扱いに困る心の中の嫌な
この文章はそういうこともあるよね、ということのみを主旨とし、だからどうだということはほとんど一切述べていないっていう注意書きいる?
あるインタビューにて─
どういう質問だったかどういう流れでこの発言に至ったのかはもう覚えていない。どうせくだらないバラエティの一つだったはずだ。テレビだったかインターネット配信だったかも忘れてしまった。だのに、この回答だけはなぜか印象深く刻みつけられていて─
誰がインタビュアーで誰が回答者であったかはそんなに問題じゃない。
ただ、答える人は一人だったのに対し、インタビュアー側は質問をする人とただの聴衆や関係者など雰囲気では複数だったこと。少数派と多数派という二項対立の環境があったことは記しておく。
その発言が世間から見て少数派のものだったからか、周りの雰囲気に合わせない内容だったからなのか、あるいは……。
なんにせよその状況、環境がきっと記憶の楔なのだろう。
それが無駄ではなかったとは思います。価値が0かどうかと聞かれれば0ではなかった、得るものは確かにあった。それがあったから今の自分があるんだ、とは確かに思っています。でもだからってそれが最善だったとは思わないんですよ。「時間は等価値じゃない」って誰かが言ってましたよね?もっと良いことが出来たはずなんだ、もっと上手くやれたはずなんだって後悔してますとも。それが悪いことですか?貴方がたにとっては都合が悪いのかもしれませんが、んなことに私の価値判断が揺さぶられるわけにはいかないんです。それがあったこと─これは事実です。それが私に影響を与えたこと─これも事実です。それは良いものなのか─これは私の判断で、私と私が許した人の領分なんです。勝手に侵略されて愛想笑いできるほど、私は他人に都合よく出来ちゃあいないんですよ。それについての、この話の落としどころは貴方がたが決めるものではないんです。「価値というものは変動する」ともまた別の誰かが仰っていましたね。未だに私はそれについてどう考えたらいいのか、それをどういうものだったのか。未だに答えが定まらないんですよ。肯定的に見ることも否定することもできます。してきました。どちらにしたって腑に落ちないことがあります。だから決めあぐねて迷ってるんです。貴方がたに、上っ面の話と些細な結果だけしか知らない貴方がたが下した碌でもない判断を私の答えとするわけにはいかないんですよ。
捨てられない。けれどどう処理していいかわからない。もしかしたら他人の何気ないどうでもいいような一言が快刀となり乱麻をたってくれるのかもしれないが、そんな蜘蛛の糸に賭ける気はない。だからこそ、変に拘って丁重に、繊細になる。なってしまっている。
はてさて、どうやって扱うべきであるか。