ep062 港から船が出る時
ep062 港から船が出る時
僕は港町トルメリアで北回り航路の船マリンドルフ号を探していた。北の大国までは海路で行く予定だ…戦乱の影響で陸路は危険が多いと思う。ユートリネ河の河口に位置する港は浅瀬で多くは漁船が停泊している。そこから東の半島にかけての深瀬には次第に大型船と外洋船が停泊していた。
乗船手続きは何かと顔が広い風の魔法使いシシリアが手配してくれたので心配は無い。獣人のバオウも先に来ているだろう。
僕は港の待ち合わせ場所で二人の姿をさがした。
「マキトさん! 見つけましたよ」
「えっ、アマリエさん」
珍しく息を切らして怒った様子のアマリエがいた。
「ひどいじゃないですか! 挨拶もせず、また旅に出るなんて」
「…」
朝露に濡れた藍色の髪を束ね神官服のアマリエはいつもの旅装束と見えた。
「私もマキトさんの事は心配していたのに…」
「すいません……」
工芸学舎を訪れた際には、アマリエの担当科目がしばらく休講となっている事を知っていた。
「今回は、私も同行しますから、いいですね!」
「本気ですか?」
僕は驚きと…思わず旅の仲間が増えて喜んだ。
………
僕らを乗せた船マリンドルフ号が出向する。この船は外洋船らしく浜風を利用して帆を張り人力の櫂も出して漕ぎ出してゆく。岸壁では「船押し」と呼ばれる風の魔法使いの一団が魔力で気流を起こして帆船を後押ししている様子だ。
「あれはキツイ仕事なのよ…」
「へぇ」
風の魔法使いシシリアが訳知り顔で僕に囁いた。
「しかし、水の神官様なんて……連れて来ても良かったのかしら?」
「大丈夫だと思いますよ! アマリエさんは杖術の達人だし、水治療も得意ですよ」
「そういう問題ではないと思うのだけど…」
「GUF よかろう」
内緒の話を聞きつけた獣人のバオウが加わった。鬼人の少女ギンナは自身の二倍もある大荷物を背負ったまま、初めて見る出港の喧騒に見入っていた。
風よけのフードを被ったギンナは小柄な獣耳の獣人にも見える。一般的には獣人の地位は低いので、ご主人に仕える下働きの獣人と見られるだろう。なんだか僕が獣人の子供を使役している風に落ち着かないのだけど、荷物持ちはギンナの志願による行為だった。
ギンナが自分の怪力を披露するのは、僕に置いていかれない為だと知ったのは随分と後の事だ。
山オーガ族の長老から受け取った見栄えの良い玉石をトルメリアの宝石商で換金したら、良い値が付いたので旅の資金とした。その資金で旅の準備をして、ギンナには背負子を持たせ食糧の鉱石を乗せた。他にも旅の魔道具などもあり結構な重量と思う。
ギンナは水の神官アマリエと話して楽しそうだ。この機会に人族の常識なども学んで欲しい。
海鳥に混じってピヨ子の姿が見えた。僕の目にはカモメにしか見えないが頭には特徴的なアホ毛が見える。小魚を捕えて呑み込む。
「ピヨョョー(おいしいー)」
僕はピヨ子の鳴き声も聞き分けられる様になった。
まだ顔を見せない朝日に期待して僕は東の空に向かった。
………
船の旅は順調だ。始めは外洋の波の揺れに翻弄されていた僕らも各々が対処手段を確立したらしい。風の魔法使いシシリアは自身の周りに風の障壁を張って揺れを緩和している。
水の神官アマリエは流石に水の使い手なのか、船の揺れには慣れている様子だ。獣人の戦士バオウは初めから抵抗をあきらめ船体の揺れに身を任せている。慣れれば問題ないとか。
鬼人の少女ギンナは初めての船酔いに苦しんでいたが、アマリエの水治療とバオウの姿勢に感化されて甲板で寝ている。
僕はひとり船室で魔力操作の訓練をしていた。
「かき混ぜよ…【攪拌】」
