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9-4:蒼星蟹

 案の定、真理恵さんが合流した初回での『蒼星蟹 キュアノエイデス・カルキノス』突破はならず、二人での“死に憶え”が始まった。一日に二回か三回、挑んでは死に戻る。回復薬や回復丸が足りなくなれば素材採集を挟んでまた挑む。


 これが俺には苦行となった。


 蒼星蟹との戦闘や死に戻るのは一人でもやっていた事だし、盾役の真理恵さんが加わって俺の負担は減ってもいるし、だからどうということもない。苦しいのは……ムスコ絡みだ。真理恵さんが合流すれば、例え“死に憶え”が不完全であろうと偶々上手い具合に突破できてしまうかも知れない。


 次のチャレンジで突破が叶うかも知れないとなればムスコと遊んでいる場合じゃなくなる。極上の寿司を食いに行く直前にスーパーのパック寿司で腹一杯にするのは馬鹿のやる事だ。可哀そうだと思うが心を鬼にしてムスコには謹慎処分を言い渡し、以後俺は禁欲生活を続けている。


 とは言え『生理反応再現』の設定をオフにした選択的ED状態であるので肉体的には苦しくない。ムスコが暴発する危険性も皆無である。しかしながら精神的にはキツイことこの上ない。なにしろ真理恵さんは死に戻りがイキ戻りになるMの人なのだ。チャレンジに失敗するたびに死に戻り部屋でとてもエロい事になる。毎度の事でもあり、突破の暁には俺とそういう関係になるのが決まっているのもあり、真理恵さんは俺がいても慌てず騒がず心行くまで余韻に浸るようになっていて、それどころか俺を挑発するために見せつけている節すらあった。


 死に戻りで発散させているからお預け状態は同じでも真理恵さんには余裕がある。頻繁に翻意を促してくるが、俺にだって意地があるのだ。そして意地とは、張り通してこその意地。軽々しく撤回はできない。


 ちなみに『蒼星蟹 キュアノエイデス・カルキノス』の出典はギリシャ神話だった。カルキノスは蟹座の由来になった大蟹で、神話においてはヒドラとヘラクラスの戦いに際し、ヒドラに味方するべく駆け付けたところ、活躍する暇もなくヘラクレスに踏み潰されてしまった。なんとも情けない。“キュアノエイデス”がギリシャ語で“青”を意味していて、星座になった蟹の青バージョン的な意味で『蒼星蟹』であるらしい。そのまま青星蟹でないのは……まあ“蒼”の文字を使った方が格好良いからだろう。


 などと無駄な考察をして気を紛らわせつつ苦行を乗り切り、「次で確実にいける」との確信を得たのは、真理恵さんが合流してから半月ほどが過ぎた後だった。


「いける! 今度こそいける!」


 この日一回目の挑戦は惜しかった。蒼星蟹のHPが尽きる寸前に繰り出された初見の大技にしてやられたが、それはもう“憶えた”。


「回復薬、回復丸も、残量ヨシ! さあ行こう真理恵さん!」

「え……すぐにですか? もう、仕方ないですね」


 苦笑しながらも即座の再チャレンジを了承してくれた真理恵さんと共に“浜辺の集落”から第三十五階層の中ボスエリアまで走り通した。


 *********************************


 何度見たのか数える気にもならない蒼星蟹の登場シーンを前に、俺はいきなり“客観視”を入れる。神経が研ぎ澄まされ、かつてない程に集中力が高まっているのを感じる。

 全ては、報酬の為、ムスコの謹慎処分を解除するために!


