2-3:羊の罠
俺、なんで死んだんだ?
首を捻りながら部屋を出ると、そこはさっき後にしたばかりの育成神の神殿だった。NPC老神官にめちゃめちゃ見られながら神殿を出ると、何故か豊さんがいて俺を心配そうに見ている。
「豊さん、どうしたの?」
「城太郎くん、死に戻ったんだろう? きみが死んだら判るようにしておいたんだ」
「そりゃまたどうして」
「城太郎くんは痛いの嫌いだろ? さっきはやる気になっていたけど、戦闘に負けて……実際に痛みを感じた後でもその意思が変わらないかどうか聞きたかったんだ。きみのことだからやっぱり駄目だとなっても遠慮して自分からは言い出せないんじゃないかと思ってね」
それで豊さんは運営者サイドの権限を使って俺の死亡が判るようにしておき、同じく運営者アバターに付与されているGM対応用のプレイヤーを指定した転移でここまで来たそうだ。
俺が痛いのを嫌っているのは親代わり兄代わりの保護者である豊さんも良く知っている。ゲーム内の痛みを感じた俺がどうするのか、そこを気にかけていてくれたのは素直に嬉しいのだが、
「それにしても早かったな。始まりの街の周辺なんてそこまで強いモンスターは配置していないんだけど……城太郎くん、そんなに下手だったっけ?」
などと残念な子を見るような目で俺を見ないで欲しい。
「待ってよ豊さん。俺まだモンスターと戦ってない」
「え? 死に戻って来たんだろ? ……まさか、羊にやられたのか?」
「わかるの?」
「この近辺、モンスター以外に死ねる要素なんて羊しかない」
「そうなんか」
「でも本当に羊? モンスター以外のダメージ発生源が羊しかいないから言ってみたけど、あれで死ぬのは並大抵の事じゃないんだがなぁ」
「羊撫でてたらいきなり死んだ」
「いきなりなんてことはないだろ? 頭突きでダメージ受けてただろ?」
「へ?」
頭突きって、あの「撫でて撫でて」のどすん、か?
「あれダメージあったんか? 全然痛くなかったんだけど」
「どれくらい痛いかはダメージの大きさに比例するんだよ。羊からのダメージは微々たるものだから五十パーセントなら痛いって程の痛みじゃないかもね」
そういえば鳩尾とかいいとこに入るとちょっと息が詰まるくらいの衝撃はあったっけ。
あれでHPを削られていたのか。痛覚再現の話を聞いてから『ダメージを受ける=痛い』と思い込んでいて、裏返し的に痛みが無いならダメージもないのだと思い込んでいた。
「城太郎くん、簡易ステータスは常に表示させておいた方が良いよ。痛みが無くてもHP減れば判るし、状態異常なんかもアイコン出るからね」
「……そうする」
善は急げ。早速メニュー画面を操作して簡易ステータスを表示させる。視界の端に緑色のHPバーが現れて、なるほどこれがあればダメージを受けて気が付かないなんて事は無いだろうと思えた。
「しかし、羊で死んだのか。初期のHPでも羊の頭突きくらいなら相当耐えられる筈なのに。いったいどれだけくらったんだい」
「うーん、どれくらいだろう」
夢中になっていたからまるで判らん。
死に戻りというゲーム的に見ればよろしくない結果を迎えても全く後悔の念が湧いてこないくらいに幸せな時間だった。それだけに酷いと思う。HP管理を怠ったのは俺自身の落ち度とは言え、スタート直後に仕掛ける罠にしては悪辣すぎる。
俺が抗議すると豊さんは「罠なあ……確かに罠ではあるんだが……」と苦笑いしていた。
「これ、他のプレイヤーには内緒にしてくれよ? あの羊、確かに罠なんだがプレイヤーを殺すための罠じゃないんだ。賞金レースに関する方の罠なんだよね」
「そうなん?」
「ああ。あの羊、敵のマーカーは付いてなかったろ? プレイヤーが攻撃するまでは中立NPC扱いになっていてね。背景みたいなもんだから普通は攻撃しようなんて思わない」
