こうなったらやることは一つ
ガララッ
店から出て、しばらく歩き人通りの少なくなったところで……ヒスイは足を止める。それまで、三人の間で会話はなかった。なんとなく、ヒスイに話しかけにくい雰囲気があったからだ。
だが、彼女が足を止めたことで二人も足を止め……アニーシャは口を開く。
「それにしても、すごい食べっぷりでしたよヒスイ様! あんなにおいしそうに食べる人、初めて見ました!」
それは、まぎれもない本心だ。これまでアニーシャは、ヒスイのことを食い意地が汚いだけの女だと思っていたのだが、その認識は間違っていたらしい。
あんなに美味しそうに食事をする者など、見たことがない。それはアニーシャが、聖女という立場を置いてもだ。
聖女は基本、質素なものを食すし、あんな豪快に食べる人はまずいない。今回あの店に入れたのだって、ヒスイのお付としての役割があったからだ。
「私も、驚きましたよ。それに、よほど口に合ってくれたようで、嬉しいですよ」
ジェイドは別の角度から、嬉しそうだ。自分が紹介した自慢のお店、そこの料理を褒められたのだ。料理を作っているわけでもないのに、鼻が高い。
「これまでの食事に満足いってなかったようですが、ようやく、満足できるほどの料理に巡りあえて……」
「……ずい」
「へっ?」
舞い上がるアニーシャ。そんな彼女を見て、今まで無言を貫いていたヒスイは一言……衝撃的な一言を、言い放った。
「まっずい」
そう……衝撃的な一言を、言い放ったのだ。
その言葉に、単語に、アニーシャもジェイドも、開いた口が塞がらない。
「え……ま、まず……?」
「いやー、まずかったよー。なにあれ、もちもちどころかにちゃにちゃして歯にくっつくし。スープも濃厚すぎて吐き気がしたよ。なによりあの麺とスープ……この二つの相性が抜群に絡み合って、抜群のひどさだった」
先ほどまでの無言の姿勢はどこへやら、その表情を破顔させたヒスイは、先ほどのラーメンの感想を口にする。
とても、あんな美味しそうに勢いよく食べ物を食べていた人間とは思えない。
「でも、残さずに、食べてたじゃないですか……」
「食べ物を残すなんて論外。どんなものでも完食する、これ私のモットーね」
最後まで食べたのは、不味い云々の前に、ヒスイ自身の問題であったらしい。それにしたって、店内の人間の士気が上がるくらいの迫力があったが。
「ま、不味い……? ヒスイ、本気で……?」
ヒスイのまさかの衝撃告白……この場でそれに一番の衝撃を受けたのは、アニーシャではなく間違いなくこの男だ。
なんせ、自信を持って紹介した料理が、ボロクソ評価だったのだから。めっちゃうまいと思わせられたと思ったら、めっちゃまずかったのだから。
「ジェイドには悪いけど、ね。ただ、今までこの世界で食べたものの中では、ダントツに美味しかった。それは認めるよ。でも……違う、違うんだよ。こんなの、違う……」
「この世界?」
「なななんでもないですぅ!」
ジェイドは、ヒスイがこの世界の人間でないことを知らない。別に知られてなにがまずいというわではないのだが、説明するとややこしくない。
そんなアニーシャの想いを知らず、ヒスイは見るからにがっかりと肩を落としている。
「はぁ……ジェイドのおすすめも、この程度か」
「あの、なんだか今喧嘩を売られませんでしたか?」
「気のせい気のせい!」
この世界のおすすめがあの程度では、もはやこの世界の料理に期待できないも同じ。私はこれから、美味しいもののない世界で生きていくのか? 嫌だ!
