1-5:邯鄲の夢
豊さんからのアドバイスで特に重要そうなのは二点、『レベルアップ』と『お金と食事』についてだろうか。
まずレベルアップについて。
最初の迷宮を攻略すると“育成神の加護”を得てプレイヤーはレベルアップできるようになる。『エクスプローラーズ2ndステージ』のレベルアップは自動ではなく任意だ。ステータス画面にレベルアップの項目が追加され、必要な経験値が溜まった状態でレベルアップを実行できる。
レベルアップするとプレイヤーの基礎ステータスが上昇するからその後の戦闘が有利になるのは言うまでもない。しかしレベルを上げ過ぎるのは宜しくない。
と言うのも、このゲームにはレベル補正が存在するからだ。
ゲームの主な舞台となる塔には階層ごとに適正レベルが設定されている。この適正レベルをプレイヤーのレベルが上回っていると獲得経験値やアイテムドロップ率が減少し、下回っていれば増加する。そしてレベル差に応じて減少幅と増加幅も大きくなるので、レベルを上げ過ぎると、せっかくボスモンスターを倒したのにアイテムドロップが雀の涙なんて笑えない状況にもなり得る訳だ。
そして実験用バージョン限定のレベル補正に食費がある。
ざっくり説明すると、食事(空腹度を回復させるアイテムを含む)の価格は、プレイヤーのレベル平均に比例して上昇していき、平均からのレベル差に応じて割引や割増がある。同じ和風おろしハンバーグ定食を食べても、高レベルプレイヤーは低レベルプレイヤーよりも多くの金を支払うこととなる。
「なんだってそんな面倒臭いことを」
「実験の体裁を整えるためにプレイヤーには活発に動いてもらわないといけないって言っただろ? 街の近くで弱いモンスターをちょこちょこ倒して、小銭を稼いだら後は街に引き籠りなんてされたら必要な負荷が稼げない」
「なるほどね。食費が上がってれば戦闘回数を増やさなくちゃいけないってことか」
弱いモンスターから得られる金は微々たるものだろう。高騰した食費を賄うには戦闘回数を増やさざるを得ず、それだけ負荷を発生させる。
「いや、そこまで甘くないよ」
しかし豊さんは緩く首を横に振った。
「例えば最前線からドロップアウトして“始まりの街”に帰ってきたとして、そこでいくら狩りをしても食費を賄うのは無理だ。アイテムドロップ率が絶望的だろうからね」
「レベル補正か……」
「そういうこと。弱いモンスターを作業的に倒しても駄目。自分のレベルに見合った敵と激戦を繰り広げて欲しい」
「うはあ」
「プレイヤー枠の参加者は賞金目当てに集まってきた猛者だ。とは言え実態は荒事とは無縁な一般人のゲーマーだからね。中盤から終盤、モンスターが強くなってきたら攻略を諦めて引き籠りになってしまう可能性は低くないと見ている。それならそれで実験期間が伸びるから悪い事ばかりではないんだけどね」
探究者枠参加者の事を考えれば、プレイヤー全員がクリアを諦めれば最長の二十年が実現するのは最良の結果と言える。しかし実験の体裁を整えるためには全員引き籠りは最悪の事態。あちらを立てればこちらが立たずのもどかしいところだ。
「でもさあ豊さん、それってプレイヤーがなんとしても飯を食おうとするってのが前提だよね? 引き籠りなら“空腹”でステータス下がっても問題無いし、なんなら“餓死”上等ってのもあるんじゃない?」
「それはないな。“餓死”には特別なデスペナルティが追加されてる。一度はあっても二度目はないだろう」
「自信たっぷり?」
「あれを一度経験して二度目以降を受け入れられるようなら、そもそも引き籠りになんてならないさ。引き籠る理由は痛覚再現に嫌気が差したからなんだろうし」
「“餓死”するくらいなら痛い思いをして戦った方がマシだと思わせるようなペナルティって」
「雄二の発作を再現してる」
味覚を再現しているのと同じ理屈だ、と豊さんは説明してくれた。
発作中の雄二さんの脳から感覚信号を採取しておいて、“餓死”のデスペナルティとしてその信号を流し込む。そうすると雄二さんが発作を起こした時に感じている苦しみが再現される。
俺は雄二さんが発作を起こした現場に居合わせた事がある。
どれくらいの苦しみかを知っている身としては、
「えげつねえ……」
そうとしか言いようが無い。
確かに餓死するたびにアレなら、痛覚再現率五十パーセントのフィールドでモンスターと戦った方がまだマシだとなるだろう。
「一般の認知度がまだまだ低い自分の病気を知って欲しいっていう雄二の希望もあったんだよ。そういうことだから城太郎くんも“餓死”しないように気をつけてくれ。レベルを低めに抑えておけば食費に困る事はそうそうないと思うけど、お金には常に注意を払って余裕を持っておくようにね。欲しい装備があるからって所持金ギリギリで買っちゃって素寒貧とかならないように。念のために携帯食料をいくつか常備しておくと安心だ」
「ああ、気をつけるよ」
これは肝に銘じておこう。
