殺しの理由
「そこのアナタ! お願い助けてっ!」
買い物帰りの夜道、悲鳴を上げながら俺の腕に突然縋り付いてきたのは、二十代後半の女だった。
「おわっ!? な、なんだよいきなりっ」
買った材料で今日の夕飯の献立を考えているようなしがない大学生の俺は、ただ驚き戸惑うほかない。
ガクガクと全身を震わせる女は涙目で俺の顔を見上げ、とんでもない事を言った。
「追われてるの! ここ殺されそうなの! お願い助けて!」
「ええ!?」
思わず後ろを振り向くと、鬼気迫る形相でこちらに走ってくる中年男の姿が見えた。
「待てぇ翔子ぉっ! ぶっ殺してやるぅぅっ!!」
男は右腕に、肉を解体する時に使う様な極太包丁を握り締めて叫んでいる。
うわぁ、超ガチなヤツじゃんこれ怖すぎる。
正直女を突き飛ばしてでも逃げ出したいがこの女、ガッチリとこっちの体を掴みやがってろくに身動きすら取れやしない。
そうこうしている内に男がすぐそこまで近付いてきた。距離にすればもう、四、五メートルくらいしかない位置で立ち止まり、威嚇する様に包丁を突き付けてきた。
「おいお前、その女をこっちに寄越せ。じゃねぇとお前もぶっ殺すぞ」
「無駄よっ! この人『安心してくれお嬢さん、貴女の事は僕が護る』って言ってくれたものっ」
誰も言っとらんわそんなこと!
妄想癖の疑いがある女は、器用に片腕だけは絡めたまま、俺を男の方へと押し出した。なんて女だ。
こうなった以上は仕方ない。とりあえず男を説得してみようと口を開く。
「あー、その、なんだ。何があったのか知らないけど、人殺しなんてろくなもんじゃないぜ? まずはしっかり話し合ってみて――」
「うっせぇ! てめぇに何が分かんだよっ。いいからさっさと女渡せやこらぁっ!」
まあそりゃ、こうなるわな。
じりじり刃物を構えながら近付いてくる男に対し、俺はといえば丸腰に近い。持ってる物といえば、夕飯用の野菜くらいだ。時間稼ぎにもなりゃしない。
逃げ出そうにも女は相変わらず腕を絡めていてどうにもならず、説得しようにも事情が不明過ぎて取っ掛かりすらない有様。
「(……おい、手っ取り早く何があったのか教えてくれ。助けるにしたって、これじゃどうしようもない)」
女にだけ聞こえる様に小声で言うと、女も小声で返してきた。
「(た、大した事じゃないわよ。私が浮気したの、バレちゃって……)」
……。
「(じゃアンタが悪いんじゃん!? とっとと頭下げて謝ってこいよ! そうすりゃ解決だろっ!?)」
「(むむむ無理無理ぃ見れば分かるでしょっ! あんなモン振り回して追い掛けてくる奴なのよ!? 謝ったって殺されちゃうかもっ)」
「(んー……)」
男の表情を良く見る。顔は真っ赤で額には汗が滲み、興奮しているのは確かに伝わってくるが気が触れている、とまでいうには目の焦点がぶれていない。怒りで少々冷静さは欠いているようだが、一旦頭を冷やせばそこまでの暴挙はしないように思えた。
「(いや、大丈夫だよ。アンタがちゃんと謝れば何もされないって)」
「(む、無責任な事言わないでよっ。助ける自信ないからって適当言ってるだけでしょう! だったら『俺が盾になる君は逃げろ』くらい言ってみなさいよ臆病者っ!)」
「む」
さすがにイラッときた。
俺は別に正義漢じゃない。いきなり現われた見ず知らずの女を体張ってまで助けようとは思わない。ましてそれが、こんなクソ女であればなおさらだ。
決めた、さっさと終わらせよう。
俺は女の腕を、逆に抱え込んでやった。
「え? え?」
戸惑う女に構わず、そのまま無理矢理引っ張り、男の方へ近付いて行く。
途端、女の顔は真っ青になった。
「ちょ、ちょっとまさか……! 嘘でしょ!?」
