表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/88

プロローグ2:DPS・Kantanの加速世界

 鳴りやまぬ歓声に、黒ローブ姿は「まあまあ」と制するように軽く両手を上げた。

 ついでその手で顔から腹までを撫で下ろすようにすると、その動作がコマンドになっていたのだろうか、装いがガラリと変わる。正体不明の怪しさを演出していた黒ローブは消え失せ、何の変哲もない――しかしそれなりに高級そうな――スーツに身を包んだ男性が現れた。

 髪には白いものが混じり、歳の頃なら五十から六十歳くらい。

 そんな年齢に比してガッチリとした体格をしており目付きも鋭く、スーツよりも、こちら側に来て剣や鎧で武装した方がかえって馴染むのではないかという精悍な雰囲気を漂わせている。


 俺は彼を知っている。

 いや、直接の知り合いという訳ではない。


「ふ・じ・た! ふ・じ・た! ふ・じ・た! ふ・じ・た! 」


 誰から始めたのか瞬く間に広場を席巻するのは彼の名“藤田”をコールする声だ。

 自然と俺も声を揃えて彼を称える。

 ゲーム好きを自認するなら知らぬ方がおかしいというレベルの有名人。

 それが彼、“藤田”なのだ。


 完全没入型VRの技術が確立されてからおおよそ四十年。

 彼、“藤田”はその黎明期からの発展を支え続けてきた。日本のVR産業に藤田あり。何故か姓の“藤田”だけが有名になり、一般からは親しみを込めて“藤田さん”と呼ぶのが通例となっている。

 最近、VRの新たな可能性を追求するべく新会社を立ち上げたばかりだ。


 藤田さんは再度「まあまあ」と手振りで場を制し、ぺこりと一礼。


「DPS・kantan代表取締役の藤田です。改めましてエクスプローラーズ2ndステージ……正確にはその実験用バージョンとなりますが……ともあれようこそ。実験への参加と協力に感謝申し上げます。そして年寄りの冷や水にお付き合いいただき、重ねて感謝を」


 いつかやりたいと思っていたのですが、この歳になるまでなかなか機会が……と照れたように頭を掻くのは、代表取締役の立場ではなく、VRに携わる一技術者としての藤田さんを幻視させるようだった。

 俺達にとっては古典扱いのSAOも、藤田さんの世代にはリアルタイムとなる。

 一説によればSAOの登場が、当時夢物語とされていた完全没入型VRの実現を加速させたとも言われている。あの作品に対する思い入れも俺達と藤田さんでは違うのだろう。


 まあ程度に差はあっても俺達にだってSAOへの思い入れはある訳で。

 ゲームスタート直後のこの時間に余計なイベントを挟むななんて不満はどこからも上がらず、聞こえるのは貴重な体験をさせて貰ったと有り難がる声ばかりだ。


「さて、実験の大まかなところは募集要項で既にご承知のとおりと思いますが、開始にあたって改めて説明と注意事項などを技術主任の阿部君からお伝えします。……と、本来ならここで主任の阿部君が登場するところでしたが……事情があって少々遅刻しております。これを見越して事前に用意したものがありますのでこちらをご覧ください」


 藤田さんと入れ替わりで空中に浮かんだ巨大な仮想スクリーンに映し出されたのは三十代も後半くらいの病人のように顔色の悪い男だった。……いや、ような、ではなく、真実病人であるらしい。

 彼もまたVRの界隈では有名で、こちらはフルネームの阿部雄二で知られている。VRの技術面だけでなくゲーム製作にも深く関わり、ヒット作をいくつも生み出している。とある難病を発症したために一時期業界から姿を消していたのだが、再度現れたと思ったら業界の大御所藤井さんを巻き込んで新技術を開発。阿部雄二復活を知らしめ、世論を騒がせた。


「皆さん、本日は我が社が開発したDPS・Kantanによる仮想世界の時間加速、その超加速実験に参加いただき誠にありがとうございます。本来なら直接の御挨拶をするべきところですが、このような形になりもうしわけありません」


 そう言って軽く一礼する阿部雄二。

 DPS・kantan。正式には『DreamPlayingSystem・kantan』と名付けられたそれこそが、VR業界の大御所藤田さんを巻き込んで阿部さんが生み出した新たなVR技術である。

 最大の特徴は仮想世界内の時間加速に特化しているという点だ。


 現在、仮想世界は様々な分野で活用されている。

 実用化当初は主に娯楽分野に偏っており、一部である種の職業訓練に用いられる程度だったものが、今では“現実の世界で現物を扱わなくても成り立つ”類のあらゆるジャンルに浸透している。

 例えば、近年オフィスビルというものは急速に数を減らしている。仮想世界内にVRオフィスを構える企業が増えているからだ。経理などの事務作業はもともとコンピューターを使って電子的に処理できるのだから、それを仮想世界内で行うのに支障のある筈も無く、極端な話としては社長の自宅に設置した非常用電源付きのサーバー内にVRオフィスを構築すれば、社員は在宅のままネット回線を通じて仮想世界へ出勤する形態で成り立ってしまうのである。設備投資と維持管理はサーバーだけだ。ビルを借りて様々な機器を導入するのに比べれば遥かに安価だし、社員に交通費を支給せずにも済む。経費削減の観点からすればVRオフィスへの移行は必然的に推進されていた。

