9-3:ボスエリア突入
回復丸には本来の効果に加えて、『エクスプローラーズ』実験用バージョンの特殊仕様下においては副次的な効果がある。
それはズバリ『痛覚再現の軽減』だ。
効果時間中はプレイヤーを常時回復状態にしてくれる回復丸。
これが特殊仕様の“被弾してダメージを算定して再現すべき痛覚を決定する”という一連の処理とどう絡むのかを俺は知らない。知らないが、回復丸を飲んでおけば感じる痛みが大幅に軽減されるのは身を以て確かめている。感覚的に表せば“声も出せずに悶絶するレベル”のダメージを受けても“「痛いぞコンチクショウ!」と叫べるくらいのレベル”に抑えられていた。精神的な負担だけでなく、痛みによる行動阻害も減るのでプレイヤーにとっては大助かりなのだが……痛みをこそ求めて実験に参加している真理恵さんにとって回復丸は忌まわしき存在となるのだろう。
「回復アイテムとしては有用ですからもちろん用意しておきます」
嫌いながらもちゃんと準備するのは、回復丸が真理恵さんのような盾職により有効だと承知しているからだろう。モンスターのヘイトを稼いで敵の攻撃を一手に引き受ける盾職は、役目故に防御に徹しているので実はクリーンヒットを貰い難い。それよりも大盾や重鎧できっちりと防御した上での貫通ダメージにより少しずつHPを削られていくのが常だ。
これまでは回復薬の無駄を避けるためにだいたい一本分のHPが減ってから回復していたが、回復丸なら最初に飲んでしまえば細かなダメージを随時回復させてHPを満タン近辺で維持してくれるのだ。
真理恵さんはゲーマーではないなりにゲームを快適に進めるための情報収集を怠らないから、回復丸の効能についても理解しているのだった。
さて、こんな便利な回復丸にも欠点はある。
一つは“投げ付け”回復が出来ない点。液体の回復薬は飲む以外にも直接振りかけて使用できて、だからこそ他者からの“投げ付け”も可能だ。しかし丸薬である回復丸は飲む以外の使用法がない。一応、マシュマロキャッチみたいな器用な真似ができれば他者からの使用もできそうだが……ただでさえ難しいのに戦闘中にやるのは無理だろう。
もう一つは“ポーション酔い”の蓄積度が高い事だ。薬効成分が凝縮されているような見た目であるから、酔いを誘発する成分もそうなのだろうか。ともかく長丁場になるボス戦で最初から最後まで効果を切らさず使い続けるのは不可能だ。ダメージが嵩み易い怒り状態時や凶暴化後など、使いどころを選ぶ必要がある。
*********************************
そうして一人で始めた“死に憶え”。
回復丸がさっそく役に立ってくれた。
“死に憶え”ではモンスターの攻撃を見極めて憶える方に意識を向けているせいで防御や回避が疎かになってしまう面があり、普通に戦うよりも被弾し易い。その上、行動パターンを把握するまでは回復薬を使うタイミングも計りづらい。回復薬を飲んでいる最中に追撃を受けて死亡、なんて事も良くある。
そこで回復丸だ。
リ○ェネタイプの回復だからあまり過信はできないものの、少しずつでも回復されていればそれだけ死に戻るまでの時間を長くできる。そして痛覚が軽減されればモンスターの観察に割く集中力も確保でき、一度の戦闘で持ち帰れる情報は多くなった。
ポーション酔いは問題にならない。
なにせ最初の内は回復丸一つの効果時間を待たずに殺されてしまうし、再チャレンジのために第三十五層までマラソンすれば十分なインターバルになる。遠慮なく使っていて数が足りなくなり、素材集めに行く手間の方が問題になるくらいだった。
「お待たせいたしました」
真理恵さんが追い付いてきて合流したのは“死に憶え”を始めてから三週間ほども経ってからだった。
「お待ちしておりました……!」
「あら、それは私に凌辱の限りを尽くせる日を心待ちにしていたということでしょうか? まったく、仰っていただければ私は即日OKでしたのに」
「凌辱はしないよ!? てか、真理恵さん合流しても今日で突破は無理だから。ここから二人で“死に憶え”だよ」