腕を放そうと暴れ出す女だが今度はこっちが捕まえる。向こうがガッチリ絡めているという事は、こっちもガッチリ絡められるという事だ。男の俺でも逃げられないのに、女のこいつが逃げるのはまず不可能。
罪人をしょっぴくつもりで――というかまさにそのものなのだが、男の前まで女を連れてきた。
「お、おお……それで良いんだよ。そのままそいつをこっちに――」
「殺すのか?」
「……んだとぉ?」
「アンタ、こいつ殺すのか?」
「て、てめぇにゃ関係ねぇだろっ。くだんねぇ事言ってないでさっさと寄越せってんだよ! 殺されてぇのか!?」
「答えろ」
「う――」
詰め寄る俺に気圧された男は、包丁を振り上げたままの姿勢で後退る。最初の気勢はどこへやら、これから殺人を犯そうという人間にしてはあんまり気が強くはないようだ。
じっと睨み付けていると、やがて男は振り上げていた腕をだらんと力無く垂らした。
「……ねぇよ。本気で殺すつもりなんて。俺はただ、心の底から謝ってさえくれればそれで良かったんだ」
「そんで、んな物騒なモンで脅したのか」
「……ほら」
「?」
凶器である包丁を手渡してくる。何かと思ったが良く見るとこの包丁、本物じゃない。
精巧なレプリカだ。当然刃は付いておらず、そこそこ重いから凶器にはなるが、よほど当たり所が悪くない限り死にはしないだろう。
「ちょっと怖がらせれば、すぐ謝ってくれると思ってたんだよ……」
「……」
もうこの男に害意は見当たらない。やっぱり怒りのあまり、少し気が大きくなっていただけだった。
俺がほっと力を抜いたところ――
「いい加減離しなさいよっ」
女が腕を思い切り引き抜き、跳ぶ様に離れた。
「バッカじゃないの!? なぁにが謝れよ! 元はといえばそっちが全部悪いんじゃないっ!」
この女はまた、余計な事を。
せっかく事態が収まりつつあったってのに!
「な、なんだとっ!?」
「そこそこお金は持ってるみたいだったからちょっと遊んであげようと思っただけなのに、いざ付き合ってみれば結婚費用だ養育費だ貯金貯金貯金ッ! 目の前に私がいるってのに、ちっとも金使わせてくれないじゃない! なんてつまんない男っ! そりゃ浮気の一つだってするってーの!」
「お、お、お前……っ」
がなり立てる女に対し、男は言葉を忘れてしまったかのように口だけがぱくぱくと動いている。やがてその口の動きも止まり、目の色が変わる。
まなじりが、一線を越えて吊り上がっていく。
(やべぇな)
俺はじりじり、と嫌な空気が肌に触れるのを感じていた。
一度は萎んだはずの怒りが、みるみる勢いを取り戻していくのが分かる。いやそれどころか、反動をつけてさらにその勢いを増していき――
「はっきり言ってやるわっ、アンタとの将来なんてどうだっていいの! 大事なのは今! アンタが! 私を! どれだけ楽しませてくれるか! それ以外にアンタの価値なんてないわよっ! アンタなんか――」
「うがああああああぁぁぁぁぁぁッッ!!」
ついに切れた男が、拳を振り上げて女に殴り掛かろうと突進した。
まずいと思った。包丁もどきは俺の手にあるとはいえ、男はかなりガタイが良い。素手とはいえ、殴られれば怪我では済まない危険がある。
――いや、済まそうという意識が、男にはない。
俺は咄嗟に女を突き飛ばし、代わりに拳を受けた。
頬に拳がめり込む。首を捻ってなんとか深手は回避したが、そんでも口が切れるのは避けられなかった。
おおいってぇ。
俺の口端から流れる血を見て我に返ったのか、男は一瞬気まずそうな表情になる。
が、俺の後ろで尻餅ついている女の姿を見て殺意が再燃したらしく、再び女に詰め寄ろうとするところを、肩を掴んで抑えた。
「どけっ! 今度は許せねえっ!」
「落ち着けよ」
「落ち着いてられっか!? この女、このオンナァ……!」
