初めての敗北
「勝機があるとすれば、善田の動きか?」
和仁はそう言って、ナイフを構えながら少しだけ退く。作戦を立てなければ、動くものも動けない。あの目が見えない間、あの間に何とか戦略を……
「あぁ、ただ善田に動き回られると、今度は善田が心配だ。最上は……」
「機を伺っているだろうな。さて、どうするか」
作戦がうまく練れず、苦戦する。この間にも、視力は着々と戻りつつあった。いや、いつもよりスピードが速い。なるほど、こいつは厄介。身体の目で術で受けたダメージを消そうとしているわけか。
「もう少しだ……視力さえ戻れば……あとは……頼むぞ……」
メルトは何かつぶやいている。そこへ、善田が空から飛んできた。ドスンと音を立てて降りると、そこからは瞬きする間もなかった。
その鉈を振り切った瞬間、すでに善田はメルトの後ろにいた。時間差で、メルトのわき腹から血が噴き出す。
「がっ……がはぁ!」
「おいおい、その程度かよ。鳩ってもんは!」
善田の目は赤色だ。この時点で「いつもの善田」ではない。両目を赤に染めた、人ならざる者に近い人間、それに人格を切り替えることでなることができる。それが善田の能力だった。
なぜその体が、人ならざる者に近いのかはわからない。だが、その力は、強力かつ狂暴だった。
メルトが膝から崩れ落ちた瞬間、まさに一瞬で、善田はメルトの首を跳ね飛ばした。さっきまで人の形を保っていた黒い影が、溶けるように崩れていく。
「あっれぇ? 一瞬かよ、鳩ってもんはつまんねぇなぁ!」
「善田、油断するな! 今のは虚像だ、俺たちが戦っていたのは、端末に過ぎない!」
またけたたましく鈴の音が鳴る。それがなければ、どうなっていただろう。善田が空へ飛んだ瞬間、その地面は黒い影によって、割れ、破壊された。
すぐさまこちらにも、黒い影が伸びる。和仁はナイフで切り伏せ、足で蹴飛ばした。俺も余りは、カッターナイフで切り伏せる。今の黒い影は何だ。力がさっきとはけた違いだ!
爆発音のような音が鳴る。飛び散った瓦礫がガラガラと飛ぶ。宙に浮いた善田は、まさに油断していた。
これは終わった。善田は間違いなく死ぬ。やめろ、死ぬんじゃない。届くはずのない手を伸ばしてでも、善田を助けたかった、その時だった。
「咲き誇る花弁の壁、向日葵!」
向かってくる黒い影から守るように。金色の花弁が善田を包み、地上へと降ろす。駆けつけ、間に合ったのは怜花だった。
「何とか間に合ったみたいね、お兄ちゃんも善田先輩も!」
「下がれ、怜花! あいつは簡単な相手じゃない!」
黒い影を見たとたん、怜花の顔は青ざめ、すぐさま怜花は俺のもとへ下がった。
「な、何よ、あれ……いつものとけた違いじゃない。お兄ちゃんは、大丈夫なの?」
「あれが鳩だよ。いつも通りの作戦は通じない。視力も戻ってきたし、俺は大丈夫かな」
戦況は大丈夫じゃなくなったんだが……と言いたい気持ちをこらえると、冷や汗が流れた。さて、あいつはどうすればいいか。戦略は崩れたし、立て直せそうにもない。
黒い影は形を作り出し、メルトの姿となる。今度こそ、あれは本物だ。ニタニタ笑いながら、こちらを睨むように見てくる。
「覚元くん、似非くん!」
そこへ駈け込んできたのは、皆川と才木だ。必死に走ってきたんだろう。息をぜぇぜぇと切らしている。
「この土地を魔力や術で塗り替えようと思ったんだけど、ダメだった。土地の魔力は、全部あいつに奪われてる。私の力でも……限界が……」
言葉を言い切る前に、皆川は意識を失って倒れてしまった。
「皆川は持てる魔力や術を用いて、何とか土地の魔力を味方につけようとしてたんだが……鳩の魔力のほうが圧倒的に強い。術以上の力で押し返されて……それで皆木は魔力を使い切ってしまった。もともと戦闘向きの体じゃないのに……」
才木は皆川を抱き寄せ、悔しそうに唇をかむ。魔力量として最大の皆川でこの土地の魔力を奪えなかったということは、この土地は今、どんな術を使っても、俺達には不利ということになる。ここは、撤退しかないが……撤退の魔力も残ってねぇな、こりゃ。
「陣が張れない限りは、撤退も厳しい。完全に籠に捕らわれたな」
和仁も、ナイフを静かに握りしめていた。襲い掛かる攻撃は、善田がすべて払いのけている。だが、人ならざる者と鳩では力の差がありすぎる。長くは持たない。
「最上は、最上は何してんだよ……!」
「周辺に沸いた雑魚処理だ。俺が任せた」
俺の静かな声に、才木が答える。
「魔力を逆転できるかとも思ったが、それも無理みたいだ。最上に何とか連絡を取って、撤退させなくてはいけない……」
才木も最大限、策を尽くしたらしい。だが、それもここまで。
ならば、使うしかない。この手元にある切り札を……!
