挿話 A01 水の神官アマリエ
挿話 A01 水の神官アマリエ
ここはトルメリアの町から北の開拓地に近い荒野に仮設された救護所だった。荒野ではトルメリア軍と北の大国アアルルノルド帝国の軍勢が小競り合いをしている。
いまだ戦闘が小競り合いの状況にあるのは、トルメリア軍が徹底守備の構えで帝国軍の挑発に応じない為だった。しかし、戦場の荒野に近いこの救護所には多くの怪我人が運ばれて来ていた。
アマリエは水治療の名手であり、水の神殿の中でも頼りとされていた。もちろん国難とも言える戦のために、トルメリアに拠点を置く水の神殿も助力を惜しまない。そのため多くの神官が治療師として派遣されていた。
「楽にして下さい。治療を始めます…【治療】と【循環】」
「うっ…」
水の神官アマリエは呪文を唱えて傷ついた兵士を治療した。兵士は足を骨折して赤黒く腫れあがり内出血している様子だったが、治療のおかげで骨折がつながり血行を促して腫れを和らげる。
「次の方を!」
「はい」
次々と怪我や骨折の兵士が運び込まれるのをアマリエは治療し続けている。
ひとしきり、怪我人を治療してアマリエは息を付いた。
「ふう、これ以上は戦禍が広がらなければ良いのだけど…」
「…」
この救護所も治療師の手は不足している。そのため応急処置だけして治療を待つ兵士が多く残されていた。また、既に助からない者は仮の葬儀所へ送り。重傷でも助かる見込みのある者は町へ搬送される。
必然的に救護所で治療を受ける兵士は戦線への復帰が期待されていた。
………
水の神官アマリエはもうひとつの懸念を確かめるために避難所を訪れた。この避難所には戦禍を逃れた開拓民が集まっている。さっそく病状が悪化したという老人を診察する。
「聖女様…最後の頼みを…」
「ッ!」
すでに命の炎が消えかかった老人の弱々しい声を聴いて、水の神官アマリエは老人の顔をその豊かな胸に抱いた。
「あぁ…儂の畑が…」
「…」
老人の最後の言葉を聞き逃すまいとアマリエは優しく抱きしめた。老人は暖かな胸に抱かれて息を引き取った。残された家族と見える男に向かって水の神官アマリエは老人の最後の言葉を伝えた。
「残された畑と家族を大切にする様に…そして奥様をいたわる様にとの事です」
「うぅ…ありがとう、ごぜーまズ…」
嗚咽する家族を残してアマリエはその場を離れた。戦禍に開拓村の家や畑を荒らされた避難民たちの心情は余りある。その一方でアマリエは気になる噂を耳にした。
「グリフォンに乗った英雄様が戦場に現れたそうだ…」
「…ほう、おとぎ話かのぉ…」
「本物のグリフォンだっぺ…」
「んだぁ…」
何やら噂ではグリフォンと英雄?が現れたらしいが、もうひとつ「マキトがグリフォンに攫われた」という確かな知らせもある。それはトルメリアの狩猟者ギルドの情報で、グリフォンの巣の調査隊からの知らせだった。
アマリエは噂を聞いてマキトの身を案じた。
◆◇◇◆◇
北の大国アアルルノルド帝国の将軍と見える男が本国からの命令書を踏みつけて怒鳴る。
「本国のバカ者どもは、何を考えておるかッ!」
伝令の兵士は敬礼した姿勢のまま固まっている。そこへ魔術師とみえる男が話しかけた。
「…将軍閣下、本国からの援軍はありませぬか?」
「ない!」
なおも命令書を踏みにじり、将軍閣下は怒鳴り付けた。
「それは困りました……」
「このままでは、ワシの面目が立たぬッ」
唾を飛ばして将軍閣下はお怒りの様子に、魔術師の男は囁いた。
「…ですから…という……」
「おぉ、その策を採用しようぞ!」
おい、将軍閣下よ作戦会議もせずに重大な行動を起こすつもりか…
「…なおも…のような……」
「ふむ、直ちに事を進めよ!」
なぜか将軍閣下は誇らしげに宣言した。
「ハッ! 仰せのままに」
魔術師の男は慇懃に敬礼すると、硬直が解けた伝令の兵士が天幕を駆け出して行った。
◆◇◇◆◇
水の神官アマリエの仕事は多い。怪我人の治療から避難民の慰問や神殿への報告など。戦が始まり既に半月を越えて、アマリエは水の神殿へ戦禍の報告に訪れていた。
「近隣の開拓村が魔物の襲撃にあっています。幸いにも住民には被害が少なく避難所への退避が完了しました」
「そうですか、ご苦労さま」
神官長は水の魔法で作った座椅子にもたれかかって言った。アマリエは報告を続ける。
「しかし、魔物の襲撃には不自然な点があり北の大国の偽装工作ではないかと思われます」
「…」
つづく話に表情を曇らせる神官長だったが…
「また、避難が長期化すると田畑の荒廃が心配です」
