情緒不安定なのはヒスイだけではないようです
ガララッ
「おっちゃん! ラーメンちょうだい!」
「らーめんってなんだ」
店内に入ったヒスイの、第一声がそれだ。店主も、客も、そして後ろのジェイドも目を丸くしている。
「あっはー、そうだラーメン通じないんだった! いっけね!」
「ヒスイ様……?」
逸る気持ちを抑えきれないためか、ヒスイのテンションがおかしなことになっている。こと食べ物に関しては感情の浮き沈みが激しいヒスイ……その性格を知っているアニーシャ以外は、ただ変な女が来た、と思っていることだろう。
ただ、実際は今アニーシャもそう思っている。
「えっと……ヒスイ、キミが食べたいのは……」
「あ、これこれ! これがいい!」
ヒスイの食べたいものを聞くジェイドの言葉を無視し、ヒスイは店内に貼ってあるチラシを指差す。そこには、なんとも美味しそうな、まさにラーメンの絵が描いてあるではないか。
文字は読めなくても、絵はわかる。器に注がれたスープ、そして麺。あれは紛れもなく、ラーメンだ。
「あれは、この店の大人気料理。私も大好きな料理ですよ」
「おぉ!」
やはり、あれはこの店のイチオシメニューのようだ。それに、常連であるジェイドが推すのだから間違いない。
よって、これを三人前頼むことに。
「え、私も?」
「ったり前じゃーん!」
困惑するアニーシャを隣に座らせる。店内の客はそれなりに多いため、カウンター席に座ることに。運良く、三人分が並んで座れるスペースがあった。
配置は、ジェイド、ヒスイ、アニーシャという順。つまり、ヒスイは二人に挟まれる形になり、逆にジェイドとアニーシャはヒスイを挟んでの位置となる。
「……あの、ヒスイ。なんなら、席を変わりましょうか?」
「やだ。なんで?」
「いや、なんでって……この位置だともふ……いやいや、アニーシャとお話ししにくいじゃないですか。初めて会ったんだし、私が真ん中にいた方が、二人と均等に話せると思うんですよ」
「やだ」
「わがまま言わないでくださいよ。ほら、アニーシャだって私とお話ししたいですよね? ヒスイとアニーシャはいつでも話ができるんだし、ここはおとなしく私に席を譲るべきだと私は思うんですよ。いや、やましい気持ちは一切ないんですよ? ただ純粋にもふ……お話ししたいだけで。ね?」
必死すぎるだろ、とヒスイは思っていた。あとわがままはどっちだ。ね、じゃねぇよ。
わざわざ自分が、アニーシャとジェイドの間に入ったのは……アニーシャが危険だと思ったからだ。このもふリストをアニーシャと隣にしたら、どうなってしまうかわからない。
今だってほら、すごい食い下がってる。真ん中にヒスイがいれば、アニーシャに手は出せないだろう。
「ヒスイ、キミは賢い子だ……どちらを選択したらいいか、キミならわかるだろう。だからさあ、早く! 席を! 変われぇ!」
「うぅうるせぇ! キレ所おかしくない!? 今私ラーメン待ちなの、この貴重な時間を潰さないで!」
「二人とも静かにしてください……」
なぜかキレだした二人に、アニーシャは顔を赤くして水をすする。この人たちの連れだと思われたくないレベルだ。
「最近の若者こわっ」
そう呟いたのは、ジェイドの隣に座る獣人だ。犬顔の二足歩行の彼は、ラーメンのスープをペロペロなめている。犬だけど猫舌なのだ。
行儀が悪いとは、思わない。この世界にはいろいろな種族がいる、食べ方もそれぞれだ。
「あー、スープのにおいだけでもうお腹が……白御飯にかけて、食べたい。うへ、うへへ……」
ラーメンの残り汁を、御飯にかけて食べる……そのなんと、美味しいことか。友達からは、太るからやめろと言われたが。
太るのが怖くて、飯が食えるか!
「へい、お待ち!」
そこへ、ついに待ち焦がれたラーメンがやってくる。この世界にラーメンという単語はないようだが、今やヒスイにとってそんなことはどうでもいい。
つやつやな麺、濃厚なスープ、柔らかそうなチャーシュー……よだれが、垂れる。
「こ、これが……!」
輝いて見える、ラーメンが。思えば、限定ラーメン以来だ、ラーメンに触れてもいないのは。いや、正しくは限定ラーメンを食べられてもいないのだ、それよりもっと前か。
もうもうと立ち上る湯気が、香りを鼻に運んでくる。一刻も早く、それを口にしたいと、喉が騒ぐ。ラーメンの観察は、もう充分だろう、と。
「じゃ……いただきまーす!」
この世界に、箸はない。代わりにフォークのようなもの……で食べることに。まるで日本に来たばかりの外国人になった気分だが、そんなことはどうでもいい。
まずは、スープだ。器を持ち、顔に近づけていく。そしてゆっくりと口をつけ、見るからに濃厚なスープを口へと滑らせていく。
「ん……!」
熱い。それに、これは鳥から出汁をとっているのか……でも、味わったことのない風味だ。この世界の生き物だからだろうか。
ひとしきりスープを味わい、ほっとため息。濃厚なスープによりテカる唇を、ペロッと舐める。額から、一筋汗が流れる。
続いて、麺だ。こちらはフォークに絡め、一気にすすっていく。ズルルル…………え、音を立てるのは汚いって? ノンノン、むしろ麺類は、音を立てるのがマナーなのさ。
見た目通りツルツルで、どちらかというと太麺。ラーメンは細麺という考えが多い中で、うどんまでとはいかないまでも太い麺……その挑戦は、嫌いじゃない。
少しもちもちしている。噛めば噛むほど、味が染み出てくる……なるほど、これはスープとの相性が抜群だ。
「ひ、ヒスイ……」
「ヒスイ様……」
もはや周りの目など、気にならない。麺をすすり、スープを飲み、チャーシューを頬張る。流れる汗も、口の中に広がる熱さも、気にならない。
ただ、目の前の料理を食べ尽くすだけ。
「っ……お、俺おかわり!」
「俺もだ!」
「私も!」
ズルルルッ、ズゾゾ……チュルッ
「んくっ、んくっ……ぷはっ」
最後の一滴までスープを飲み干し、器を置く。器の中には、なにも残っていない。麺もチャーシューも、綺麗に食べ干した。
久しぶりだ、この食感……これが、この世界のラーメンか……
「ごちそうさまでした」
「お、ぉ……見事な食いっぷりだお嬢ちゃん」
と、店主らしき人がヒスイに言う。流れる汗を拭いながら、ヒスイは軽く笑みを浮かべる。
「へへ、こんなにうまそうに食ってくれた客ぁ、いつぶりかね……」
しかも、涙まで浮かべている。よほど嬉しかったのだろう。
立ち上がるヒスイに、店主だけでなく客も視線を向ける。そして、どこからともなくなぜか拍手が巻き起こる。
「嬢ちゃんの食いっぷりに惚れちまったぜ!」
「まるで若かったあの頃に戻ったようじゃわい」
「えぇ……」
巻き起こる拍手と黄色い声に、アニーシャは困惑しかない。ただ、なにも言わずに店から出ていくヒスイを見て……同じくラーメンを食べ終え、その背中についていく。まさか、こんな形で人々からの拍手をもらうとは思わなかった。
アニーシャよりも少し前に食べ終えていたジェイドも、二人に続いて店を出る。