この【攪拌】の魔力操作は卵を掻き混ぜるなど炊事で大活躍なのだが、僕は部屋の空気に対して【攪拌】を行使していた。
「これじゃ効果が見えないか…【熱気】と【気化】」
まず【熱気】の魔力操作で体内の熱を上げる。その熱を両手に集め…手にしたカップを温めると湯気が立ち登った。
「大気が循環するイメージで…【攪拌】」
見ると室内の湯気が渦巻き僕のイメージと重なる。コツが掴めてきたかも…
その時、船室の扉を開けてシシリアが入って来た。
「いまから、女の時間よ! 部屋を借りるわね◇(ハート)」
「…」
後に続いてアマリエが入ってきた。僕は女性たちに船室を明け渡して甲板へ出た。
………
甲板では船酔いを克服したらしい、鬼人の少女ギンナが獣人のバオウと組み手の練習をしていた。以前にバオウがリドナスの相手をしていた時も思ったが、意外にもバオウは新人を教えるのが上手い。教官向きかも。
獣人の戦士バオウは暇潰しにか、ギンナに格闘術の基本から教えるつもりらしい。良い事だ。僕は二人の邪魔をしないよう、その場を離れて食堂に向かった。飲みかけのカップは船室に置いて来てしまった。
食堂の売店で蜜柑に似た果実を買いあらたにグラスを借りる。
「真っ二つに…【切断】から【加圧】」
僕は魔力操作で果実を半分に割り果汁を絞った。ともに粘土細工で習得した技だが…遠目には素手で果実を絞る様子に見えるだろう。グラスを満たす果汁に満足して一口味わう…スッパい。船旅では果実の備蓄が欠かせないと言われている。
このままでも美味しいのだが、僕はグラスの底に手を当て…何かを引き寄せるイメージで魔力操作する。急速にグラスの底には果汁の沈殿物が溜まり、上部には薄澄みが得られた。試しに薄澄みを味わうと…
「スッパい!」
僕は別のカップに果汁を注いだ。今度はカップの口に魔力で網を張るイメージだ。なるべく目の細かい網が良いだろう。そうして不純物を取り除き…のど越しの良い果汁が得られた。あとで温めて頂くとしよう。
こうして暇を潰しつつ僕らは船旅を続けた。
………
船の旅も今日で三日となった。そろそろイルムドフの港が見えても良い時期だが船員の様子がおかしい。僕らは甲板の展望席から様子を見ていた。船長らしい男がなにやら怒鳴り船員たちが慌ただしい。
「おめーら、気合いれて櫂を漕ぎやがれ!」
「「「 へぃ! 」」」
ここまで船長の怒声が聞こえる。どうやら船員の話では帆に風を受けても船が進まない様子だ。船員たちは風力に加えて櫂を漕ぎ難局を突破する算段らしい。船頭の掛け声が聞こえてきた。
「えいさー!」
「「「 ほいさー! 」」」
「えらさー!」
「「「 ほらさー! 」」」
なんとも間抜けな掛け声だが、漕ぎ手の意気は良さそうだ。小一時間ぼど櫂を漕ぎ突破を試みたが船は一向に前進しなかった。
商人と見える男が船長と何やら交渉している。どうやら急ぎの商談がある様子で商人の男が船長を急かす。
「わかった。泳ぎの得意な者を何人か出そう…」
「お願します!」
ここに河トロルのリドナスがいない事が悔やまれる。船長は何人かの船員を選抜して海中を調査するらしい。
「よし、おめーら! 何か見つけたら知らせろ」
「「 へぃ! 」」
数人の海の男たちが船縁から海に飛び込む。野次馬の乗船客からは歓声があがった。しばらくして海の男たちが戻ってきた。
「ぜぇ…はぁ…」
「せ、船長……船が巨大な海藻に巻かれています」
息を継ぎながら海の男が報告した。
「なんだと!」
「…」
「あたり一面に海藻が群生している様子です」
引き続きの調査を行い対策を検討するらしいが、日暮れまでに有効な対策は出来なかった。
………
◇ (あたしは、日が暮れた甲板に降り立ち寛いていた。神鳥魔法…【神鳥の炎熱】…熱気を上げて夜風に濡れた羽を乾かす)
