限定ラーメンの恨みは恐ろしい
「あーむ! んまんま」
「あ、あの、ヒスイ様? さすがに食べ過ぎなのでは……」
パクリ、パクリ……もぐもぐ。
一人の少女が、両手に持った食べ物を口に運ぶ。それは串に刺さった焼いた肉のようなものであり、それを食べる少女……ヒスイと呼ばれた人物は、それはそれは幸せそうな表情だ。
お日様みたいにゆるふわカールなブロンドの髪を肩まで伸ばしており、パッチリとした目はまるで猫を思わせる。緑の瞳は宝石のように輝き、顔立ちは、可愛い系。
それがヒスイという少女の、第一印象だ。
その後ろから、別の少女が話しかける。ヒスイより、少し年上といった感じだろうか。
「だってさー、あれもこれもおいしいんだもーん!」
「だもーん……じゃないです。や、ヒスイ様はこの世界を救う勇者なのですから、ちゃんとご自身の使命を……」
「あー、あっちのもおいしそう!」
もぐもぐ、と食べ進めるのをやめることなく、ヒスイはあちこちを歩き回っていく。自分の話をまったく聞いてくれないその姿勢に、少女はため息を漏らす。
金髪が、小さく揺れる。
「そんなに食べて、太りますよ」
「私、いくら食べても太らない体質だからー」
「ちっ」
もはや両手に持ちきれないんじゃないかというくらいの量を持ち、食べるヒスイはやはり話を聞かない。
それどころか、ヒスイのためを思って思った台詞を、一番ダメージのある言葉で返される始末だ。
「あ、今舌打ちしたでしょ」
「してません」
「や、怒ってないんよ。むしろそういう人間らしいとこ、もっと出していった方がいいと思うな。ほい串焼き」
少女は、差し出された串焼きをそれでも食べない。ふいっ、と顔をそらすだけだ。
「ちぇー。聖女とかよくわかんないけど、食べ歩きなんてはしたない真似はできませんーってこと?」
「そういうわけでは。……私はヒスイ様のように、食べても太らないなんてことはないので」
「ありゃ、気にしてた」
乙女の心を傷つけられた、と言わんばかりであるが、それでもヒスイから謝罪の言葉どころか気にする素振りさえない。
ただ、ちらちらと串焼きを見つめてくる辺り、まったくいらないというわけではないようだ。食べたいなら素直に言えばいいのに。
「けどさー、勇者なんて言われてもさー」
「あぁ!」
先ほどまで少女の前に差し出していた串焼きを、ヒスイはパクリ。ショックの声を漏らす少女。
やはり欲しかったのだろうか。
「そっちが勝手に……はむはむ……召喚しといてさ……もぐもぐ……魔王退治しろだなんて……あふあふ……調子がよすぎない?」
「それは……ヒスイ様の生活もあるのに、申し訳ないと……」
「申し訳ない……ね。あの日せっかく限定ラーメンの予約席とれて、さあこれから食べるぞって目の前のラーメンに手をつけようとした瞬間に召喚されたんだよ!? あのつやつやな麺、お魚の出汁のにおい、柔らかそうなチャーシュー……それを目の前から奪われた私の気持ちが、わかる!?」
「あ、その……」
いわゆる異世界転移者、ヒスイこと本名、食美 翡翠。元いた世界では女子高生をやっていた、食べるのが大好きなごく普通の女の子。
そんな彼女は、ある日突然この世界に召喚された。その理由は、要約すれば魔王を倒す勇者に選ばれて、であるが、翡翠にとってはたまったものではない。なんせ、大好きな食事の時間を邪魔されたのだ。
超人気店の、限定ラーメン。予約してから実に三年の期間がなければ実際に食べることができないという、まさに超がつくほどの人気店。翡翠は、まさにそのラーメンを食べる寸前だったのだ。
「あっさりと評判のあのスープ……せめてあれだけでも、飲みたかったのぉおお……!」
ラーメンは、スープから飲む派の翡翠。レンゲでスープを救い、まさにそこに口をつける……寸前に、召喚された。ラーメンを食べることはおろか、スープ一滴飲むこと叶わずに。
「こういう異世界召喚ものは、見たことあるよ。本とかアニメでいっぱいさぁ。でも、こういう召喚もの、大抵こっちの都合考えてくれないよね! 勇者だって祭り上げるくらいなら、少しはこっちの都合も考えて召喚しろや!」
「いや、あの……」
「ていうか、そっちの世界のことはそっちで解決してよ! 逆の立場だったらどう!? 極上の食べ物を前に、それをお預けされた挙句に知らないとこに連れてこられるんだよ!?」
「それは……困り、ますね」
どうやら、召喚された当時の状況を思い出しているのだろう。とてつもない形相で、ヒスイは目の前の少女に詰め寄っていく。それに対して少女は、視線をそらすことしかできない。
「だよね、だよね!? それを、あの男ぉ……」
「あの時は、大変でした……」
この世界に召喚されたヒスイは、当時当然困惑した。ヒスイを召喚した男に、おおかたの説明を受けたが。
この世界に魔王が召喚されたため、異世界から勇者となる適正の人物を召喚したこと。そして、それにヒスイが選ばれたこと。それを聞いて、ヒスイは……
