9-2:中ボス戦に向けて
さて、図らずも俺と真理恵さんの思惑が一致していると判明した訳だ。
俺は真理恵さんとエッチを致すような親密な間柄になりたいと思っていたし、真理恵さんも俺との関係をそこまで進めるべく密かに――と表現するのは今となっては憚れるが――行動していた。
両想い……と呼ぶのは少々違うのかも知れない。
真理恵さんの方は打算含みに俺を選んでいるし、俺の方はエッチを致したいという欲望の向いた先に真理恵さんがいたというだけなのだ。もちろん、そこにいたのが俺の好みから隔絶した誰かであったなら即座に回れ右していただろうから、憎からず思っているのは確かではある。しかしそれが恋や愛という感情なのかとなれば首を傾げざるを得ない。恋愛経験が乏しい……いや、皆無な俺には良く判らない。他の男に取られたくないとは思っていたから独占欲はあるのだろうけれど。
「……」
無言のまま、真理恵さんは俺を凝視している。
この後俺が何を言うのかを待ち構えている。
「そ、それじゃあ……」
「それじゃあ? 続きをどうぞ」
言い淀んだところで視線の圧力が増した気がする。
いやまあ視線に物理的な力など無いのだから気のせいなのだけど。
「さ、三十五階層の中ボスに挑戦できるようになったら連絡するよ!」
はい、盛大に溜め息を吐かれました。
「この期に及んでまだそういう……」
「だ、段階だよ! 段階を踏むんだろ!? 中ボス突破の報酬で“一晩お付き合い”って、そう言ったじゃないか!?」
「言いましたけど、それもうどうでも良くないですか?」
「いいや、良くはない」
良くはないんだ。
俺はいずれ真理恵さんとそういう仲になりたいと思っていたけれど、あくまでも“いずれ”なのだ。両者の思惑が一致していると判明したにしても「じゃあ今から致そう」とは言い難い。心の準備が全くできていないのだ。第三十五階層クリアという節目をそのタイミングに設定して、自然な流れで事に持ち込むのが俺にとって望ましい展開だ。――「ここまでヘタレだったとは……城太郎さんは私の予想の上を行きますね」――真理恵さん、気持ちは判るけど勘弁して欲しい。言葉にだって物理的な力はないけれど、メンタルを傷付ける力は確かにある。そしてMではない俺は傷付けば痛いだけだから。
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翌日から俺は走りまくった。
そして泳ぎまくった。
おかげで『持久』と『水泳』と『潜水』のレベルが爆上がりしている。
真理恵さんとのエッチを先送りにしたのは俺が尻込みしたからだ。
後になってみれば「もったいなかった」と激しく悔いる羽目になった。しかし後の後悔先に立たず。どれだけ激しく後悔したって時は戻らない。仮に戻ってあの場面をやり直せたとして、それでもやっぱりヘタレるような気もするが……。
致したい。
真理恵さんとエッチを致したい。
であれば、一刻も早く第三十五階層を突破せねばならぬ。
つまり俺は先を急ぎたい。
でも俺にだって意地がある。
この『エクスプローラーズ』をプレイするにあたって、俺は豊さんや雄二さんが作ったゲームを隅から隅まで楽しむという決意の一番判り易い形として自動更新されるマップを全て埋めるという一種の縛りを自らに課している。誰に強制されたのでもなく自分で決めた事だ。それだけにエッチをしたいがために縛りを捨てるのはどうかと思うのだ。
三十五階層突破後に戻ってきて改めて埋め直すという手もあるにはあるが、これは却下だ。と言うのも、俺がマップを全て塗り潰しているのは真理恵さんも知っていることだからだ。三十五階層で合流した時に俺のマップが空白だらけだとしたら真理恵さんに何を言われるか判ったものではない。何も言われなかったとしても“エロの欲求に負けて己の信念を捨てた男”との評価は免れないだろう。さすがにそれは我慢ならない。
だから走りまくり泳ぎまくるのだ。
