ep065 霧の国イルムドフ
ep065 霧の国イルムドフ
僕は甲板から海原を眺めていた。何だかひと仕事を終えた気分だ。
船はこの海域に発生した巨大な海藻に絡まって立ち往生していたのだが、無事に脱出できた様子だ。
海の男たちが甲板を走り回り船の帆を張る。都合よく東風を受けて船が動き出した。海神の加護もありそうだ。乗船客たちも平静を取り戻して安堵の表情を浮かべている。さてはて昨晩に海に落ちた乗客は誰だったのか…情報は無かった。
「GUF 陸が見えるゾ」
「ッ!…」
野生の視力か獣人のバオウが水平線の彼方を見て言った。僕には全く見えないが、鬼人の少女ギンナが帆柱を伝い降りて来た。
「英雄さまっ、港が見えましたぁ~」
「それは、イルムドフの港だわ…」
風の魔法使いシシリアが知識を披露して言う。
「霧の国イルムドフと呼ばれているのよ」
「へぇ~」
シシリアの話だとイルムドフの湾港から立ち上る霧が港町の全域を覆い尽くすらしい。その風景はさぞ神秘的に映るだろうと思う。そうして僕らは夕日が沈む前に上陸することが出来た。
………
久しぶりの陸地だ。揺れない大地がいつもに増して頼もしい。やはり安心感か胃袋が落ち着く。僕らは港町の安宿を取り、港の喧騒の中へ海の幸を求めて買い食いに出かけた。それぞれは別行動だ。
「ギンナは何か食べたいかい?」
「お魚!ですぅ」
おや、そんなに魚が好きかい?船上でも魚料理はあったが鮮度が違う。市場に並ぶ魚の顔はピチピチとして輝いている。僕らは屋台で磯焼きを頼み、屋台のオヤジのお勧めで鮮魚の刺身を食べた。トルメリアでも刺身は珍しい。
「…【除菌】と【駆除】…」
「ッ!」
よだれを垂らしたギンナを制して僕は呪文を唱えた。食中毒と寄生虫が怖い…屋台のオヤジが不審な目で見る。
「何でぇそりぁ?」
「…ただの御呪いですよ」
「ほう!兄ちゃん。呪い師かぁ」
「………」
僕は黙秘して語らず鮮魚の刺身を味わった。身は白身でやや透き通り歯ごたえがある…鯛に近い触感だ。付け合せのタレは魚醤だと思うが…鼻に抜ける辛みがあった。
「くっ、この辛みは!」
「いやん…」
ギンナには刺激が強すぎたか既に涙目だ。僕がオヤジに尋ねると山で採れた辛みのある野草だとの事…これは是非にも手に入れたい。
その後は磯焼きを中心にして腹を満たした。
食事のあと町をぶらつくと珍しい芝居小屋があった。小屋とは言っても屋根も無く路上ライブの様な人集りだ。
「怪盗さま、どうしてお顔を見せて頂けないのかしら?」
舞台で女優が台詞を言うと、怪盗に見える仮面を付けた男装の麗人が答えた。
「私の正体が知られると、姫にも危険がございます♪」
どうやら歌劇風の芝居らしい。歌や踊りを交えて舞台が進む。おや?…怪盗と剣を交える追手の男は先程の商人役の男か…僕は色艶やかな女優や男装の麗人とは別に様々な端役をこなす役者の男に注目した。
こんどは老婆の役で役者の男が登場したのだが劇中の違和感は無い。むしろ滑稽で似合っている。こんな小規模な劇団では役者の人数も足りないだろうが、楽しませてくれる。
話としては町を騒がす怪盗と貴族の令嬢の恋物語を中心として笑いあり涙ありの娯楽作品だろう。
僕は奮発して銀貨を投げる。
………
そうして、僕は宿に帰り揺れない寝台に身を投げ出すとひと眠りした。
-DOM!DOM!-
宿屋の扉を叩く音…何か事件の匂いがする。
「宿検めである! 神妙にせよ」
「「…ざわざわ…」」
起き出して部屋の外に出ると町の衛兵らしい男たちが宿屋の主人を押しのけていた。
「…こんな所に怪盗がいる訳もなかろ…」
「ほんにのぅ…」
耳の早い宿泊客が噂をしている。噂では毎晩の様に怪盗と呼ばれる盗賊が町を騒がせているらしい。
「…あれは帝国兵じゃ…」
「シッ! 聞かれては…」