海鳥の姿のピヨ子は泳ぎも得意だが、濡れた羽を乾かすのに魔法を駆使する鳥は珍しい。
◇ (ふと、甲板に見慣れぬ影があった。妙に魚臭いのは海風の影響ばかりとは思えない…誰っ!殺気を飛ばして様子を見ると…)
甲板から何者かが海へ飛び込んだ。
◇ (あたしは慌てて影を追うが、魚と見える尾鰭に水音を残して海中へ消えた。…人魚の密偵か)
………
状況は進展しないまま、酔狂か景気付けにか船上で宴会が開かれた。本来ならイルムドフへの入港を祝う予定の宴会だろう。乗船客たちの話題は船の到着が遅れる事に付随した、商談の心配や今後の旅の予定を苦慮していた。
「…船を巻いている海藻はあまりにも巨大で、切り進むとしても数日かかるとか…」
「それは困りましたなぁ…」
「…我が商会の出遅れは命取りとなりましょう…」
「ほんにのぉ…」
それでも乗船客たちは落ち着いていたが、
「大変だぁ! 誰か海に落ちたぞッ!」
「ッ!」
「…ざわざわ…」
僕らは野次馬とともに甲板に出て暗い海を覗いたが、何も見つからない。
船員たちが船縁に篝火を焚いて行方不明者を捜索したが、明け方には断念したらしい。次第に乗船客たちにも不安が広がり出していた。
………
次の日の朝、甲板に人集りが出来ていた。何事かと中を覗くと、魔道具屋が商売道具を広げて実演販売をしていた。
「これに見えます魔道具は、水の魔法で真水を集め、風の魔法で空気を作ります」
「え、本当か!?」
「…ざわざわ…」
使用人の男が魔道具を口に咥えて見せる。
「このように、水中でも息が出来るという優れ物!」
-DOBON-
突然に使用人の男が海に飛び込んだ!
「おぉー」
「…ざわざわ…」
「大丈夫か?…浮いて来ないぞ…」
乗船客たちが見守る中で、しばらくしても使用人の男は姿を見せなかった。さすがに心配になり始めた頃に使用人の男が海面に顔を出して手を振る。
「か、買った!」
「俺もだ!」
「ワシにも売ってくれ!」
我れ先にと魔道具に殺到する乗船客たち。僕は最初の立ち位置を生かして……この呼吸の魔道具をひとつ買った。かなりの高額で暴利を取っていたが、背に腹は代えられない。万一の保険が欲しくなるのは人情か。
僕は船室に戻りこの呼吸の魔道具を解析した。確かに水の魔石と風の魔石が使用されており高額なのも頷ける。魔石に刻まれた魔法式を【走査】の呪文で読み取り、使い古しの無色の魔石に【複製】した。
「ふう、魔道具店の修行が役に立つとは……」
僕は無色の魔石をためつすがめつ見て魔法式を読み解いた。一般的な魔道具は、複数の魔法式を並べて魔力回路を作りひとつの魔道具に仕上げる。
この呼吸の魔道具では、使用者の口から魔力を吸収し動力源としている。口元の水の魔石は周囲の水を集めて、水中の空気成分を抽出する。
次に吸い口にある風の魔石が抽出された空気成分を集めて管に送り込むらしい。なるほど、確かに水中での呼吸の助けになりそうだ。
僕は排気の方法を心配して、吸気管とは別に排気管を付けたし逆流を防ぐ弁を作成した。早速と海に潜って実験してみよう。甲板では船員が海藻の切除作業をしている。
「マキト何を……」
「英雄さまっ!」
風の魔法使いシシリアと鬼人の少女ギンナと出合ったが、
「ちょっと、行ってくる!」
僕は海に飛び込んだ。念のために命綱を身に付けている。
ぶくぶく、ぶくぶく。
呼吸の魔道具は順調な様子だ…試作した排気管の調子も悪くない。海中から船体を見ると幾重にも巨大な海藻が巻き付いており、切除作業も手間取っている様子だ。
僕は実験を終えて海面に浮上した。
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