一秒でも早く、一歩でも先へ。寝食を忘れ……そうになったが食は忘れなかった。“空腹”が進むとステータスダウンして効率が落ちるからだ。逆に眠気以外はデメリットの無い睡眠を忘れてしまって強制睡眠のペナルティを受け、何かに攻撃されて死に戻った事はある。その時に判明したのは死に戻ると“空腹”と“睡眠”はともにリセットされるという新たな事実だった。そうでなければ死に戻った直後にまたペナルティを喰らう羽目になるから当然の措置なのだろう。
これを利用した昼夜を問わない強行軍を思い付いたものの、これは夜の暗さによって断念した。月の無いダンジョン内の夜は本当に暗く何も見えない。照明用の松明を用いても自分の周り数メートル程度しか照らせない上に片手が塞がる。索敵も戦闘もほぼ無理だ。未踏破域に到達する前に雑魚モンスに殺されて死に戻るのを何度か繰り返せば「夜は大人しく寝ていた方が効率的」と骨身に染みて判ろうというものだ。あと、夜の海は単純に怖かった。
それだけに昼間は走りまくって泳ぎまくったのだ。
もちろん採取ポイント巡りや雑魚モンスとの戦闘も積極的に行う。回復薬の準備と装備の充実なくして中ボス突破はおぼつかない。急ぐあまりにそこを疎かにしては却ってエッチが遠のいてしまう。急いで、しかし慌てずに。着実に階層を更新していった。
そうして第三十五階層、ボスエリアに通じる扉の前まで辿り着き、
「今回も“死に憶え”から一緒にやりたいんだけど良いかな?」
満を持して真理恵さんに個人チャットを送ったところ、しばしの絶句の後、
『私、まだ三十二階にいます』
無情にもそう返された。
「えー……」
『あの……念のために言っておきますが、これでも寄り道は最小限にしていますよ? 蛸さんは一日一回で我慢していますし……』
「……」
残念極まりないが、これでも真理恵さんにしては急いでいる方だろう。例の“パーティーを組んでいる間は真面目にプレイする”という取り決めはまだ辛うじて有効になっていて、そこには“ボスに挑むための準備をきちんとする”のも含まれている。
真面目に――一日一回擬岩蛸は除いて――素材採集をしながらなら真理恵さんの進度の方が普通、か。
『と言うかですね、城太郎さん、どれだけ先走っているのですか? そこまでして私の体を貪りたいのでしたら今から“外の街”で合流して……』
「いや、それはできない。俺にだって意地があるんだ」
『意地……ヘタレたくせに……』
「それとこれとは別なんだよ」
『私には良く判りません』
俺にも良く判らない。
判らないけれど、曲げてはいけない。
それが俺の意地。
『良く判りませんけれど、判りました。蛸さんも二日に一回にしてできるだけ急ぎます』
「二日に一回は行くんだ……」
『私にそれを止めろというのは酷な話です』
「真理恵さんなら酷な話はウエルカムじゃないの?」
『……それとこれとは別ですね』
「ああ、そう言うと思った」
一日一回に減らしていたのも、それをさらに半分にするのも、真理恵さんにとっては大きな譲歩だ。一方的な俺の都合で蛸断ちを強制できるものではないだろう。
俺が先走ってしまったのも事実だし。
仕方ない。“死に憶え”は先に一人で始めよう。
「あ、そうだ。真理恵さん『回復丸』は調合できてる?」
回復丸。
正式には『下級回復丸』という。
海底に生えている『海薬草』と『擬岩蛸の墨』を調合して作り出す丸薬で、効果は“一定時間の継続回復”となっている。判り易く言えば某ゲームで有名になったリ○ェネと同じ。
即座に纏まった量を回復させる回復薬とは異なり、緊急時に使うには向いていない。しかし戦闘中の細かなダメージを随時回復させてくれるので、そもそも緊急事態を訪れ難くしてくれる。しかも下級回復丸の時間一杯の回復量は中級回復薬に迫るものがあり、長期戦においては有ると無いとでは攻略難易度が格段に変わってくる。
だからこそ念のために確認した。
回復丸の材料になる海薬草の採取ポイントは三十一階層だと擬岩蛸が生息する小島への渡海ルートから少し外れていて、もしも脇目も振らずに最短距離だけを泳いでいたら発見できない。そして真理恵さんならその可能性が高い。
「回復丸ですか……あれは……」
俺の心配を他所に、真理恵さんも回復丸を知っていた。
ただ、はっきりと判るほどに忌々しげでもあった。