町の衛兵に混じって装備の異なる男が検査に同行していた。衛兵の隊長よりも偉そうに見える。僕らは仕方なく検査に応じた。
「他の者はどうした?」
「まだ、酒場から戻りませんが……」
狩猟者の二人…風の魔法使いシシリアと獣人の戦士バオウは酒場だろう。水の神官アマリエは上陸してから別行動だ。
「付近の酒場を捜索しろ」
「ハッ!」
伝令として衛兵の一人が駆けだしてゆく。
「身分証は持っているか?」
「これを……」
おそらくトルメリアの狩猟者の登録タグか、商人ギルドの登録証でも良いのだろうが…僕は帝国の通行証を提示した。
「何にぃ、ミスリルの通行証だと!」
「…」
驚き固まった帝国兵に僕も驚く…この方が効果があるだろうと思ったが、その後の変化にさらに驚いた。
「これは失礼を致しました。このような安宿にご宿泊とは知らず…お詫び申し上げます」
「…」
帝国兵の男は傍らのギンナをちらと見て、
「お付きの侍女の方も検査は不要ですので、我らはこれにて失礼つかまつります!」
「…」
それだけ言うと逃げるように撤収した。
狩猟者の二人の方が心配だが何とかするだろう。気が付くと夜も更けて町は深い霧に沈んでいた。そんな夜霧は上空から眺めて見たいものだ。
………
ここは場末の酒場だ。決して上品な客層とは言えないが情報収集は人が集まる酒場が良い。何度目かの酒杯を呷って風の魔法使いシシリアが言う。
「ぷはー、船上の宴会は上品すぎて堅苦しいわ~」
「GUF 飲み過ぎだ」
シシリアに付き合って獣人の戦士バオウも飲んでいるが酔いが回るのは遅いらしい。すでに酒場の噂話はおおかた拾ったので、あとは気楽に飲んでいる。
目立った噂では、近頃に世間を騒がせる怪盗の被害は相当の金額になるらしい。怪盗が得た盗品がどこに流れたのか興味は尽きない。
そこへ町の衛兵が踏み込んだ。
「ご主人、怪しい者の出入りは無いか?」
「はい。そこのお客様が最後の入りで…」
主人が指差すのはひとりカウンター席で飲む渋顔の男だった。
「お前は町の靴屋のハンスだな」
「へい!」
揉み手をして頷くハンスは靴職人と言うより商売人だろうか。
「問題ない! 次へ向かうぞ」
「ハッ!」
衛兵たちは早々に次の目標へ向かった。
………
-KAN!KAN!KAN-
町には警備の衛兵が鳴らす鐘の音が響いている。水の神官アマリエは神殿の奥の間で鐘の音を聞いた。
「あらあら、今夜も怪盗さまが現れたご様子ね」
「怪盗さま?ですか……」
敬虔な雰囲気とは似つかわしくない神官長の呟きにアマリエは疑問を挟んだ。ここは水の神殿の地方支部…霧の国イルムドフの上層区にあった。
「なんでも、怪盗さまは大層な美形で町の娘たちに大人気なのよ」
「だれも素顔を見た事がないハズでは?」
アマリエは当然の疑問を投げかけるのだが、神官長はさも当然のように答えた。
「噂というのは尾ひれが付きやすいもの…」
「…」
「盗みに入られた貴族の屋敷では、怪盗さまの素顔を見た者はいないのだけど、後で思い出すと美形だったと…」
「そんな噂で……」
その後は怪盗に憧れる少女のような眼をした神官長の長話を聞かされた。いい歳をして…神殿では娯楽が少ないのは知っているのだケド…アマリエは旅の経過を報告した。
◆◇◇◆◇
翌朝、僕らを乗せた船マリンドルフ号は補給を終えて出港した。港の喧騒にも負けず海鳥たちが騒いでいる。あれはピヨ子だろうか帆柱の上に堂々と止まっている。普通の海鳥には見えない存在感だ…何をしたピヨ子。
寄港地である霧の国イルムドフで聞いた怪盗の噂は気になるのだが、僕らは旅を急いだ。
次はいよいよ北の大国アアルルノドフ帝国である。
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