11-1:小田原豊:阿部雄二、ログインする
11-1~3は城太郎の養父、小田原豊視点となります。
“外の街”のほぼ中心には他の画一的なデザインのビルとは趣の異なる建物がある。二街区分ほどの面積を占有し、その代わりに高さは抑えられている。出入り口が複数設けられ、建物内のどこへでも短時間で行けるし、建物内のどこからでも短時間で外へ出られるようになっている。モデルとなった現実世界の都市では行政庁舎的な役割を担う建物故の構造だろう。
そういう建物だからオフィスとしての使用にも適しており、仮想世界ではDPS・kantan社が加速実験の運営本部棟として利用している。
その本部棟一階、複数ある出入り口の中でもいわゆる“正面玄関”となる場所には、総合受付となるカウンターと待合のためのホールが併設されていて、kantan社員用のログインポイントにもなっている。
僕――小田原豊――は、カウンターに背を預けてぼんやりとホールを眺めていた。
言うまでもなく、我が友にして上司、阿部雄二の仮想世界入り待ちだ。
通常、現実世界から仮想世界への遷移は一瞬で終了する。接続先のサーバーを指定して通信状態が確保されたら次の瞬間には仮想世界に居るといった具合だ。でもここkantanの仮想世界は時間加速が施されている。“一瞬”ですら、雄二のアカウントが接続状態になったのを確認してから途中だった作業に一区切りをつけ、社長を初めとした関係者各位とついでに城太郎くんに雄二ログインの一報を入れ、さらにこうして待ち惚けるくらいの時間に引き伸ばされてしまうのだった。
一応直属上司の出迎えという態であるが、僕個人としては上司としてより友人としての認識の方が強い。前者であればカウンターに背を預けただらけた姿勢ではいられない。それが斯くの如しなのだから、まあ、そういうことなのだ。
「……お? ようやく来たか」
ホールの中央に光の粒子が円柱状に立ち昇り、粒子が結合して人間の姿を形作る。上着を脱いだスーツ姿に白衣を羽織った顔色の悪い男――阿部雄二だ。
「よう」
「おう」
再会の挨拶はこれだけで済む。
長ったらしいやりとりなど必要無い。
「ああー! やっぱりkantanの仮想世界は良いなあ!」
顔色の悪さとは極めて不釣り合いな快活な声を上げ、雄二は体の調子を確かめるように無駄にキレ良くラジオ体操など始めてしまった。そこまでせんでも……と思いもするが、雄二の気持ちも判るので放置しておく。
雄二が患っている病は少々特殊だ。
完全没入型VRは実用化当初から医療分野への導入が急速に進められた。
主には終末医療。死にゆく患者達の残された時間を安らかなものにするために、完全没入型VRは最適だったのである。
例えば完治不能な難病に苦しむ患者がいる。
医療が提供できるのは延命措置のみ。しかし患者は命が延びれば延びるほど苦しむ時間が増えるのだ。いっそ安楽死させてくれと望みもする。一分一秒でも長く生きるべきだと命の尊さを説くのは簡単だ。生き永らえていれば治療法の確立が間に合う可能性だってある。医療に携わる者が延命を勧めるのは、安易に安楽死を勧めるよりは誠実な対応なのだが、患者にとってはその分苦しみ続けろと無慈悲に宣告されるにも等しい。
そこに完全没入型VRの登場だ。
完全没入型VRでは、現実世界にある肉体からの感覚信号を機器側でインターセプトし、代わりにVR用の信号を脳へと伝達している。これをしないと没入感が完全にはならないからだ。爽やかな風吹き渡る広大な草原に居るのに、感じるのは日本のジメジメとした蒸し暑さ……というのを想像すれば、現実の肉体からの感覚信号を遮断する重要性は理解し易いだろう。
そしてこれこそ、終末医療の現場が求めて止まなかった効能なのだ。
病に蝕まれた体からの苦痛を遮断し、しかも患者本人の意識は健康な肉体に乗り移り、作り物の世界の中に限られるとはいえ自由を謳歌できるのだ。医療協会が独自にサーバーを立て、そうした患者の避難先を確保したのは業界では有名な話になっている。