『どうか、協力してくれないか』
『ざけんなこらぁ!』
召喚した男を、顔面から殴りぶっ飛ばした。ちなみに、その男はこの国の一番偉い人……つまり国王であり、六十近い男性だ。おひげ真っ白。
「暴れるヒスイ様を止めるために、何人の兵士が犠牲になったことか……」
「三十四人だね」
「覚えてるんですか!? こわっ。……しかも、殴られた国王はぎっくり腰になってしまいましたし」
「なんで顔面殴ったのに腰にくるかなー、ぶつけた時に腰やっちゃったんだろうね……いや、さすがにやり過ぎたと思ってるよ。だからそんな目で見ないで」
まず国王を殴り飛ばしたヒスイは、ヒスイを押さえつける兵士をバッタバッタなぎ倒していった。彼女をなんとか、落ち着かせることができたのは、三十四人の犠牲があった後のことだ。
ともあれ、食事を邪魔されたヒスイを止めるには一筋縄ではいかなかったということだ。
「まあおっさんを殴ったのは悪かったけどさ、仕方ないじゃん反省はしてるけどさ。それはそうと帰ったらあのひげむしっていいかな」
「今のどこに反省の色が!? あとおっさんじゃなくて国王!」
ヒスイの怒りは、簡単には収まらなかった。押さえつけられ、とりあえずご飯をごちそうになり、ようやく一旦落ち着いたところで話を聞いてもらえたわけだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。それを身を持って実行したヒスイであったが、差し出された食べ物を食べないわけにはいかない。たとえそれが、ヒスイを落ち着かせるためのものであったとしても。
それで一応は、怒りを鎮めた。ご飯ももらったことだし。ただ……
「まずかったんだよ、あのご飯……」
「まずっ……ずいぶん直球ですね」
好き嫌いがないことが自慢のヒスイではあるが、王宮で出された食事は……まずかった。もちろん、礼儀としてその場で口にはしなかったし、残しもしなかったが。
「そ、そんなこと、だめです言っては!」
「わかるよ? 作ってくれた人や食物を育てた人のこと考えるとさ、そんなこと言っちゃいけないって。でもまずいんだもん。とてもあの限定ラーメンの埋め合わせにはならないよ」
「またそれ!? ……そもそもラーメンってなんです?」
……絶望した。まさか、ラーメンという単語をこの人は、知らないというのか。ならば今まで、この聖女はヒスイがなにに対して怒っていたのかわかっていなかったのか?
今までのニュアンスが、ラーメンが食べ物……それも異世界のもののことを指すのはわかっているだろう。だが、それ止まり……ラーメンがどんなものか、知らないのだ。
「う、うそ、でしょ……アニーシャ、それで今まで生きてきたなんて……信じられない……」
「そこまでですか!?」
ヒスイは、この世のものとは思えないものを見る目を受ける。アニーシャと呼ばれた少女にとって、そんな視線を向けられるのは初めてだ……初対面時も自身の姿に驚いていたが、それよりも驚いている。
らーめんなるものを知らないことは、そこまでの驚愕を呼ぶものなのか。
「ラーメンっていうのは、醤油やお魚から取ったスープに茹でた麺を入れたもので、あっさりめのスープや濃厚なスープ、柔らかな麺や硬めの麺いろいろな種類があるんだけど、本物のラーメンっていうのは麺とスープが絶妙に絡み合って、お互いがお互いの味の深みを引き出す、シンプルなようで奥が深い食べ物なんだけどね、中には隠し味にヨーグルトや梅干しなんかを入れるとこもあって……」
「は、はぁ……しゅうゆ……よーぐる……?」
ヒスイの、あまりのラーメン熱……いや食への熱意に、アニーシャはもうついていけない。勢いもさることながら、聞いたことのない単語があるのだ。
「バカな……通じない。そんな、これが異世界……」
絶望する、ヒスイ。その姿はまるで、魔物に家族でも殺されたようだ。
「え、えっと……らーめん、は聞いたことありませんが、ヒスイ様の言う特徴に似た食べ物なら……」
「あるの!?」
「は、はい……麺を出汁につけて、食べる食べ物。確かにあります」
「っしゃー!」
その説明は、まさにラーメンだ。おそらく、この世界にラーメンがないのではない……ラーメンという言葉がないのだ。
ここは異世界、言葉が違って当たり前。ヒスイが元いた世界だって、同じ食べ物でもその単語はまったく違う。国一つ隔てただけでそうなのだ、世界を隔てればなおのこと。
その証拠に、ヒスイにはこの世界の文字が読めない。今食べていたのだって、ただ美味しそうだったからだ。あんまり美味しくなかったけど。
ちなみにヒスイがアニーシャ……この世界の人間と会話できるのは、召喚の際にそういう魔法がかけられたらしい。意思疎通だか言語理解だかの。
「それどこ! 食べる!」
「えぇ……もう結構食べたじゃないですか」