 蒼星蟹は左右の鋏で突き刺した鯨っぽい巨大魚を食いながら波打ち際まで進んできた。ここで今更のように俺達に気付き、巨大魚の切り身を振り捨てて鋏をガチガチ鳴らす威嚇のポーズをとる。


「『挑発』です!」


 すかさず真理恵さんがヘイトを稼いでターゲットを取った。

 蒼星蟹の巨大な刃が左右交互に真理恵さんへと振り下ろされる。これを大盾で受ける真理恵さんは一歩も退かない。巨大モンスターの攻撃だ。例え大盾で受けたとしてもタイタンの時のように吹き飛ばされそうなものだがそうはならない。これは大盾系の新たなアビリティ『不動』の効果だ。

『不動』は常時発動型で、どんな攻撃であれ大盾での防御に成功すれば吹き飛ばされずその場に留まれる。攻撃の強さに応じてスタミナを消費し、スタミナが尽きればアビリティの効果も途切れてしまうのだが、そこは化け物ステータスの真理恵さんだ。余程の連続攻撃でなければスタミナの自然回復が追い付く。


 この隙に俺は蒼星蟹を攻撃……はせずに、巨大魚の切り身に駆け寄って片手剣で滅多矢鱈に斬りつける。“森”ステージで入手した『鋼蜘蛛の毒嚢』を組み込んだ毒属性片手剣により、巨大魚の切り身は紫色に染まった。もう一つの切り身も毒肉に変えれば仕込みは終了。

 武器をメイスに持ち替え、今度こそ蒼星蟹に仕掛ける。


 ――『剛撃』&『強振』!


 瞬間最大火力を叩きつけるのは蒼星蟹が背負う貝だ。蟹の名は付いていても蒼星蟹はヤドカリだ。そして名のとおり、ヤドカリにとってヤドは借り物、本体ではない。そのせいかヤドへの攻撃は蒼星蟹の反撃を誘発し難い。『剛撃』と『強振』の合わせ技でさえ一度なら無反応なのだ。その分ダメージ効率が極めて悪いのだが、今はこれで良い。

 通常攻撃も続けてヤドへ集中させ、反撃として急速後退での体当たりが来れば自分から後ろに跳びつつ小盾で受け止める。どれだけ攻撃すれば反撃が発生するのかはもちろん“死に憶え”ている。貫通ダメージは回復薬で即座に打ち消した。


 頃合いを見て真理恵さんにも回復薬を“投げ付け”てHPを管理するのも忘れない。


「お、っと! 怒り状態になるよ!」

「はい!」


 体全体を上下に揺するのが、蒼星蟹が怒り状態に移行する前兆だ。攻撃動作に紛れてなかなか気付けなかったこれも、憶えてしまえば見分けるのも容易になる。

 俺は攻撃を中断。回復薬を準備しつつ真理恵さんの後ろに移動する。

 真理恵さんは大盾を両手保持で斜め上方に向けて構えた。


 そして一度大きく体を沈み込ませた蒼星蟹が大きく跳躍してのボディプレスを敢行した。


「ううっふぅ……」


 落下してきた大質量を大盾で受け止めて、『不動』効果でその場に留まりつつも真理恵さんには大きな貫通ダメージが入っている。回復薬を用意しておいたのはこのためだ。蒼星蟹の怒り状態はこのボディプレス一発で終了して通常状態に戻り、暫らくはこのパターンの繰り返しとなる。


 そうして四十分ほどが経過して。

 俺が積み重ねてきた攻撃がようやく実り、ヤドの一部が破片を撒き散らして砕けていた。このタイミングで必ず発生する反撃をいつも通りに防御して、一旦後退した俺は武器を『噴流貝の細巻貝』を穂先に据えた槍へと変更した。蒼星蟹の青い甲殻は頑丈で、比較的相性の良い打撃武器を用いても容易には砕けない。その上本体への攻撃は反撃発生率が高いから危険を伴う。プレイヤースキルが高ければ正攻法の方が速いと思うけれど、俺には難しい。