と、まあそんな大きな話ばかりではなく、一般家庭レベルであっても、飲み会の翌日に二日酔いの苦しみから逃れるためにとか、急に虫歯が痛み出して歯医者に行くまでの時間を潰すためとか、日常の中、現実世界に痛苦を置き去りにして仮想世界に避難する例は多い。
“現実世界の痛みも苦しみも仮想世界には持ち込まれない”
完全没入型VRが普及してから形成された一般常識は、しかし雄二が患う『肉体的には怪我・病気等なんら異常が無いにも関わらず、全身に激しい痛みを感じるという原因不明の病』には適用されなかった。100%そのままではないが、雄二は仮想世界にあっても常に病がもたらす痛みに晒されていた。しかも痛みのレベルによっては異常脳波が検出されて強制ログアウトになってしまう。不完全な鎮痛効果すら取り上げられてしまうのだ。
脳と肉体の間で信号を制御する方式の機器が使われているのだから、ここから漏れる雄二の病は脳の側に問題があるのだと推測されているが……未だに推測の域を出ていないのが現状だ。
ところが、従来とは脳へのアクセス方式が異なるDPS・kantanの仮想世界でなら、雄二は病苦から解放される。病気に苦しむ現実世界で作成したリアルモードアバターだから顔色の悪い病人面をしているが、今ここにいる雄二は痛みも苦しみも感じていない健康そのものなのだった。四六時中悩まされる苦痛から解放されたのだから、いきなりラジオ体操を始めるような奇行も温かく見守るのが友人としての情というもの……なのだが。
「いやもうそのくらいにしておけ」
さすがにラジオ体操が第二に突入したところで待ったをかけた。
「豊の忍耐強さには驚かされるね。まさか第一を完走できるとは思わなかった」
はっはっはっ、と雄二が笑う。
こいつがこんなふうに笑えるのもkantanの夢の世界だからこそだが……なんだろうか、違和感がある。さきほど『やっぱり良い』と言っていた事から判るように、雄二がkantanの仮想世界に入るのは初めてではない。それどころか社内で行われた低加速倍率でのテストには毎回参加して慣れている。病苦からの解放が嬉しいにしても、今更ここまで大仰に喜ぶものだろうか?
少なくとも前回の試験ではこうではなかったのだから、そのまま今回に臨めばこうはならなかっただろうと考えれば……、僕が知らない所で何かがあったのだ。そしてそれは雄二が遅刻した理由である、実験開始直前に起こした発作であるに違いない。
「なあ、もしかしてなんだが、ステージが進んだのか?」
「やっぱり豊は判るんだな……ああ、ステージ3だ」
「そうか……」
それ以上の何も言えない。
病におけるステージの進行は悪化を意味する。
雄二の場合は常時感じる苦痛が一段階強くなり、発作時のそれも同様だ。餓死のデスペナルティとして再現されているステージ2の発作ですら受け止めきれなかった僕には何を言う資格も無い。
「まあ、ある意味タイミングは良かったのかも知れない。今回は不意打ちで否応無しだった。次の発作は……“選択”を迫られる事になる。このタイミングでここに来れて本当に良かった。どっちを選ぶにしても猶予がある」
「……」
“選択”。
その意味するところは知っている。
それだけにかけるべき言葉を思い付かない。
「それよりも、だ。城太郎君はどうしてる?」
そんな僕を慮ってくれたのか、雄二は少しばかり強引に話題を変えてきた。
ここは有り難く乗らせてもらおう。
「ああ、城太郎君もゲームを楽しんでくれているようだよ。“引き籠り”になる前の快活な城太郎君になっているから、会えば雄二も驚くんじゃないかな」
雄二が知っている城太郎君は“引き籠り”中の彼だけだ。
それ以前の城太郎君を知らなければ、まるで初対面のように感じるだろう。
そして、それは逆もまた然り。
病苦に耐える雄二をしか城太郎君は知らない。
病苦から解放された雄二を見れば、城太郎君もまた驚くことだろう。




