二十七話 山の賢者
リリアの悩みを打ち明けられた翌朝。
俺達は草をかき分けながら山を進んでいた。
「もっとまともな道はなかったのかよ」
「あるわけないだろ。山に入ってくる奴は滅多にいないし、アタシも師匠もたまにしか下山しないから道らしい道なんてコレしかないんだよ」
ここに来るまでに崖のような場所を通り過ぎ、丸太橋のかかった谷を越え、熊のような鋭い爪の痕がいくつもある木々を通り抜けてきた。
案内してもらっていてなんだが、この山下手なホラーアトラクションより怖い。
しかも結構な頻度で白骨死体を見かけるんだよ。
それらは小動物、大型動物、人と分け隔てなく転がっている。
あれか、全ての生物が争いもなくふれあえるのは死後の世界だけってことか?
「良い匂いがしませんか?」
「見ろ、煙が見える」
開けた草原のような場所まで来た俺達は、先に白い煙が昇っているのが見えた。
同時に胃袋を刺激する香辛料の香りが感じられる。
どうやらその師匠は昼食を作っている真っ最中らしい。
するとリリアが俺の後ろに隠れてしまう。
「おい、なにビビってんだよ」
「う、うるさいな! ビビってなんかない!」
「じゃあなんで隠れたんだ」
「これは……そういう気分なんだよ!」
なんだよ気分って。子供か。
けど、これはこれで面白い。いつもは強気で勇ましいコイツが、すっかり縮こまって大人しくなってしまっている。いつもこれくらいなら可愛いのだが。
俺を先頭に歩き始め、踏みならされた道を歩く。
どうやらここは山頂にあるカルデラのようだ。
地面は背の低い草花に覆われ緑一色。最奥には一軒の木造の小屋があった。
どうやらあそこに師匠ってのが暮らしているらしい。
「ここは作物を育てるには最適な場所のようでござるな」
ロナウドがしゃがみ込んで土を触る。
それを聞いてリリアが反応した。
「師匠は薬術師でもあるんだ! 薬を作る為に貴重な薬草を育てて、レイクミラーではすげぇ尊敬されてるんだぜ!」
「ほう、それは素晴らしい。リリア殿は自慢の師匠をお持ちのようだ」
「!!?」
リリアは顔を真っ赤にすると再び俺の後ろに隠れる。
なんなんだよ一体、なんで師匠を褒められて恥ずかしいんだよ。
こいつの思考回路は未だに分からん。
しかし、それはそうとここは俺にとっても魅力的な場所のようだ。
鑑定スキルで周囲を見渡せば、どこもかしこも薬草が表示される。しかもどれも所持していないものばかり。俺ってやっぱ根っからのゲーマーだと思うんだ。未所持のアイテムとか素材ってだけでワクワクしてしまう自分がいる。
「じゃあ入るぞ?」
「…………うん」
小屋の前で俺はリリアに最後の確認をする。
彼女はすっかり飼い慣らされた猫のように、ビクビクして俺の後ろに隠れていた。
師匠ってのがどんな人物かは分からない、けどコイツとこの先も冒険をするつもりなら、この問題はきちんとかたづけておかないといけない気がするんだ。
それに俺って一応コイツのご主人様なんだよ。
奴隷のやった責任は主人がとらなきゃいけないだろ。
俺は覚悟を決めてドアをノックする。
「……誰だ?」
しばらくして中から声があった。
予想通り師匠は男性のようだ。声から察するに老人。
「俺は冒険者をしている西村義彦という者だ。実は仲間にリリアって奴がいて、そいつがどうしてもあんたに話したいことがあるって言っててさ」
「リリア!?」
小屋の中でガタッと椅子が動く音が響く。
走るような足音が聞こえ、小屋のドアが勢いよく開けられた。
出てきたのは白く長い髭を蓄えた老人だった。
焦げ茶色のローブを着ており、長い髪も真っ白。
ダン〇ルドアを小汚くしたような感じだ。
彼は俺の後ろに隠れるリリアを見つけて駆け寄る。
――が、なぜかリリアは逃げるようにして俺の正面に回り込んだ。
そこからリリアと老人は俺を中心にぐるぐると回り始める。
「どうして逃げるのだリリア!」
「だって! 師匠、絶対に怒ってるだろ!」
「当たり前だ! 散々儂に心配をかけたのだぞ!」
「殴ったことも怒ってるだろ!?」
「あんなのはどうでもいい! 儂は何も言わず出て行ったことを怒っているのだ!」
「え?」
リリアが立ち止まる。
すると老人が勢いよく彼女を抱きしめた。