「……そうなのですか? 城太郎さんのことですからもう一人でも突破できそうな勢いでいて、この後すぐに私をお持ち帰りするつもりなのかと思っていました」
「それが、そこまで甘くないんだよ……」
真理恵さんと合流して即突破、しかる後に魅惑の大人タイムというのが理想ではあった。が、第三十一階層以降はゲームも中盤となり、序盤とは様相が異なっている。これまでなら中ボスは雑魚モンスの群で大ボスが特別に強力だったり大型だったりするモンスターだったところ、第三十五層中ボスは序盤でなら大ボスを張れるような特殊モンスターなのだ。
お蔭で一人での“死に憶え”にも行き詰まり感が出始めていた。
強力なモンスターとの戦闘と死に戻りを繰り返した結果、ステータスとスキルが成長したのがまだしも救いである。
可能な限り使うようにしていた『強撃』がレベルMAXになり、上位となる『剛撃』に進化。強化符で付けた再使用短縮は引き継いでいる。
また、『メイス』スキルが規定レベルに達し、『強振』という単発の威力を上昇させるアビリティを憶えている。アビリティレベルが低い現在は『三連打』の三発合計には劣るものの、『剛撃』との組み合わせでは初撃にしか効果の乗らない『三連打』よりも、単発の『強振』の方に軍配が上がる。俺の瞬間最大火力は『剛撃』+『強振』となった。
それでもまだまだ三十五層の中ボス突破は遠い。
当時あれだけ苦労させられたフェンリルでさえ、「所詮は最初の大ボスだったんだ」と思わされるような強敵。ソロ突破しようとしたら何時までかかるやら判らない。
「城太郎さんがそこまで言うなんて……いったいどんなモンスターなんでしょう」
「百聞は一見に如かず、だ。見に行こう」
「いえちょっと待って下さい」
さっそくとばかりにボスエリアへの扉に向かったら、すかさず肩を掴んで止められた。肩に乗っているのは女性らしい繊細な手なのに、STRが俺より遥かに高いからビクとも動けない。
「もう一度言います。いったいどんなモンスターなんでしょう」
「……余計な予備知識なんて入れない方が初見の感動を純粋に楽しめると思うんだがどうだろう?」
「そういうのはいいです」
「あ、はい」
どうせ死に戻るんだろうから最初の一回くらいはまっさらな状態で行けば良いのにと思う。俺と真理恵さんでは感性にズレがあるようだ。中ボスモンスターについて個体情報と開幕後の大まかな立ち回りまで、俺が知る限りの情報を吐かされた。
*********************************
ボスエリアは白さが眩しい広大な砂浜だ。
海も広がっていてプレイヤーの立ち入りも可能ではあるものの、水中戦の不利をわざわざ背負う必要なんて無い。波打ち際から向こうは実質的には背景扱い。戦闘域はあくまでも砂浜となる。
俺達が注視するのは海だ。
ボス登場のムービーシーンが始まる。
最初の兆候は沖合に現れる海面の盛り上がりだ。
下から何か大きなものが浮上してきたのを窺わせる。
「鯨……」
「……っぽい何かだね」
思わずといった感じで漏れ出た呟きに補足をしておく。
海水を雪崩落としながら海面に現れたのは黒い小山のような巨大な魚。見た目は鯨に酷似しているが潮は吹かない。
あくまでも鯨っぽいなにか、だ。
そう、俺はアレの名前を知らない。
つまり威風堂々出現した巨大魚はボスでも何でもない、ムービーシーンに登場するだけの添え物なのだ。
突然、巨大魚に一筋の線が刻まれ、一瞬の間を置き、中央から真っ二つに分かたれる。
次いで前後のパーツそれぞれを下から鋭い刃が貫きとおり、巨大魚の亡骸が空中へと持ち上げられた。波打ち際に向かって近付いてくるにつれ、水面下に隠れていた刃の持ち主が姿を現す。
ゴツゴツとした青い甲殻、背に負う巻貝、そして鋭い刃と化した双の鋏。
そのフォルムは見慣れた青鎌蟹そのままだがスケールが違う。鯨っぽい巨大魚を一刀両断にし、半身ずつを両の刃にぶっ刺して交互に口元に運んでは貪り食う。見上げる視線の角度は二階建ての家の屋根を見るのと同じくらいだろうか。
『蒼星蟹 キュアノエイデス・カルキノス』
それが第三十五階層に立ち塞がる中ボスの名だ。




