2-2:羊でスキル取得
チュートリアルを終えて戻ってきた俺をNPC老神官が出迎えてくれた。
「おめでとうございます。あなたは育成神リーベルスアウフの加護を得ました」
祝福の言葉は実にあっさりとしている。
そして老神官、続けてニッコリして告げるのは、今のままではまだ“塔”には挑めないということだ。育成神の加護を得たばかりの俺は“レベルアップできるようになった”だけでまだレベルアップをしていない。ステータス画面の表示もレベルゼロ。加護を得る前と何も変わらない一般人のままだ。
育成神の加護をきちんと使える証明をせよ、と老神官。
ゲーム的に噛み砕いて言うならば“塔”には入場制限レベルがあってそれが一だということだ。まあ、こういうのは良くある。
「そして探索者の証であるこのメダルを手にすれば、はれて“塔”への入場が可能となります」
老神官が差し出したのは育成神の彫り物が施された掌大のメダルだ。
通行証みたいなものかと思いつつ伸ばした手の先を遮るようにして出現したのは一枚のメッセージウィンドウ。
『育成神リーベルスアウフのメダルを購入しますか?』
…………。
はあ!? 購入!?
くれるんじゃないのか?
YES・NOの選択肢と共に表示された価格が高いのか安いのか、この世界の物価を知らない俺には判断のしようがない。しかし高かろうが安かろうがそんなの関係無い。
だって俺の所持金ゼロだもの。
無一文、素寒貧だ。
このゲーム、初期配布にお金は入っていないのだ。
NOしか選びようが無いじゃないの。
「残念です」
そう言ってメダルを引っ込める老神官。
俺だって残念だよ、まったく。
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切り替えていくとしよう。
もともと当面の食費を稼ぐための前段階として加護を得に行ったのだから、今すぐ塔に入れなくても別に問題じゃない。……負け惜しみじゃないぞ?
育成神の神殿から中央広場へと戻り、そのまま素通りして南の大路を進む。“始まりの街”の南門から出ればフィールドが広がっていてモンスターもいる。このゲームではモンスターを狩ってドロップした素材などを商店で売却するのが主な金策手段となっている。他、採取や採掘、素材を加工してから売却などもあるようだが、対応するスキルを育てなければまともに稼げないだろう。手っ取り早く金を稼ぐならやっぱり狩りしかない。
やがて南門が見えてきて、気付いたら俺の足は鈍り、門の前に至るにおいてついに止まってしまった。
我ながら意外。
もうちょっと思い切りが良いと自分では思っていたのだけど……正直に言えばフィールドに出るのが怖い。モンスターを狩るなどとは上から目線な言い草だった。どう言おうともこれから始まるのは殺るか殺られるかの殺し合い。こちらも無傷では済むまい。ダメージを受ければ痛みが伴う。
そして俺、痛いのは大嫌いなのだ。
幸いにして現実世界では荒事とは無縁な生活を送れていた。本格的な殴り合いの喧嘩なんかした事もないから暴力が生み出す痛みというものはまるきり未経験だ。知らないから想像するしかなく、想像が行き過ぎて怖くなる。再現率五十パーセントなら大したことないとも思うのだが……。
行くか。
少し強めに気合を入れた。
知らないから怖いのなら、とっとと経験して知ってしまえば良い。
現実の荒事知らずなのは他のプレイヤーだって大差ないだろう。そんな彼らはもう随分先まで進んでいる。そう考えればやっぱり五十パーセントならそこまで恐れるほどでは無い筈だ。
意を決して門を潜る。
すると、急に体が軽くなった。
それだけでなく、なんだか力も強くなったように感じる。
「おおー、なんか新鮮だな」
実験用バージョンの特殊仕様として街の中では現実準拠にされていた身体能力がフィールドに出る事でゲームキャラ本来のそれに切り替わったのだ。なんだか強くなったような気がして無意味にシャドーボクシングなんかしてしまった。
いや、ちょっと待てよ。
レベルゼロでスキルもまるで育っていないのだから、ゲームキャラとしてもまだ一般人と変わらない身体能力のままだ。それでいてこうもはっきり判るくらいの違いがあるということは……どんだけ貧弱なんだよ、現実の俺は。