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「そう言えば聞き忘れた……いや、聞いたけど忘れてるのか……この仮想世界の時間を加速させる技術って凄いんでしょ? ダイブ方式がこれまでと違うんだっけ」
一通りのアドバイスを貰った後、気になっていたことを訊いてみた。
完全没入型VRではダイブ中は現実世界の感覚は全てカットされるのが普通だ。しかし俺は現実の感覚を一部引き込んでしまい、常に違和感に悩まされる。それがここには無い。スッキリ爽快だ。
その辺の話も現実世界でした。
……ほとんど憶えてないけど。
気を悪くしたかなと豊さんを窺うと、気を悪くするどころか「お? そこ興味あるかい?」と話したそうにうずうずしていた。……忘れてた。豊さんは技術畑寄りの専門家でこういう話をするのが大好きなのだ。普段のボーとしていて余り話を聞かない俺に対しても根気よく話すくらいに。俺からの質問は「よくぞ聞いてくれました」なのだろう。
「時間加速技術の開発にはいくつもの企業が名乗りを上げていた。でもうちのDPS・Kantan以外は実用化できるレベルじゃないね」
唯一ある程度の実績を残した例でも短時間の約一・五倍加速が限界。しかもその後暫く酷い頭痛に苛まれるなどの副作用を伴うもので、とてもではないが実用に耐えるものではない。問題になるのがハードウェアや技術面ではなく、人間の脳が加速に必要な情報の入出力に耐えられないという根本的な部分であるため、これを解決する手段は無いのではないか、時間加速は所詮夢の技術として終わるのではないかと言われていたそうだ。
いや待て一・五倍が限界って。
そこからどこをどうすれば二万二千倍なんてとんでもない倍率にできるんだ?
「時間加速は夢の技術……皮肉にもそれこそが真実だったのさ。DreamPlayingSystem・Kantanはその名のとおり、まさに夢の技術なんだ!」
ドヤァ! っと豊さん。鼻の穴が膨らんでぴすぴすしている。
「……えーと?」
「あれ? 反応薄いね。DreamPlayingSystemで夢の技術だぞ?」
「だから、結局それってどういうことなのさ」
いくらテンションを上げられてもね。
「ふむ。城太郎くんは『邯鄲の夢』という言葉を知っているかな?」
「一眠りしている間に一生分の夢を見たとかそういうのでしょ」
「そう、それだ! 判るだろ? 人間の脳にはもともと高倍率の情報を処理する機能が備わっているんだよ!」
えー……そういうことになる……のか?
いや、一生分とまではいかなくてもロングスパンな夢を見た経験は俺にだってある。言われてみれば確かに異なる時間倍率の情報を処理していることになるのだろうかと思うけれど……それで良いのか?
「Kantanは従来の完全没入型VRとはダイブ方式を変えていると言っただろ? 今、現実世界にある僕たちの脳は睡眠中に夢を見ているのと似た状態になっている。言い換えると、この加速世界は夢の中ってことだね」
「そのおかげで違和感が無いのか。あれ? でも夢だとすると起きたら忘れちゃうんじゃ?」
眠りから覚めた直後には憶えていても、少し時間が立てば夢の内容なんてどんどん薄れてしまう。最後には「こんな感じの夢を見たかな?」となってしまうのが普通だ。DPS・Kantanの世界へのダイブが夢を見ているのと同じであるなら、これはどうなるんだろう。もしも夢と同じように忘れてしまうなら致命的だ。なにも憶えていないプレイヤーに対して「あなたは憶えていないでしょうがこちらは確かにサービスを提供しました」なんてのが通用する筈もない。第一、ログアウトするたびに忘れてしまったらゲームそのものが成り立たないだろう。
「鋭いね。実際開発中の実験では時間加速に成功しても被験者は仮想世界の中の出来事を忘れてしまう問題は発生した」
でもそれは改善した。そうでなければこの実験は行われなかった筈。
「社長の古い知り合いにいたんだよ。邯鄲の夢を見て、しかもその内容を全部憶えてるって人が。で、これまた社長の伝手に記憶とかその手の分野に強い人がいてね。脳のどの部分にアクセスすればそれを再現して夢を見ている状態でのダイブと記憶の保持ができるのかを解明してくれた」
件の人物が邯鄲の夢を見たのは今から二十数年前というから俺が生まれより少し前の話だ。二時間くらいの睡眠中に約八年分の夢を見て、完全記憶バリに細大漏らさず憶えていたとか。ここまでくるともはやびっくり人間の類である。二時間で八年分なら約三万五千倍。これを元に開発されたDPS・Kantanも同程度の倍率まではいけるが、そこは安全マージンを取る意味で二万二千倍に抑えての実験実施という運びであるそうだ。
「豊さんの会社の社長ってあの藤田さんだよね。ああいう人だとやっぱり人脈凄いんだな……」
「その人たちも協力者として探究者枠で参加してる。もしかしたら会うことがあるかも知れないね」
そうして豊さんの話は終わった。