「儂はお前がどこでなにをしているたのかずっと心配だったのだ」
「師匠……ごめん」
リリアは泣きそうな顔で笑顔を浮かべる。
彼女の両肩を掴んだまま老人はにっこりと微笑んだ。
「お前には罰として今夜の風呂の水を汲んできてもらう」
「えぇ!?」
師匠に巨大な樽を持たされた彼女は走らされることに。
その背中を見送る老人は顔をこれでもかとほころばせていた。
「弟子が水を汲んでくる間、中で話をさせてもらおう。少々汚いが遠慮なく入ってくれ」
老人に促されるまま俺達は小屋の中へ。
中は意外にも整理整頓されていた。
壁には乾燥した薬草がぶら下げられ、窓際にも鉢植えが置かれている。
大きな本棚にはずらりと古めかしい本が並んでいた。漂うのは何かを炒めたような匂いと、それにいくつも混じる香辛料や香草や薬草の香り。
アロマ的な効果なのか妙に心が安らぐ感覚があった。
「すまないな、ちょうど昼食を作っていた最中で臭うだろ?」
「いや、こっちこそ急に訪ねて申し訳ない」
「すぐにコーヒーを出すのでそこに座ってくれ」
促されて俺達が椅子に座ると、彼はすぐに奥の部屋に入る。
すると一分もしないうちに彼はカップを持って出てきた。
魔法で沸かしたのだろうか、ずいぶんと飲み物を用意するのが早い気がする。
「ささ、冷めぬうちに遠慮なく」
「では」
一口飲むと強い香りが鼻を抜けた。
俺が飲んできたどんなコーヒーよりも美味く感じる。
「うえっ、にがいい!」
「はははっ、失礼した。お嬢ちゃんにはコーヒーはまだ早かったかな。ではミルクと砂糖を入れるといい」
「そ、そうさせてもらいますっ!」
エレインは涙目でテーブルのミルクと砂糖をカップにドバドバ入れる。
どんだけ甘党なんだとツッコみたくなる量だ。そりゃあ草団子も嫌がるよな。
一方でロナウドは静かにコーヒーを飲んでいた。
「これほど香りの強いものは初めて口にしたでござる」
「俺もそれは思った。なんか今まで飲んだ奴とは圧倒的に違うんだよなぁ」
老人はニヤリとしてから、棚にある麻の袋を持ってくる。
受け取った俺は袋の紐を解いて中を覗いた。
中には燻したコーヒー豆が入っていた。今飲んでいる奴と同じ強い香りを感じる。
「それはカーバンクルの糞からとった豆だ」
「「ぶふっ!?」」
エレインとロナウドがコーヒーを吹き出す。
俺も飲んでいる最中なら同じように吹き出したことだろう。
だって動物の糞からとったコーヒー豆だぜ。
ただ、そう言ったコーヒーが存在するのは知っていた。
地球ではジャコウネコのコーヒーってのが実在する。
ジャコウネコは非常にグルメな生き物で、美味しい豆しか食べないそうだ。加えてジャコウネコの分泌液も香水に使われるほど香りが強く、その糞から採れる豆は最高級のコーヒーと言われているのだ。
当然だがちゃんと洗浄する。
そうなるとカーバンクルと呼ばれる生き物は、ジャコウネコのように美味しい豆を好んで食べるグルメなのだろう。
「心配するな、ちゃんと洗浄しているし火を通しているので腹を壊すことはない。一応言っておくが、カーバンクルのコーヒーは最高級品だからな?」
「やっぱりそうなのか」
「拙者は初耳でござる」
「私は聞いたことがあります」
もうかなり飲んでしまったからな、そこまでショックは受けなかった。
それになんというか美味さと香りが説得したって感じだな。最高級のコーヒーをタダで飲めたってお得感もあるし。
「ただいま! 水を汲んできたぞ!」
バンッとドアを開けてリリアが戻ってきた。
まだ数分なんだが、ずいぶんと早いな。
やっぱ修行していただけあってやりなれてるのだろう。
どかっと椅子に座ってコーヒーを見るなり眉間に皺を寄せた。
「それって糞のコーヒーだろ。アタシが嫌いな奴だ」
「何度言ったら分かる。糞ではない、糞からとれた豆で作ったコーヒーだ」
「どっちだって同じだろ」
「同じではない。訂正しろ」
老人とリリアがにらみ合う。
止めてくれ、コーヒーを飲んでる俺達の前で喧嘩をするな。
「そろそろ自己紹介をしてもらってもいいか?」
「失敬失敬。客人の前ではしたないところを。儂はこの山に住むへブリス・ソルティーク。すでに聞いているとは思うが賢者だ」
ソルティーク? リリアもそんな家名だったよな?