 だから最初は安全なヤド狙い。

 そしてヤドを砕いた後は槍で中身を狙う。

 普段ヤドの中に納まっている“中身”は甲殻に覆われておらず、黒っぽいブニッとした見た目に違わず非常に柔らかい。ヤドの破砕孔の奥へも槍なら届く。


 ここで俺は回復丸を飲んだ。

 中身への直接攻撃は大ダメージを狙える反面、反撃のパターンが鋏を除く八本の脚で地団太を踏むようなものに変わり、頻度も上がる。予測はできても完全に回避や防御をするのは困難となる。幸いにして体当たりでの反撃に比べてダメージは小さいから回復丸を飲んでおけば余程のヘマをして続けざまに喰らわない限り即死は無い。


 刺す。刺す。刺す。

 時折回復丸の回復速度で間に合わなければ回復薬を飲み、さらに刺し続ける。

 こうして俺が思い切って攻撃できるのも、蒼星蟹の巨大刃を真理恵さんが引き受けて、崩れないでいてくれるからだ。


 こうして怒り状態と通常状態を何度も往復して、


「そろそろ凶暴化来るよ!」


 HPバーの残りから見当をつけて真理恵さんに注意を促す。

 俺の声を聞き逃さず、真理恵さんは素早く周囲を見回し、毒肉に変じている巨大魚の切り身の位置を確認して、蒼星蟹との直線状に入らないように立ち位置を調整する。


 直後、蒼星蟹は双の刃を激しく振り回しながら一方の切り身に向かって突進して貪り食い始める。一心不乱に食っている間は完全なる攻撃チャンスである。ガツガツと食っている背後からグサグサと槍を突き刺す。その間に真理恵さんは自分で回復薬を飲み、この後の為に回復丸も飲んでいる。


 切り身を食い終えた蒼星蟹を真理恵さんが『挑発』する。

 凶暴化に際してヘイト値がリセットされるらしく、ここで『挑発』しないと近くにいる俺が攻撃対象になってしまうのは、以前実際になってしまい殺された時に憶えた。


 凶暴化した蒼星蟹は攻撃の回転が速くなり、しかも口から今さっき食ったばかりの魚肉をいわゆる“ゲロブレス”として吐いてくる。食ったのが毒肉だったせいでゲロブレスも毒属性となっており、ブレスそのものは大盾で防げても霧状に飛散したそれを吸い込んで真理恵さんは毒の状態異常になってしまう。

 毒肉にしなければゲロブレスにも毒は乗らないのだが、これをしないと肉を食った時に蒼星蟹は大きくHPを回復させてしまうのだ。凶暴化後の猛攻を凌ぎながら素早く倒せるだけの火力があればそれでも良いだろう。しかし俺は毒肉にして回復させない方を選んだ。

 真理恵さんが受けるダメージは大きくなってしまうが、こちらの方が確実に倒せると踏んだからだ。『毒耐性』での軽減と回復丸の常時回復、そして俺が適宜の“投げ付け”を行えば、真理恵さんなら耐えられる。


 俺は二つ目の回復丸を飲み、蒼星蟹の足踏みにHPを削られながら槍を突き刺し続けた。そして蒼星蟹のHPが尽きる寸前。まるで「お手上げ!」とでも言うように蒼星蟹が万歳の体勢になり……。


「伏せて!」


 叫びながら、俺自身も身を投げ出すようにして地に伏せた。

 そのすぐ真上を、風を切り裂き巨大な刃が行き過ぎる。

 続けて、峰打ちの鋏が風を打ち砕きながら通り過ぎた。

 左右の鋏を水平に広げ、ギュルンと高速回転する三百六十度の範囲攻撃だ。前回はくらった。俺は一撃目で死に戻り、遠心力の乗った強烈な連撃でHPのほとんどを持っていかれた真理恵さんも回復役の俺が不在となり程なく削り殺された。凶悪な攻撃ながら、予備動作は判り易い。真理恵さんのお蔭で、これが一回転で終わるのも知り得た。そうして“死に憶え”てしまえば、少々無様ながらも地面に這いつくばるようにして避けられる。


「よし! 最後の仕上げだ!」


 程なくして蒼星蟹は崩れ落ち、光の粒子となって消え去った。

 戦闘時間は二時間弱。

 こうして俺達は第三十五階層を突破した。

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