 例えば、学校もまた在り方を変え始めている。

 VR普及の初期にも学校施設を丸ごと仮想世界内に再現した例があった。これは一部の学校行事を仮想世界内で行う程度だったのだが、これをモデルケースとして、既存の通信制学校の発展形ともなるVR学校が誕生した。VR学校は生徒の側からは住所に関わらず進学先を選べるのと通学時間と通学費用が不要である点が有り難く、運営の側からはやはり現物としての学校施設が無い分で維持が容易な点が歓迎され、双方にメリットがあるとして受け入れられた。

 ちなみに、VR学校はそれまで撲滅困難とされていた“いじめ問題”の解決に威力を発揮している。暴力、悪口、無視、盗難、カツアゲなどあるいじめの多くが仮想世界では不可能になるからだ。学校に通うのはあくまでも仮の姿、アバターである。ユーザー保護として痛覚制御が設定されていれば暴力は成り立たないし、現実の金品を持ち込めない仮想世界内で盗難もカツアゲもやりようが無い。悪口と無視は難しいところもあるが、行動記録ログが残るのだから、被害者が訴えれば絶対に明るみに出てしまう。バレると判っていてやるのはバカだけだし、そんなバカにはNG設定を施して接触そのものを制限する事さえできる。

 もう一つちなみに、学校につきものの部活動の内、運動系の部活動は現実世界に校舎を構える学校でもVRの導入率が高く、大会も仮想世界で実施する形に移行している。武道系の部活には早期から導入され、その後他の運動系の部活でも取り入れられた。言うまでもなく怪我を防ぐ為である。練習や競技中の怪我はVRなら完全に防げるのである。まあ、大会などでは疲労度再現設定されるのが常なので、体力作りだけは現実世界でやるしかないのだが……。ともあれ、とある野球の大会は今では仮想世界内の快適な球場で行われており、二昔前のように真夏の炎天下に殺人的なスケジュールを強行して選手の競技者生命だけでなく脱水症や熱中症による文字通りの命の危機的状況を生み出すような問題は排されているのだった。


 ……と、長くなったが、要は、それほどまでVR技術が生み出す仮想世界は無くてはならない存在になっているということだ。農業や製造業、医療みたいな例外を除けば、仮想世界への移行は確実に進んでいく。

 そんな中で実現を期待されたのが仮想世界内の時間を加速させる技術だ。


 考えてみれば良い。

 もしも仮想世界内の時間が二倍に加速できたなら、と。

 VR学校なら一日分の授業を、VRオフィスなら一日分の仕事を、それぞれ半日で終えられる。もしくは二日分の授業や仕事を一日で、となる。半分の時間で済ませて余暇を増やすか、倍の密度で生産性を上げるか、どちらにしたって得られる恩恵は計り知れない。俺達ゲーマーなら良いとこ取りで、仕事を半分の時間で済ませて余暇を増やし、増やした分を含めて倍の密度でゲームをやればプレイ時間を四倍に増やせるというウハウハな状況すら望めるのだ。

 こうして、VRが普及すればするほど期待の高まる時間加速であるが、実現は非常に困難だった。加速するだけなら簡単、というのは素人の俺でも判る。処理速度を支えるマシンパワーと、増加する情報を支障なくやり取りするための通信品質。この二つがあれば仮想世界内の時間を加速させるのは可能だろうし、機器の刷新は必要になるとしても既存の技術で事足りた筈だ。実際、既に試みられている。

 しかし駄目だった。

 完全没入型VRでは仮想世界の情報を脳に送り込み、脳からの信号を読み取ってアバターを動かしている。そうして生み出されるリアリティのせいであたかも仮想世界と言う名の別世界にいるように錯覚しているだけで、実際にはVR用のヘッドセットを装着した体は現実の世界に存在している。二倍に時間加速された仮想世界内で満足にアバターを動かそうとしたら、二倍に増えた情報を受け取り二倍の速度で信号を送り返す必要がある。一倍速の世界に存在する脳みそで、だ。

 酷い負担が脳にかかるのは言うまでもない。

 以前に見たニュースでは、極短時間の一・五倍加速が限界であり、しかもその後暫く酷い頭痛に悩まされ、とても実用化はできないとされていた。


 そんな中で阿部さんが藤田さんを巻き込んでDPS・kantanを開発した。同名の、このシステムだけの為の会社を設立して。既に数度の実験を社内で行っており、今回その限界を探る為に俺達のような一般からの参加者を募っての実験が行われる。


 超加速と阿部さんは言った。

 加速でも高加速でもなく超加速。

 その加速倍率は。


「事前に募集要項に記載したとおり、当初の、そして現在の加速率は約二万二千倍となっています」


 なんと二万二千倍。

 実験は午前九時に始まり午後五時に終わる。

 この仮想世界内では二十年になる計算だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