いや、仕方ない。数年間寝て起きて食って寝るような生活をしていればこうもなる。気にせず行こう。そうしよう。
現実の自分に思いを馳せて下向いた気分を強いて上向かせ、同時に視線も上向かせて前を見れば雄大な風景が広がっている。緑を敷き詰めたような草原の真ん中を門から続く道が視界の届く限界まで伸びていた。
こういうのは他のVRゲームでも良く見る。長続きしないだけで数だけはこなしている俺にとって見慣れた風景だとも言えた。しかし、何かが違う。他のゲームだって大概リアルを追求していて謳い文句に恥じないだけのリアリティを誇っているのに、今のこの感覚を知ってしまえば今後安っぽさを感じてしまうのではないだろうか。
こうした感じ方の違いは痛覚が再現されているからだそうだ。
痛覚を制限すると他の感覚も影響を鈍ってしまうのだとか。
こんな自然の中に身を置いたのはいつ以来だろう。引き籠り云々とは関係無く、今の日本では余程の田舎まで出向かなければまとまった緑になんてお目にかかれない。精々が街路樹とか個人宅の庭木くらいだ。
歩きながら深呼吸してみる。
良い気分だ。
少しだけ、これから確実に起こるであろう戦闘と痛みに対する恐れが薄れたような気がする。
「お?」
気が付けば道を行く俺を窺うようにして草原を羊がちょこちょこと並走していた。
羊からその先へと視線を向ければもっと沢山の羊が群れていて、羊飼いらしき人影も見えた。してみるとこの羊は群からはぐれてきたのだろうか。
あれ? これまずいんじゃないか?
このまま進んで羊が付いてきてしまったら、俺、羊泥棒にならないか? 勝手に付いて来たんですって言えば信じてくれるかな? いや、AI非搭載のNPCに信じるも信じないも無いか。特定の条件を満たしてしまえば問答無用でそのように扱われるだけだ。
「お前、群に戻れよ」
シッシッと手を振っても羊は付いてくる。
勘弁してくれ。
足を止めて真正面から向き合い、「あっち行けって。聞いてんのかおい」と言っても聞いていないようで、逆にとことこと俺に近付いてくる。そしてもう少しで手が届くというところで立ち止まり、くいっと首を傾げた。
……なんか可愛いかも。
っと、和んだ隙を突かれた。
最後に残った間合いをぴょんと一跳びした羊の頭部が俺の腹を直撃。
「おうっふ」
衝撃に肺の中の空気が押し出されたのか変な声が出た。
「……っ、なにをしやがる」
そんな抗議も無視して羊はめえめえ鳴きながらグリグリと俺のお腹に頭を押し付けてくる。もしかしてこれ、甘えてるのか? これなら触っても嫌がられないか?
そっと手を伸ばして羊の毛に触れてみる。
……ふわふわだ。
亡くなった両親も豊さんもペットを飼わないから犬や猫との触れ合いもなかった。小学生の頃に遠足で行った動物公園でウサギを撫でたのくらいしか思い出せない。そんな遠い記憶と比べてこの羊、手触りが段違いに良い。
現実の世界に生息する羊だと違うのだろう。土埃や皮脂で汚れていればもっとごわごわとしていそうだ。仮想世界の羊だからこそ最も良い状態の羊毛を再現しているのだと思う。ケモナーでもモフラーでもない俺が時を忘れて撫で回すくらいの極上な感触だ。
どすん、と腰のあたりに衝撃を感じて振り返ると別の羊がいた。どうやら本当に時を忘れていたらしい。いつの間にか十頭くらいの羊に囲まれている。
「なんだ? お前も撫でて欲しいのか? よーし、よしよしよし」
その羊を撫でていたらまたどすんときた。次から次へと「撫でて撫でて」とばかりに羊が頭を押し付けてくる。どっちを向いてもふわっふわの羊まみれだ。ヤバイ。俺にはモフラーの素質があったのか!?
どすん、なでなで、どすん、なでなで。
至福のループは無限に続くと思われたのだが、不意に、ぶつりと電源が落ちるようにして視界が真っ黒に染まった。
そして戻って来た視界に映るのは白い石造りの部屋だった。かなり広く、腰の高さくらいの石のベッドみたいなのが並んでいる。俺はその一つに横たわっていた。
へ? 死に戻った?
呆然とする俺の耳にピローンと気の抜けるような効果音が届き、
――身体強化スキル『HP増加』を獲得しました。
そんなアナウンスが流れたのだった。