声にいよいよ怨嗟が混じる。目の焦点もぶれ始めた。このままだと本当に怒りにまかせて殺してしまう。
だがまだ言葉が通じる、聞く耳がある。だったらここが正念場だ。
腹に力を込めて、尋ねた。
「アンタ、両親はどうしてる? 友人は?」
「あぁ!? 今関係ねぇ――」
「殺人鬼なんぞになっちまったアンタを見て、泣かせちまう誰かはいねぇのかって聞いてんだよっ!」
「――――」
静寂が空間を満たし。
男の表情から、あらゆる感情が抜け落ちた。
手応えあった。男は棚の奥に仕舞い込んだ宝物を、一つ一つ取り出すかの様にぽつりぽつりと、言った。
「……オヤジは、いねぇ。ガキの頃、俺とお袋を残して、どっか行っちまって、それっきりだ……」
「お袋さんは?」
「一人でずっと、俺が仕事に就くまで面倒見てくれて、疲労が溜まってだんだん病弱になってきて、数年前から、入院してる」
「それで?」
「お、俺がなんとかしなくちゃって、恋人も作らず働き続けて、最近やっと容態が安定してきたから、俺ももう少し自分の事、考えても良いのかなって、思って……!」
「……それで?」
「この前電話した時、報告したんだ。俺にも大切な人ができたから、もう心配しなくて良いって、そしたらお袋、笑ったんだ。『良かった、本当に良かった』って、オヤジがいなくなってから初めて、心の底から嬉しそうに笑ってた……!」
「……」
男の体から力が抜け、膝が折れる。もう、言葉を掛ける必要もなかった。
こちらが尋ねていない事すらも、教会で懺悔をする様に吐き出していく。
「もっとしっかりしなきゃいけないって、思った。恋人も、お袋の笑顔も、失いたくない! ……金を稼ぐ大変さは身に染みてる。皆の将来を考えれば、どれだけ貯めたって安心できない。不便を掛けてるのは、分かってた。だけどそれはっ、真剣に未来の幸せを考えた結果なんだよ! なあ、頼む。さっきは頭に血が上って、心にもないこと言っちまっただけなんだろう……? 怖がらせたのは謝る、戻ってきてくれ。それでちゃんと、これからの事、話し合おう」
それが誰に向けられた言葉なのか、問うまでもない。
後ろを振り返れば、女はまだ座り込んだまま、黙って男を見つめていた。果たして男の言葉は、女の胸に届いたのか。
「気持ち悪い」
女の口から漏れたのは。
腐った泥そのものだった。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いキモイんだよおおおぉぉぉぉっっ!!」
髪を振り乱して絶叫する様は、どんな物語の化け物よりも醜悪に見えた。
「なぁにが皆の将来だ! 未来の幸せだ! 結局のとこ、恋人の私より愛しのママを取ったってだけだろうがよぉッ!! はあ!? じゃあなに!? 老い先短いクソババアなんかの為にっ、若くて美しいこの私がっ、蔑ろにされてたってわけ!? ざけんじゃないわよこのマザコン野郎ォッッ!! ああっ気持ち悪いっ!」
おもむろに立ち上がったかと思えば、吐き気を堪える様に口元を押さえながらよろめいている。
「二度と私に近付くなっアンタみたいな奴と一時でも付き合ってたなんて、人生最大の汚点だわ! 視界に入るだけで汚らわしい!」
鼻までつまみ、走り去って行く。
その背中が見えなくなるまで、男は無表情で見つめていたが、そこにどす黒い何かが宿る前に肩を叩いて言ってやる。
「お袋さんを泣かしてまでアンタが殺すような価値、あの女にはない。そうだろ……?」
「――くぅっ」
光を取り戻した男の目から、感情が溢れてくる。
俺は何も言えず、ただ突っ立っていることしか出来なかった。
「そこの君達! ちょっと話を聞かせてもらおうか!」
どっかの通行人が通報したんだろう。数名の警察官が威圧的に近付いていた。