「使いたくはない術だったんだがなぁ。撤退だけでもなんとかするしかない!」
俺は立ち上がり、カッターナイフで手首を少し切る。流れ出した血が地面に滴り落ちていく。神の目に最大限の力を込め、準備は整った。
「黒き影の、人ならざる者よ。我が血の呼びかけに答え、力を貸せ。血の刻印・抑止者!」
周辺を赤黒い霧が包む。空気が先ほどよりもかなり重たくなり、周辺の魔力はすべて、滴り落ちた血に結集する。善も悪も、奴の前には関係ない。善の魔力も、悪の魔力も、奴の前にはすべて栄養源だ。
「怜治、お前……」
「和仁、お前だけは絶対に黙ってろ。こいつは俺が背負い、俺が葬る闇だ」
和仁、お前だけは、この闇を知ってはいけない。知ったとき、お前は俺を殺すだろうさ。だから黙っててくれ。苦しい思いは、もう誰にもしてほしくないんだ。
血は、魔力を吸い、膨れ上がる。そして次第に人の姿を作り出していく。真っ白の髪の毛に、赤と青の神の目を持ち、顔を黒い布で隠した、手に双剣を持つ暗殺者。
「いけ、アサシン。逃げる間を作るんだ」
アサシンは無言で、メルトに切りかかる。その姿は、まさに俺の使い魔のようだった。すると、メルトは何かに気付いたようで、切られ、血を吹き出しながらも、ニタリと笑った。
「ぐぅ……ふ、はははっ! まさか貴様……王としての血統を! 似非怜治、そうかお前だったのか!」
「うるせぇ、じゃあな、メルト。この借りは必ず返す」
人格が切り替わってどうしようもなくなってしまった善田を、神の目で眠らせた後、すぐさま撤収する。皆川は才木が抱え、善田は和仁が抱え、俺は怜花の手を握った。
「お兄ちゃん、今の……何?」
「まぁ、術の境地よ。怜花は絶対に真似すんじゃねぇぞ?」
俺は何とか笑って見せる。怜花もいつも通り「そうね、お兄ちゃんなら仕方ないわ」と返す。だが、その間はどこかギクシャクしていた。いつまでもこの秘密を抱えられるわけがない。
怜花はわざと聞かないでくれたんだろう。でも、どこかで知りたがっているはずだ。あれは何だって。
「最上、撤収だ。今回は敗北だぞ」
「……わかった、撤収する」
逃げる途中、黒き影と刀で戦っていた最上を、俺は呼び止め、一緒に走る。そして、廃工場からどんどん離れていく。どこまで離れても、神社まで安心はない。
「土地の魔力、逆転できなかったんだな、才木」
「あぁ、無駄に戦わせてしまって済まない」
「構わない。むしろ呼んでくれれば、あんな鳩は切り殺した」
冷静に怖いことを言うなぁと、最上と才木の会話を聞きながら思うが。今思えば、おかしな話だ。土地の魔力が逆転できないほど、鳩は強かったわけだが、皆川の力をもってしてできないのはおかしい。
理由としては、皆川は魔力や術においては誰よりも勝る。その質、その実力が、鳩に足りなかったとは「経験上」思えない。
「おーい、みんな。迎えに来たよ!」
遠くに車から手を振る姿が見える。はぁ、良かった。何とか安心だ。これならすぐに逃げられそうだ。
「大参先生、こちら負傷者2名!」
「わかったわかった! 似非くん、叫ばなくていいから早く乗って!」
急かすように手招きするこの男性は、大参孝人。俺たちの通う志田高校の、地学の先生だ。現在26歳、彼女らしき人はまだいない。こうやって、戦う俺たちのサポートをしてくれている。
最も、大参先生はただの人間なので、こうやって現場に駆け付けたのは、たぶん二神様に言われたんだろう。
「さぁ、みんなシートベルトした? 飛ばすよ!」
善田と皆川のシートベルトをしっかり止めた後、車はアクセル全開で走り出した。
さて、話を戻そう。そもそも、鳩の魔力もまちまちと二神様も言っていたことだし、メルトの魔力が強いだけ、で片付くが、どうもおかしい。作戦は筒抜けだった。だが、俺が「あの影」を従わせていることは知らなかったわけだ。
要するに「誰にも話していない内容に関してはバレていない」ということだ。ならば、この中に裏切り者がいるということになる。
それは……誰だ……? 疑いの目で、車の中の一人一人を見る。神の目を使えば一発でわかるというわけでもない。相手が鳩とつながっているならば、魔眼を避けることも可能だ。目を合わせなければ情報はバレないし、術除け、魔眼よけをしていれば、なおさらだ。
「自力で探すほかない、ってことかよ。厄介だなぁ」
「何が?」
独り言に、大参先生が反応した。あぁ、声が漏れてしまったな。安心しきってたかも。
「あの鳩の対策だよ。先生なんかないの?」
「うーん、地学教師に聞かれてもなぁ」
アハハと笑いながら、話をスルーする。車は、二上神社へと向かっていた。
……猛スピードで進む外を眺めながら、俺はずっと怜花の手を握りしめていたことに気付いた。ふと怜花を見ると、不安げな顔をして、目を逸らしていた。
「あ、俺ってば、ずっと手を握ってたな。悪ぃ、ついつい怜花が心配でさぁ……」
明るく取り繕ったが、怜花はずっと黙っている。このチームを結成して、初めての敗北、初めての力の差、そして怜花には一度も見せたことのない「俺の力」本来怜花は戦場の真っ只中にいない。だからこそ、俺の術や力は、見るのはすべて初めてだったはずだ。
何もかも計算外、何もかも規格外、何もかも、初めてだった。だからこそ、この場にいる誰もが、明るい顔はできない。
ましてや、俺の手をつなぐ怜花は、一番それを感じているはずだ。俺は今、不安で手が汗ばんでいる。
「お兄ちゃん、無理はしないでね。私は最大限、サポートするからさ」
ぽつり、とつぶやいたその声に、俺は最大限の笑顔で答える。
「あぁ、やっぱり自慢の妹だな、怜花は」
車は、少年少女を載せて、二上神社の裏にまでたどり着いていた。夜は、もう深い。