五、事件終わって……
探偵社の地下駐車場で僕たちを待ち構えていたのは、池袋署の大村部長刑事を筆頭とした警官隊と、まちまちに銃をぶらさげたさつき探偵社の見知った顔だった。まちまち、というのは、悠一さんのように本式に、ブレザーの下にホルスターを結わえている人や、猫目さんや沢渡さんのようにズボンのベルトへ乱暴に突っ込んである人など、ものの見事に統一されていないからなのだが、この辺はおそらく、個人の裁量に任せてあるのだろう、誰も文句を言わない。
「――じゃあ、そろそろ出発と参りますかな」
大村部長刑事がのっそりと言うと、銃の具合を確かめていた悠一さんは音を立てて弾倉をひっこめてから、では、そうしましょう、と返す。
「さつき探偵社、出発!」
「総員、出動ッ!」
エンジンを回してあった探偵社の車へ各々が飛び乗ると、時を同じくして大村部長刑事を筆頭とする池袋署の署員たちが控えていた覆面パトロールカーへと乗り込み、一団はゆっくりと、ラッシュアワーの勢いが緩くなった銀座の往来へ、平静を装って溶け込んでいった。
「――こんな車、あったんですねえ」
車の列のどん詰まりでひときわ異彩を放つ、西ドイツ製の黄色と白のワーゲンバスに被害者連と乗り込んだ僕は、ハンドルを握る沢渡さんにつぶやく。
「うちの会社はいやに物持ちがいいからねえ。こんなクラシックカーが、臨時出動用の車両として数台、車庫の奥に陣取ってるんだよ。クセがあって運転しにくいんだがねえ……」
クラッチを切り替えるごとに、沢渡さんはシフトレバーにつられて前へ後ろへ体を動かす。その様子を横目に見ながら、僕は佐竹ともども、立花達被害者連と犯人捕縛を目前にしておさまらない、一種独特の興奮を分かち合った。
「……長かったわね」
第一の被害者となった立花は、感慨深いものがあるのか、佐竹と一緒に今までの心労を振り返り、しきりに頷いているし、
「いよいよ、あのお化けがとっ捕まるわけですか……」
と、白い詰襟の制服を着こんだ望月くんは、神経質気味にまぶたをしばつかせながら落ち着かない様子で窓の外を眺めている。
「あと二、三発オマケしときゃあとっつかまえられたのに……惜しいことしたぜ」
そんな二人と対照的に、拳を鳴らす大垣くんへ、バックミラー越しに沢渡さんが釘を差す。
「オイオイ、流血沙汰はよしとくれよ。今度は君がお縄になっちまうから……」
「ヘヘヘ、すいません……」
そんなよもやま話に花を咲かせながら走るうちに、カーラジオの下に据え付けられた無線機がワーゲンバスに振られた番号をしきりに呼び出した。相手はさつき一号。すなわち、悠一さんの車である。
「――こちらさつき一四号、感度良好、どうぞ」
「こちらさつき一号。いま、ホシの事務所から黒いバンが出たと連絡があった。後を追うさつき〇一号の連絡を待つように……」
「ハイ、了解……」
乱暴にマイクを戻すと、チビが追いかけてるとは思うまい、と呟いて、沢渡さんは呑気に鼻歌を歌いだした。
「沢渡さん、さつき〇一号ってどんなンスか?」
「なあに、なんてことはない。ただの原付さ。普通の車よりちっこいから、頭にゼロがついてるわけ」
質問への返答があまりにも簡潔だったので、佐竹はあ、なるほど……と言ったきり、つまらなそうに窓外へ目を移す。そこから逐次、全車一斉送信で送られてくる、さつき〇一号のいやにガラガラとした音の無電に案内され、各車は一路、豊島区の静かな住宅地へと進みだした。
「全車に通達。これより、マルガイを包囲する。対象がすっかり白塗りになった状態で出ようとするところを抑えるべく動く。合図あるまで待機せよ……」
さつき一号こと、悠一さんのクラウンから全車あてに送られた無電を合図に、沢渡さんたちは弾の具合を確かめ、安全装置に指をかけたまま、そっとレギュレーターハンドルをまわして窓ガラスを下ろす。
