堕落
ルカは今日も見回りに出ていました。
彼が都へ来てから季節は一つうつり変わり、冷たい風が吹きつけます。彼は都を見回るという仕事にも慣れてきていました。来たばかりの頃は都の喧騒にと怯えていましたが、今では酒場や娼館の常連に。そして、もう一つ最大の変化がありました。
彼は都のすみまで目を光らせるようにして歩き回ります。けれど、その瞳には母親を脅した「あいつ」に似た傲慢や嘲りが宿るようになっていました。
都にも彼のような力を持つものは少なく、丁重にもてなされていました。けれど、故郷でも親しい友人のいなかった彼は、都でさえ友人を作ることはできませんでした。力を持っているから、と周りから線引きされたような疎外感を感じていました。そんななかで、けれどなにか特別なきっかけがあったわけでもなく、彼はしだいに変わっていたのでした。
彼の視界の端に少女が泣き叫んでいるのが映ります。
「もうやめてくださいませんか……!」
酒場の前で彼女は店主と話しているようでした。その酒場には何回かルカも行ったことがありましたが、店主とは面識がある程度でした。
「お金は働いて稼ぎますから、どうかこれまでの失態はもうお許しください。こんな罰を受けるほどのことをしたつもりはございません」
彼女の白く、細く痩せた腕にはあざがいくつか浮きあがっていました。紫紺の髪はひどく痛み、不格好に肩のあたりで切られています。
「俺はやめてもらってもいいんだぞ」
「そんな、それだけは!」
彼女のか細い、金属線のような声が響きます。その音にルカは顔をしかめました。
ルカは少女と店主の方へ足を向けます。軍人が近くにやってきた、ときづいた彼女は表情を明るくさせました。しかし、
「煩いから静かにしてくれないかな」
彼は蔑みの目を少女へ向けます。
「……え?」
彼女はルカの言葉を理解できずに彼の姿をみあげました。髪と同じ紫紺の瞳がルカを貫きます。
「だから、静かにしてくれって。昼間っからこんなに騒いで、人の迷惑も考えられないの? 煩いんだよ、君の声」
けれど、ルカは彼女の痛ましい様子を気にすることなく、冷たい声で言い放ちました。
「だからさ、僕に迷惑かけたんだから、その分もこの人の言うことに従った方がいいんじゃない?」
「え、なにをおっしゃっているのか、わかりません」
固まったままでいる少女に対して、彼はさらにこう言い募ります。
「え、分からないの? 人の話を理解できないからそういうことになるんだよ? じゃあ、きみのために見せてあげようか」
そしてあの青白い雷光をその手に宿し、少女の目の前に突きつけたのでした。彼の顔にはにやりとした笑みが浮かんでいました。
「きゃっ……!」
いきなりのできごとに彼女は道路にへたりこみます。
「これがきみの体に当たったら、どうなるかくらいは分かるでしょう? ぼくに迷惑かけた分、この人の言うとおりにしてみなよ」
「ルカ殿もこう仰っているだろう? ルカ殿の力は奇跡の力。そんな力を持つ方に逆らう、なんてことがおまえにできるはずない」
自分に味方が現れたということにようやく気がついた店主は、ルカに同調しはじめます。
そもそもが強大であるこの奇跡の力ですが、神に与えられた力だとも人々にささやかれていました。特にルカの落とす雷は、神の怒りをあらわしているのだと。
実際は彼の好きなように扱えるこの力でしたが、どんな使い方をしようとも誰もなにも言おうとしないのが事実でした。そう、ルカを隊に呼びよせたアルムでさえも。ルカは次第に自分こそが神であるような錯覚に陥っていたのです。
実際、少女に対して力を見せつけている今も、足を止めたり彼女を助けたりしようとする者はひとりも現れませんでした。
「奇跡の力……私は神様にも見放されてしまったのでしょうか? 神よ、あなたは私など生まれてくるべきではなかったと思っていらっしゃるのですか? それとも、この逆境に耐えることが私の試練なのでしょうか? ――いえ、私はあなたが望まれるように生きればよいのですよね」
目を伏せた彼女はそう小さく呟きました。
「おい、おまえなにぶつぶつ言ってるんだ?」
店主は苛々と少女の肩を揺さぶります。彼女はそんな店主の顔をしかと見据えると、
「なんでもございません、失礼しました」
とどこか朗らかな顔で謝罪します。彼女は自分の身に起きていたことについて、吹っ切れてしまったようでした。
「今までの数々の失態、お詫びいたします。どんな罰でもかまいませんから、ぜひお店で働き続けることを許してください」
「そんなんじゃ誠意がたりねぇぞ。ですよね、ルカ殿?」
店主がルカの方を見やります。しかし彼女の様子をどう思ったのか、ルカは振り返りもせずにその場から立ち去ってしまいました。
***
むしゃくしゃしながら家にたどり着いた彼は蹴って自室の扉を開けました。
少女を困らせ追い込むことで、たまった鬱憤をはらそうと彼は考えていました。しかし、彼の行動で逆に彼女を開き直ってしまったようで、これでは本末転倒でした。忌々しい紫紺の少女の姿が、未だ目に焼き付いています。
机の上に置かれた手紙の存在に気がついた彼は、手で破ってその封を開けます。ひらり、と机上に舞いおりたのは懐かしい母親の字でした。