被害者らしき女性は不在、凶器と思われた刃物はレプリカ。唯一の実害といえば殴られた俺の頬だが、痴情のもつれで済まされる程度でしかない。
しばらく交番で事情聴取を受けたものの、結局厳重注意で釈放された。
男とはその後何も言わずに別れた。酒を飲みたい気分でもなかっただろうし、俺もそろそろ家に帰って夕飯を作らないといけない。だいぶ遅くなってしまったが、まともに料理できるのは俺だけなので、きっとまだ食べずにいるはずだ。
案の定、スマホを見れば『腹へった。はよ帰ってこんとぶち殺す』などと我が姉からありがたい言葉を頂戴していた。
急いで家に帰る。
「ただいま」
「遅いわ愚弟! 夕食当番も忘れてどこほっつき歩いてた!? ああん!?」
わざわざ玄関前に仁王立ちして待っていた姉が、早速噛み付いてきた。
「悪かったって。すぐ作るよ」
「ちっ! まあいい。んじゃほいこれ、私の皿に入れといて」
「はあ……今回は何?」
「指」
「……」
「あ、爪と骨は剥がしといてねー」
「……良く食えるなこんなもん」
「あによ、しっかり調理されてれば結構美味いのよこれが」
「味の問題じゃなくてさ……気持ち悪くねぇの? 死人の指なんてよ」
「んー? あそういうこと。そんじゃいっちょ想像してみ? うふふふ、殺した相手の血肉が、自分の体に入ってくるところ。入って溶けて、自分の体の一部になる、その瞬間を……!」
たちまちに恍惚を浮かべ、顔を近付けてくる。
「自分の髪が、肌が、歯が、爪が、血が、肉が、骨が――脳や臓器に至るまで、全てが殺した人間でできている、この背徳感! 豚や牛なんかじゃ到底味わえない、人間だからっ。自分が命を奪った人間だから! 私の犯した罪は、一生私の一部として、生き続けるの!」
姉は家族びいきを差し引いても、かなりの美人だ。
狂気に彩られた顔は、声は、悪魔に引けを取らないほどに美しい。
「アンタもいっぺん試してみ? どんなヤクより、よっぽど効くよ……?」
耳元で囁かれる魔女の誘惑。甘く耳を震わせ、脳を痺れさせる魔性を俺は。
「やらん」
片腕で突き放した。
姉はケラケラと笑いながら自分の部屋に戻っていく。さっきまでの妖艶さは一瞬のうちに消え失せ、雰囲気はいつもの傍若無人な姉のものだ。
この切り替え、二重人格とかなら分かりやすいのだが、れっきとした一つの人格で行われているのだから恐ろしい。
「あーそうそう」
突然姉が首だけを振り向いた。
「父さんがアンタの事呼んでたわよ? 多分、仕事の依頼じゃない?」
「そ、分かった」
材料を置きにキッチンへ行くと、母が茶を飲んでいた。
「あら遅かったじゃない――って、アンタ殴られてるじゃない!? 同業者とでも殺しあってたの!?」
「ちょっと揉め事に巻き込まれただけだよ。大したことないから」
「ならいいけど……ちなみにそれは、誰の指かしら?」
「ウチの長女からの貰いもん。……なあ母よ、姉はあのまんまで良いのかい? いよいよ狂気じみてきてるんだが」
「殺しへの快楽の浸りかたは人それぞれ。私だって若い頃はあったもの、罪を抱えていこうとしてるだけマシな方じゃない。そのうち落ち着くわよ」
母はズズと一口茶を啜ると、昔テストで赤点を取ってきた時と同じ目で、ジロッとこっちを見つめてきた。
「私はむしろアンタのが心配。若いうちからずいぶんと達観しちゃってまあ、可愛いげのない。この世界にいてそんな風にしてたら、それこそいつか心を壊すわよ」
「……」
「それともターゲットに好みの手合いがいないの? なんなら私の『子供達』と交換しようか?」
本気で心配そうに尋ねてくる。そこに欠片の悪意もないからこそ、俺は堪らなく嫌だった。
「いらねぇよ」
不機嫌を隠さずに吐き捨てると、母の方こそ処置なしとばかりに首を振った。ちくしょうめ。