両手に持ちきれないどころか、それまでにも目に映るものすべてという勢いで食べていたのだ。太らないとはいえ、細身のその体の、どこに入っていくのか。
結局、押し負けたアニーシャは、その料理を出す店に案内することに。
その間……二人には、街中の視線が向けられていた。
「あの、ヒスイ様? 食べながら歩くのはやはり注目があるので……」
「はむはむ。注目? いやそれ私のせいじゃないって。食べ歩きなんてわざわざこんな注目集めるものじゃない。原因はこんなところに、修道服来た獣人がいるからだと、私は思うよ?」
「ぬぐぐ……」
と、アニーシャは自らの格好を思う。聖女である彼女はほとんどを修道服……ヒスイ命名……を着て過ごしている。黒を貴重とした色合いに、所々白のラインが入っている。
それを指して、ヒスイは修道服と呼ぶことにした。シスターが着ているものに似てると言っていたが、よくはわからない。まあそれ自体は別段、変わったことではないのだが……
人々の注目を集めるのが、彼女の修道服よりも、その頭から生えたウサギらしき耳であることは想像がつく。彼女は、ウサギの獣人なのだ。
異世界……ヒスイにとって獣人というのは珍しくても、この世界ではごく一般的なものだ。だが、それも一般なものに限るわけで。
「聖女プラス獣人。かーなり珍しいみたいだしねぇ」
「ひゃわっ!」
聖女をやっている獣人など、歴史上にも数えるほどしかいならしい。現に今は、アニーシャ以外にそんな存在はいない。
聖女。もしくは獣人。このどちらかだけなら、ここまでの注目を受けることはなかっただろう。
ヒスイは、アニーシャのお尻辺りから生えている尻尾を掴む。それは丸っこく、言ってみれば野球ボールだ。そして綿みたいにふわっふわだ。
「いや、これはふわっふわよりもこもこというかもふもふというか……うーん、あったかいなぁ。今みたいな寒い季節には最高だねぇ。この尻尾で、どれだけの男を虜にしてきたのか」
「ひっ。や、やめてくださいぃ。それに、聖女は純潔な女性しかなれないとしきたりがあるんです。男性を虜にとかそんなことは……」
「ほほーぅ。アニーシャってば処女なんだー」
「なっ……」
なにを言わせるんですか、と怒り出すアニーシャから離れ、ヒスイはまるでいたずらを成功させた子供のように笑っている。
「勝手に話したのはアニーシャだよー? けど、私より年上なのに処女なんだー」
「ぐぬぬ……!」
ヒスイにとって、この世界への召喚は理不尽なもの以外の何物でもない。だが、アニーシャと友達に慣れたことは……感謝している。
からかいがいも、あるし。
「まあでも、大変だよねー。今回の旅みたいな、危ない旅には聖女がいないと始まらないって言われてるんだっけ」
「え、えぇ。聖女とは、破邪や退魔の力に優れた女性僧侶のことを指します。なので、魔物を相手にすることの多い冒険者等の間では必須と言われていて……」
「要はお祓いってことか。でも、優れたって自分で言うー?」
「こ、言葉のあやで……! ……ぬぅう……!」
こほん、とアニーシャは咳払い。
「いいですか。ヒスイ様は魔王討伐の旅に出られるのです。ですから、今手が空いている聖女の中で一番力の強い私が、お供として選ばれたのです」
「あんまりちゃかすもんだから開き直っちゃった……」
「聖女には処女じゃないとなれないのに、聖女を離したがらないとこが多いから婚期が遅れるんですよ! だからあんまり人気のない聖女なんですが! 私は世界を救う手柄……お手伝いができればそれで満足なんです! 男も結婚も知ったことじゃねえですよ!」
「ぶっちゃけすぎでしょ! しかも今手柄って言ったよね!」
街の真ん中でとんでもないことを口走るアニーシャを、ヒスイは必死で止める。城の兵士を何十人と倒してきたヒスイだが、全力で挑まないとアニーシャは止められない。
アニーシャはたまに、こうやって情緒不安定になることがある。これまでに一緒にいてよくわかった。
「ご、ごめん、からかいすぎたの謝るから」
「どーせ私は一生処女よー!」
今本人が言ったように、婚期が遅れると言われる聖女という職業に、日ごろ不満がたまっているのかもしれない。
もしそうなら、他の聖女もこんな風に情緒不安定なのかもしれない。それはなんか嫌だと、わりと本気で思うヒスイだ。
ちなみに、聖女になるには純潔でなければならないのなら、聖女になってから純潔を捨てた場合はどうか。結論は、その時点で聖女の力は失われる……という、まさに八方ふさがりな状態であることをヒスイが知るのは、もう少し先のこと。
「ん、くんくん。こ、このにおいは……ねえアニーシャ、もしかしてここって……!」
「うがー! ……ぅ、あ……あ、そうです……ここです」
とある一軒の店、室内から外に漏れだす香りは、食にうるさいヒスイだけでなくアニーシャさえも気づくほどのもの。この香りは、多少の違いはあれど間違いなく……
「ラーメンだ!」