羊飼いも配置してモンスターとは違う管理された家畜だとの印象を強めている、と豊さん。確かに俺も羊を攻撃すべき対象とは思わなかった。
「ところが羊の頭突きにはダメージがある。そこで初めてプレイヤーは羊を敵だと認識する訳だ。それでも敵マーカーは付かないんだが、攻撃すれば倒せるし、倒せば『羊毛』がドロップする。この『羊毛』が序盤の換金アイテムとしては結構優秀なんだ。味を占めて乱獲すると羊飼いにボコられて、以後は羊に近寄れなくなるんだがね、まあ、良くある序盤の美味い稼ぎ場みたいなものだ」
「ああ、あるね、そういうの」
昔やったレトロゲームにもそういうのがあった。モンスターを避けつつフィールドに落ちているアイテムを拾ってきたり会話イベントでアイテムの遣り取りをすると、一度も戦闘をせずにレベルアップした上にワンランク上の装備を手に入れられるという裏技的要素だった。ノーヒントで、気付いた人だけちょっと得できる。こういうのは現代のVR作品でも取り入れているものが多い。
ところが、これが罠だと豊さんは言う。
「正規版でも羊を狩れば『羊毛』は手に入るし売ればお金になる。違うのは、正規版だと羊の方からプレイヤーに寄ってくる事は無いってとこだ。遠くに背景然として存在する羊をめがけて道を外れていくプレイヤーがいたら……怪しいだろ?」
「怪しいっちゃ怪しいけど、モフラーはどうするのさ。羊でモフモフしたくて近付く人はいるんじゃない? それで頭突きされたら倒しちゃうんじゃないかな」
動物大好きなモフラーだって攻撃されれば反撃するだろう。
「その点は考慮しているとも。正規版の羊はプレイヤーから攻撃されない限り頭突きをしてこない。敵マーカー無しで具体的な敵対行動もとってない。そんな羊にいきなり攻撃したならもう確定、ワンナウト」
「はー、なるほどねぇ」
やっぱり俺が気付くくらいのことならとっくに対策しているか。
それにしても……正規版の羊はこっちから攻撃しなければ頭突きしてこないのか。つまり死に戻りの心配なくエンドレスに羊まみれが可能、と。これモフラーにとっては違う意味での罠になるんじゃなかろうか。
「そういや『HP増加』とかいうスキルが手に入ったな」
「それは最初の死に戻りで手に入るスキルだね。ゲームスタートから取得するまでの最短記録だ」
始まりの街近辺のモンスターは弱い。
塔に入ってからも最初の内は強いモンスターがいない。
序盤はサクサク進むので、塔の五階層にいる中ボスあたりでようやくちらほらと死に戻りが出始めるらしい。これはソロプレイであっても、だ。塔に入る前で始まりの街を出たばかり、そして極め付け、モンスターとの戦闘をする前に取得したのは間違いなく最短記録になるそうだ。
「全然嬉しくない!」
「まあまあ。普通はそれなりに痛い思いをして入手するスキルなんだ。羊と遊んで手に入ったんだから得したと思っておきなよ」
はははと笑った豊さんの語尾が「はぁ」と溜め息に繋がった。気が抜けたというか力が抜けたというか、そんな顔になっている。死に戻りを経験した俺の進退問題を心配して文字通り転移してきたら無痛のまま羊に殺られたというこのていたらく。そりゃあ脱力もするか。
「じゃあ豊さん、俺はゲームに戻るよ。それで、駄目そうならこっちから言うようにするからさ、便りが無いのは元気の報せってことで、俺の方はいちいち気にしなくて良いよ」
「そうかい?」
「心配してくれるのは嬉しいよ? でもそれだといつ死ぬかって待たれてるみたいで」
「む……それもそうか。判った。モニターは外しておく。その代わり、嫌になったら我慢せずすぐに連絡すること。いいね?」
「ああ、約束する」
それでもまだ豊さんは後ろ髪を引かれる思いでいるらしい。
普段頼りない姿を見られているので余り強く出られないが、もう少し信用してくれても良いと思う。