さっさと父の部屋へ行こうと背を向けた俺に、母は労るように言った。
「早い内に諦めなさい。まともであろうとするだけ、無駄なんだから」
ズズ、と茶を啜る音が、やけに美味そうなのが不快だった。
父の書斎は、二階の奥にある。
扉に手を掛けようと近付いたところで中から話し声が聞こえ、扉が半開きな事に気が付いた。どうやら来客中のようだ。
「――頼むっ! 金はいくらでも払う! あいつを……僕の人生をめちゃくちゃにしたあのクズ女をぶち殺してくれ!」
どうやら依頼人らしい、俺と同じくらいの若い男だ。涙混じりの怨嗟の声は、俺の耳にも良く届いた。それに対し、父は淡々といくつか受け答えしたのち、依頼人が部屋から出てきた。
すれ違いざまに頭を下げたが、依頼人はこちらの事など気にする余裕もないほどに思い詰めた空気を纏い、去って行く。
部屋に入ると、一切の感情を感じさせない無表情が出迎えた。
「来たか、早速だが仕事の依頼だ。今すれ違った男が依頼人、ターゲットやその周囲の資料は一通りこの封筒に入っている。何か質問はあるか?」
ろくに挨拶すらなく本題に直入。遅くなった理由や頬の事など気に掛ける素振りすら見せない。
愚鈍なのでも冷徹なのでもない。単に無駄が嫌いなだけだ。この分だと扉を開けておいたのも、説明の手間を省くためだったのかもしれない。
(無駄……ね)
母の言う『無駄な事』を諦めた時、きっとこういうモノになるんだろう。
殺し屋かくあるべし。それを体現した存在が、この父だった。
渡された封筒の中を取り出す。さっきの依頼人の言葉から察するに、きっと女詐欺師にでも騙されたんだろう、あるいは痴情のもつれか。
どうも今日はそういう事に縁がある――!
ターゲットの写真を見た時、つい手が止まってしまった。
深々と息を吐きたい衝動を堪えるのは大変だった。つくづく、ろくでもない世の中だ。
「どうした? 気になる事でもあったか」
「いや、なんでもないよ」
「やり方は任せるが、出来るだけ早くというのが依頼主の注文だ。いつもの様にターゲットの人となりを、直接顔を合わせて確かめるか?」
「その必要、今回はないよ。時間も掛からない。明日には終わらせる」
「ふむ?」
資料には、依頼の動機まで書かれている。
常に複数の男性を側に置き、あらゆる手管を用いてそいつらに金を払わせ、その全てを自らの楽しみに注ぎ込む悪女。
――ターゲット名『日置翔子』。
ついさっき命を助けた、あの女だった。
部屋を出てすぐ、不快感のあまり頭を抱えてしまう。
頭痛がする。目眩がする。吐き気がする。
反吐が出そうだ!
(あんなクズがいるから……!)
俺は……俺達はこんな想いをし続けなけりゃいけないのか。
翌朝。
俺は自室で一人、黙々と準備を整える。
暗器――毒薬――何より、殺意。
武器や薬がなくとも、人は人を殺せる。本当の凶器は、いざという時に躊躇わない狂気こそを指す。
誰にも、何者にも邪魔させない。なにがあろうと、必ず殺す。
仕込みを終えたジャンパーを羽織れば、服の裏に殺意を隠した殺人鬼の出来上がり。
全身鏡に映る自分の姿は、酷く歪んで見えた。
(心配すんなよ母さん)
俺もとっくに狂っているから。
「……行くか」
玄関から外に出てみれば、空は嫌味なほど高くまで澄んでいた。
人殺しはろくでもない。
ろくでなしだからこそ、殺すべき相手はろくでなしこそが相応しい。
ただ、そうだとしても、一つだけ胸の内で願っている事がある。
もしも……もしもそのろくでなし共をこの世から全て消し去ったとしたら、その時にはきっと――
「皆殺しにしてやる」
決意を胸に踏み出した足は、不思議なほどに軽い。
――そして俺は今日も、人を殺す。
この暗闇の果てに、必ず光りが差し込んでいると信じて。