初夏の夜風がすっと、ワーゲンバスの中へ忍び込み、背筋をなぞる。沢渡さんたち探偵員の息遣いのほかには、遠くでなっている車の警笛ぐらいしか聞こえない、恐ろしく静かな晩だった。
と、その静寂を破るように、甲高い呼子の笛がこだまし、住宅街の塀という塀の合間から車のドアを乱暴に開け放つ音がとどろいた。
「――みなさん、このままで!」
拳銃を握りしめた沢渡さんが、ドアを開けると同時に暗がりへ飛び込んでいった。やがて、乾いた路面をかけあがる足音が数か所から一か所へ集結し、野武士の合戦のような勝鬨と、数発の威嚇射撃が住宅街へ響いた。わずか、一分足らずの間の出来事である。
「おいっ、とうとうあいつが捕まるんだ。みんな、見に行こうぜ」
「あ、おいっ――」
この場にとどまっておくように、と前もって言われていたのを無視して、佐竹は立花たちを誘い出し、後部ドアをグイと押し開く。止める隙もないまま、仕方なく佐竹たちにくっついて音のした方向へ行くと、ラグビーのスクラムのような塩梅で、悠一さんはもとより、沢渡さんや和田くん、そして池袋署からやってきた警官隊が件の白塗り男を囲んでいるところへバッタリと出くわした。
もっとも、本人の姿は見えず、ただ白く塗った腕がギブアップ、と言いたげに左右に振られているだけなのだが――。
「――やあ、君たちも来たのか。見たまえ、これを」
メッキの鈍く光る手錠を握りしめ、かろうじて頭に引っかかっているばかりのソフト帽を直しながら、大村部長刑事がやや興奮気味に叫ぶ。
「これでもう、夜道は大丈夫だぜっ。ねえ、探偵長ォ」
「ああ。――みなさん、ごらんのとおり、白塗り男は捕まえましたよ」
沢渡さんと悠一さんも、得意げに、どこか誇らしげに僕たちの方を見て微笑む。
「これでやっと、安心して帰れるなあ、立花……」
「ええ、そうね。――ここまでありがとうね、佐竹くん」
「いやァなに、当然のことをしたまでさ……ハハハ」
ヤニ下がってノロけている佐竹を一瞥し、無事に犯人が捕縛されたことに安堵していると、スクラムの中、犯人の顔があるらしいあたりから、どこかで聞いたような抗議の声が上がっているのに気が付いた。
はて、この声は誰だったかな――と、同じように気の付いた佐竹たちと耳をこらして様子をうかがっていると、警官隊の紺色の制服の間から、猫目さんがヒョイと顔を覗かせた。
「大村デカ長っ、早いところ手錠外してもらえませんかっ。ホシと署までランデブーなんて僕ァいやですよっ」
「ね、猫目さん、どうしてそんなとこに……」
僕の質問に、猫目さんはおお、よくぞ聞いてくれた高津さん……と涙目になって、
「犯人に飛びついたときに、近くにいたデカ長さんの手錠をつかみとって、無我夢中でホシに食いついたんだが……ちょっと無我夢中になりすぎてね。このザマだ。――こらっ、動くなっ、腕に食い込むじゃないか」
腕しか見えない白塗り男が抵抗をするのか、猫目さんは顔を百面相にしてひどく痛がる。それを見かねた大村部長刑事が、自分の腕に手錠をかけ、もう片方を自由になっている白塗り男の腕にはめると、それを合図に警官隊がスッと後ろへ退く。その中から現れたのは、もみ合いですっかり塗りのはげ、ところどころに引っかき傷をこさえている、元・白塗り男のしまらない顔と、やや栄養過多な気のある下腹だった。
「――やれやれ、やっと体が自由になった」
受け取った鍵で自分の手錠を外すと、猫目さんは軽い柔軟をしてから、用済みになった手錠と鍵を大村部長刑事のコートのポケットへ突っ込んだ。
「大村部長刑事、お疲れさまでした」
離れた一団から抜けてきた悠一さんが、大村部長刑事の労をねぎらい、固い握手を交わす。
「いえいえ、そちらこそ大変でしたでしょうに……。じゃ、ひとまず一旦、署の方へ連れてゆくとしますかな」