「それは、一大事ね」
神官長は何やら書面を書いてアマリエに託した。
「アマリエ、あなたの心が信じるままに進みなさい」
「はい」
アマリエは心の中を見透かされた様な気持ちで、神官長の痩せた白い手を取った。
………
書面は魔法工芸学舎の理事長あての手紙だった。アマリエはその足で魔法工芸学舎を訪れた。理事長と見える男が書面に目を通して言う。
「なるほど……しばらく学舎の講義を休むと言うのだね」
「はい。戦闘が長期化していますので……」
どうやら用件は支援要請らしい。
「後のことは任せておきたまえ! 学舎も協力は惜しまない」
「ありがとう、ございます」
アマリエは笑顔で応じた。営業用のスマイルである…ジジィはいちコロだろう。藍色の髪を翻して水の神官アマリエは魔法工芸学舎を後にした。
「聖女様には、早めに復帰して欲しいものだが……」
理事長はアマリエを見送ってから呟いた。
………
アマリエは長期休講の手続きをするために、魔法工芸学舎の職員室を訪れている。そこで偶然にもマキトが休学手続きに学舎を訪れた事を知った。
「えっ、マキト君が休学ですって?」
「そうなのよ、家庭の事情かしら……」
職員の女性がアマリエに答えた。
「何か言ってましたか?」
「いえ。何も…彼は、王国優戦士勲章を受けた我が校の英雄だもの…」
長い話につきあいきれずに、アマリエは職員室を飛び出した。マキトが手続きに来たのはつい小一時間ほど前と思われた。廊下でマキトの元チームの顔見知りの学生を見つけて尋ねた。
「マキト君を見なかった?」
「あぁ、マキトなら砲術部の拠点に…それよりも先生! マキトのやつ僕を置いて…」
アマリエは意味の分からない、決め顔で言うエルハルドを放置して砲術部へ向かった。所詮は偽子爵…無視しても問題ないでしょ。この時間なら砲術部は実践練習をしているバズだと…砲術部の訓練場を訪ねた。
「あなたたち! マキト君かオレイニアさんはどこ?」
「先輩たちは、部室ですぅ~」
「あっ! 先生、聞いて下さいぃ…」
学舎では人気者のアマリエ先生だが、いまはマキトの行方を追う事が優先された。
「あなたたち! 後程に…」
「「「 え~ 」」」
アマリエは返事も聞かずに立ち去った。砲術部が活動拠点とする部屋はすぐ近くだ。久しぶりにマキトに会える喜びと、彼の身を案じていた不安が解消されて…気持ちは昂揚していた。
「マキトさん!」
部屋に飛び込んだアマリエだったが、中にはプリンと思える残り香だけが彼の消息を伝えていた。昂揚して息を弾ませたアマリエは次の目的地へ向かった。
………
マキトの滞在先は知れている。水の神官アマリエは港の倉庫街にあるアルトレイ商会に向かった。
アルトレイ商会の店頭では何か新製品の販売を行っている様子で人集りが出来ていた。人々は我れ先にと新製品を求めて大変な混雑をしていた。壇上では商会長のキアヌ氏が新製品の効能を解説している。
水の神官アマリエは礼儀正しく…商会長のキアヌ氏に挨拶しておきたかったが、人集りに押されて近づけない。
すると、壇上のキアヌが神官服のアマリエの姿を見つけた。
「おやッ! そこにいらっしゃるのは、水の神官様ではありませんか!」
「「「 なッ! 」」」
人々の注目が水の神官アマリエに集まる。キアヌは美中年の渋い声で続けた。
「我が商会の新製品をお買い求めですかな?」
「いえ……」
「あれは…聖女様よ…」
「「…ざわ…」」
周りのざわめきにアマリエの声はかき消されて…
「ささ、こちらに!」
「…」
「なにぃ! 聖女様だと!」
「…ほんにのう、神々しいお姿じゃ…」
「どれどれ……」
「「…ざわざわ…」」
アマリエには商会長のキアヌ氏の指示に従って壇上に登るしか道はなかった。新製品の販売会は聖女様の登壇によりさらに盛大となる様子だ。アマリエは営業用のスマイルで新製品に花を添えた。
………
アマリエは水の神殿の聖女と呼ばれる人気者で人々から愛されていた。そのせいか新製品の販売は大成功だった。日も暮れて新製品の販売会も終了となったが、マキトは部屋に帰って来ない。
商会長のキアヌ氏から謝礼として頂いた魔法のボトルを眺めてアマリエは考えた。思慮の末、このまま夜を徹してマキトを待ち続けるのは憚られる。それでも、アマリエは断腸の思いで神殿へ帰還した。
一方のマキトは学生の乗りで、旧友たちと食事会や飲み会を楽しんでいた。
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