魔王退治云々よりも、美味な料理がない現実に耐えられないヒスイであった。
「料理、不味い、美味しいもの、ない……」
「あの、ヒスイさ……」
「そうだ!」
「まぁ!?」
何事かまるで呪文のようにぶつぶつ言っているヒスイが心配になり、顔を寄せるアニーシャだが……そこでいきなり、大声を出されたものだから耳に響く。
傍で高い声を出されたのだ。耳がキーンとする。
「ど、どうしたんです……」
「かつて偉い人は言った、多分。美味しいものがねければ、作ればいいじゃない! 私が美味しいと唸る料理を、私が作ってやる! そして、まずはこの国の人に、本当の料理を教えてあげる! 私は、美味しいものを作って店を出す!」
突拍子もないヒスイの発言に、またもアニーシャとジェイドは開いた口が蓋がらない。しかも、ただ突拍子がないのではない……すさまじく、突拍子がないのだ。
美味しいものがない、ならば作ろう……その発想になることが、まず考えられない。なぜなら、まず不味いなんて感じたことがないから。
「……あのお料理を美味しくないだなんて、ヒスイ様の元いた世界ではどれほどのお料理が……」
そう呟くのは、アニーシャだ。ヒスイのように豪華に食べなかったにせよ、美味しいと感じてはいた。それを、今まで食べてきたこの世界の料理では一番と評しながら、それでも不味いと言ったのだ。
ヒスイを唸らせるほどのものが、あったというのか、彼女の世界には。興味が、湧いてくる。
「ぷっ……あっははは! 面白い、面白いですよヒスイキミという人は!」
そこへ、なにがツボにはまったのか笑い出したジェイド。彼は目に涙を溜めながらも、続きを話す。
「美味なるものを作る、ですか。ぜひ私も協力させていただきたい」
「お、ジェイドさんも乗りますか!」
「えぇ。紹介したおすすめの一品を不味いと言われてはね。キミが唸る料理はどれほどのものか、見てみたい」
どうやら、先ほどのラーメンを不味いと評価されたことが気にかかっていたらしい。意外に気にするタイプなのか。
盛り上がる二人であったが、それに参加できない者が一人。
「な、なにを盛り上がってるんですか!」
「なに」
「なに、じゃないですよ! お料理を作るのはともかく……お、お店を出す!? なんでそんな発想に!?」
「だってそうしないと人々に料理の美味しさを伝えられないでしょ」
一度や二度、自分が満足するだけのものを作ったのでは意味がない。もはやこれは、ヒスイが満足すればいいというだけの話ではない。
この国の、いや世界の人間に、本当に美味しいものを教えてやりたい。その最初の一歩として、この国で店を出す。
この国の人間の、胃袋を掴む!
「いやいや、だめですよ! ヒスイ様には、魔王を倒すという使命が……こうしている間にも、魔王軍の侵攻は進んでいるんですよ!? お店なんて出してる場合じゃないです!」
「うぬぬ……」
必死に訴えるアニーシャ。魔王とか倒すとか、そんな使命は勝手に背負わせようとしているだけだが……確かに、魔王軍とやらに攻められるのはまずい。
そうなれば、せっかく出した店も潰されてしまうし。かといって、勝手に召喚した奴らのために魔王討伐なんかに参加する気はない。
どうすれば……
「魔王軍のせいで料理が出来ないということですか?」
「うーん、そういうことになりますね……」
「なら私から、魔王様に頼んでみますよ。美味なるものを作るお店出すから、進行は控えてくれと」
「えっ、ほんとに!?」
それなら安心ですねー、と笑うアニーシャ、ヒスイ、ジェイドであったが……いやいやいや、とアニーシャは首を振る。
「今の会話おかしくないですか!?」
「なにが」
「なにがです」
「あれ、おかしいの私? いやいや……今、魔王様って言いました? しかも、頼む?」
今の一連の会話……思い返すと、不自然だ。
その不自然にアニーシャは気づき、若干の警戒を露にする。
「えぇ。あ、私魔王軍幹部の、ジェイド・クラスタと申します」
「……はい?」
そして不自然なのは、さっきの会話だけではなかった。今、なんと言った。魔王軍、幹部? この男が?
「まさか……なんで、魔王軍の魔族が……しかも幹部が、こんなところに!」
もしそれが本当なら、この状況は大ピンチだ。ここにいるのは勇者とはいえ召喚されて日も浅いヒスイ、そして聖女のアニーシャだけ。しかも、ここは国の中だ。
もし、ここで暴れられたりしたら……なぜ、魔王軍幹部がここに……
「そんなの、美味しいものを食べたいからに決まってるでしょうが」
「……はい?」
…………なぜ、魔王軍幹部がここに……その答えは、あまりにあまりの内容で。呆れと共に、怒りの感情さえ湧いてきて……
「ふ、ふざけないで! そんな理由で誤魔化そうだなんて、そうは……」
「そんな理由とはなんですか! 私だって美味しいものを食べたいんです! 魔王軍で支給されるクソメシはもうたくさんなんだ! ふざけてなんてない、こっちは本気なんだ!」
「そうだ、美味しいものを食べたいに人間も魔族もない! ふざけたこと言ってんじゃないよ!」
「えぇ……」
アニーシャの怒り……それは、彼女の感情を上書きするほどのジェイドの怒りによって、なぜかアニーシャが怒られた。さっきからキレるポイントがわからない。
そしてなぜか、ジェイドと同じくキレたヒスイにも怒られた。