そばにいた巡査を伴い、パトカーの奥へ元・白塗り男である不動産ブローカーの玉井を押し込むと、大村部長刑事は開け放った窓から、僕たちにでは、気を付けて……と言って、車を出すよう命じた。
玉井を乗せたパトカーのサイレンがいつまでも、豊島の夜に鳴り響いていた。
さて、かくして無事に解決を見たこの白塗り男の事件をまとめ終えると、僕は例のごとく、悠一さん同席のもとで、U先生に原稿へ目を通してもらうこととなった。なにせ、自分が関わった事件に関しては僕自身がそれをまとめる――ということになっているのだから、責任重大である。
「やあ、今回もなかなかに奇妙な事件だったねぇ。――それにしても、玉井のやつはどうしてまた、こんなみょうちきりんな計画を実行したんだろう」
読み終えた原稿をテーブルの上に置き、ピースをふかしていたU先生が悠一さんに疑問をぶつける。
「そういえば妙ですね。僕、そこまでは知らないんですけど……」
「ああ、健壱さんにもまだ話してませんでしたね。あれはどうも、玉井の得意技だったようでしてね。今、それに絡んで余罪を追及しているところなんですよ」
得意技ァ? と、U先生が間延びした声を上げる。
「ええ、そうなんです。ご存知かと思いますが、今、オリンピック招致にに絡んで、都内の地価がひどく上がっているんです。もちろん、不動産関係者や地主からしてみれば、自分たちに利益がある方がよいに決まってる。ですがそれと同時に、あまり高くなりすぎても困る、という場合もあるのですよ。何だと思います、先生」
「――ははあ、住宅地としての価値、か」
U先生の推理が当たり、悠一さんはご名答です、とにっこり微笑む。
「――正直なところ、オリンピック自体がどうなるかも怪しい。いざ決まったとしても、建ててみた物件が、終わってからの数年後に同等の価値を持ってるかは怪しい。それなら、三十何年ローンで家を建てるような世帯向けに売った方が得だから、程よく値段を下げてから、隙を見計らって売りつける……という手口で、玉井は土地のあっせんをしていたようです。ちょっとした怪談騒ぎで土地の値段は下がりますが、そういうものをハナから信じていない人もいますから、まあ、トータルではかなりプラスのほうに傾いているようですよ」
なるほど、と思わず感心してしまった。どうやらこの世の中では、マイホームとお化けを天秤にかけたときに、家のほうが勝る場合もあるらしい。
「なるほど、敵もさるもの、ってとこだな……。ときに高津くん、彼、どうなった?」
急に投げかけられたU先生からの言葉に、誰のことです? と聞き返すと、鈍いなァ、と困ったような顔を向けられた。
「ほら、佐竹くんのことだよ。例の立花って子と、かなり親密になってたようだけど……」
「ああ、そのことでしたか。それならもう、先生の想像通りですよ。委員長とやんちゃ坊主の凸凹カップルってことで、学年の視線を一心に集めてます……」
思えば、この奇妙な事件の中で最もわけのわからない出来事というのが、佐竹と立花のゴールインだった。いったい、あんな奴のどこがいいのだろう、と、正直なところを悠一さんたちに話してみると、こんな答えが返ってきた。
「そりゃあ、自分のために心配してくれる、いたわってくれる男のことを嫌いになる女はいないだろうよ。ねえ、悠さん」
「まあ、苦楽を共にした相手というのは、普通の関係とはまた違った印象を抱くものだと言いますからね」
「――そういうもんなんですかねえ」
わかったようなわからないような、そんな印象のまま手元のコーヒーを口へ含むと、僕はしばらくの間――いや、もしかすると卒業まで――あの二人のノロけを見せつけられるハメになるのかもしれない……という、辛い現実を噛みしめながら、冷え切ったそれを飲み下したのだった。