彼は俺の思考を読んだかのように言った。
「リリアは儂が養子にして家名を与えたのだ」
「じゃああんたはリリアの父親?」
「一応はな。本人はそう思っていないだろうが」
おいおいリリアさん、話が違うじゃねぇかよ。
俺はただの師匠だって聞いたぞ。こいつマジの家出少女じゃねぇか。
やべぇ、どう説明したものか分かんなくて頭が痛くなってきた。
「これまでの説明はしなくてよい。今は貴方方の元でこの子がちゃんとやれているか、それだけが心配なのだ。なんせずいぶんと生き急いでおるからの」
「アタシは別に生き急いでなんか……」
むすっとリリアがふてくされた。
空気を察したエレインがフォローを入れる。
「リリアは良い子ですよ。余計な気遣いはしないし、自己判断で動きますし、義彦といつも食べ物を取り合ってますし、危ない時でも危なくない時でもいつも率先して戦いに行ってくれます」
「お、おお……」
おい! フォローになってねーぞ!
へブリスのじいさんドン引きしてんじゃねーか!
俺はこっそりとエレインに注意する。
「なんで嫌みなんて言うんだよ! 相手はリリアの父親だぞ!」
「え! 嫌みなんて言ってませんよ!? 私なりにすっごく褒めたのですけど!??」
真面目に褒めてアレかよ。
こいつ褒めるの下手すぎんだろ。
しょうがない、ここは俺が。
「リリアには大変助けられました。最初はすごい魔法使いだと期待して奴隷契約したんですけど、いくら頼んでも近接戦闘しかしてくれなくて、挙げ句の果ては殴られるのが大好きなドMだってことが分かって……あれ? 俺何言ってんだ??」
ダメだ。褒めようとしたけど俺には無理だった。
自然と溜まってる不満が逆流してくる。
リリアは涙目でぷるぷると震えて顔を真っ赤にしている。
すまん、親父さんの前で恥をかかせてしまったな。
「ぶははははっ! そうかそうか!」
――が、なぜかへブリスは大笑いする。
「儂はリリアが非常に心配だった。我が儘で自分勝手で、戦うことばかり求め、他人のことなんてこれっぽっちも気にしない子だからだ。だから儂は表面だけ取り繕うような相手なら、娘を置いてお帰り願おうと思っていた」
「…………」
「だが君達はちゃんと真実を話そうとしている。この子の良いところを探して儂に伝えようと。まだ付き合いが浅いからなのかすぐには出てこないみたいだが、儂はそれだけで預けるにたる者達だと判断できた」
「それに」とへブリスは俺の顔にずいっと近づく。
「この子は信頼できると判断した者の後ろにしか隠れん。きちんとした関係を築いておる良い証拠だ」
へ? そうなの?
リリアを見るとどこからか持ってきた毛布に隠れていた。
恥ずかしさが頂点に達したようだ。
「引き続き我が愛弟子をよろしく頼む」
「ああ」
「はい」
「承知した」
その後、今日は遅いのでと小屋に泊まるように促され、俺達は彼の好意に甘えることにした。