手紙を受け取った彼は仕事を何日か休み、母親に会いに故郷へと帰ることにしたのでした。
懐かしい家の前に到着すると、彼は目を細めて家を見つめました。
彼が初めて力を使った日、雷で破壊してしまった天井はきれいに直されています。ぼろぼろだった家はそのこじんまりとした形は変えず、けれど彼が旅立った日よりもきれいになっているように見えました。
「母さん、ただいま」
ルカはそっと戸を手前に引きます。しかし、予想していたはずの懐かしい声は聞こえて決ません。
「急に来たから、出かけてるのか?」
母親がいないとしてもここは自分の家。
「入るよ」
とだけ言うと彼は一歩家の中に踏み入れました。
家の中では、母親の得意料理であるスープの匂いが充満しています。彼は首を傾げました。スープは火加減が大切だから、と絶対に外出していなかったはず。それなのにどうして彼女の声は聞こえてこないのでしょうか。料理に夢中になってしまっているのでしょうか。
ルカが今にたどり着くと、そこには信じられないような光景が広がっていました。
床に倒れている彼女の胸からは赤い液体が流れでています。その液体は母親の服の上ににじみ、さらには家の床も濡らしていました。
「母さん!?」
慌ててルカは駆けよりましたが、母親はすでに事切れているようでした。力の抜けた体はぐったりと横たわり、虚ろに開かれた、ルカと同じ色の瞳はもう何一つ映していません。表情に残された苦悶と胸の刺し傷は、彼女が何者かに襲われたことを示していました。
「どうして……母さんが⁉︎」
彼女から溢れ続ける真っ赤な血は、彼を無力感と絶望感に誘い込みました。少し前の「あいつ」が家に訪れたときを思い起こします。そしてすっかり忘れていた、力を欲した理由を彼は思い出したのでした。
「ぼくは、母さんを救って幸せにするために力が欲しかったのに……」
なぜこんなことになってしまったのでしょう。どうして自分は母親を守るために力を使えなかったのでしょう。だれが、どうして。なぜ彼女が。彼は自分自身を責めました。ぎゅっ、と唇を噛みしめます。
「こんなことになるのなら、おくりものなんていらなかったんだ」
ふと目を落とすと、母親の傍らに紫紺の髪の毛が落ちていることに気がつきました。はっと立ち上がり、それをつかみます。
もしかしたら、と考えた彼は紫紺の少女を求めて家を飛びだしました。彼を突き動かしていたのは憎しみでも憤怒でもなく、言いようのない哀しみと後悔でした。涙はこぼれず、けれどその分、彼の心の中に感情がたまっていくようでした。
「はぁ、はぁ……」
息が切れ、走り疲れてきた彼は足を緩め、歩きはじめます。あの少女は母親の死に関わっていないかもしれない。そんな考えに至ろうとしたとき、彼の目に紫色が飛びこんできました。
道端で、紫紺の少女が座りこんでいました。彼女は小さく自分の体を抱えています。放心したように虚空を見つめ、その手には血塗れのナイフが緩く握られていました。
「見つけた」
ルカの声に少女は顔をあげました。彼の姿を認めると、怯えて自分の体を固く抱きしめます。
「ご、ごめんなさい……でも、ころさないで」
少女はルカからそっと遠ざかります。彼女の様子を見て、ルカはぎゅっと両手を握りしめました。
「このあいだは、きみにひどいことをしてごめん。もう、そんなことをするつもりはないから、少しだけ話を聞いてくれないか?」
少女はルカの言葉に動きを止めます。
ルカは少女の存在を探してはいましたが、見つけた先のことは全く考えていませんでした。母親を殺したのが彼女だったとしても彼女に報復する気はありませんでしたし、どんな言葉をかければ良いかも分かりませんでした。どうしよう、と目を伏せます。
そうして脳裏に浮かんできたのが、おくりものをしてくれた男の存在でした。
「ぼくには使いきれないものだったみたいだけど」
と、彼は自分の手を見つめます。
「勇ましいきみにこそ、ふさわしいものなのかもしれない。蛮勇でなく、勇気をそなえたきみにこそ」
「なんのはなしですか……?」
「ぼくみたいにならないようにってことだよ」
少女を安心させようと微笑んだルカに、彼女は軽蔑の視線を送りました。
「あなたのような人になるわけないじゃないですか」
「ぼくもそう思うなぁ。でも、気をつけてね。ぼくからのおくりものは、きっと使いかたが難しいから。でも、きみを救えるかもしれない」
突飛な話に少女はただただルカのことをみあげます。
ルカは、この話の意味が理解されなくても良いと思っていました。自分のように忘れ去ってしまわなければ、心に留めてさえいれば、この助言は彼女を救うことができる。そう考えたのです。
ルカは少女のもとへ踏みだします。急に近づいた彼の存在に、少女は体を強張らせました。
ルカのくちづけが少女の額に降りました。
「きみに祝福を」
***
その後のルカの行方は誰も知りません。
おしまい。