059 帰還報告と篝火
059 帰還報告と篝火
僕らは山間の小村で一夜を明かし再び空の旅人となった。ギンナの容態が良好なので、ひと安心する。鬼人の少女ギンナは山オーガ族と呼ばれる山岳民族の出身だ。その特徴として美しい角と部分的な金属質の肌をもつ。
彼らの主食は岩や鉱石のようで村の宴席でも、堅そうな岩石を齧っていた。はじめて人族の町を旅して珍しい物を食べ歩くギンナを放任していたのは、僕の配慮が足りないと反省した。
「ギンナ。体の調子は、どうだい?」
「元気いっぱい!ですぅ」
グリフォン姿のファガンヌは控えめな速度で飛行している。ギンナを気遣っての事だろう。のんびりとした飛行を続けると山オーガ族の居留地に近づいた。上空から見る谷合は深い霧に覆われて集落の位置は判然としない。
僕らは霧の谷の手前の森に布陣したゲフルノルド軍の野営地に着地した。守備兵たちが騒がしく駆けつけて来るが慣れたものだ。下士官と見える男が出迎える。
「グリフォン乗りの英雄どの、久方ぶりでござる」
「あぁ、隊長さん」
その下士官はハウベルドだった。以前に屍鬼の討伐に加勢した事がある。
「よい知らせを、お持ちですな」
「ええ。ここの責任者に合えますか?」
「とうぞ! こちらへ。ご案内いたします」
「…」
僕らは丁寧な対応で守備陣地の司令部へ向かった。大きめの天幕に入ると既に高級士官と見える男が待ち受けていた。
「早速だが英雄どの、交渉の首尾はいかに?」
「これをご覧ください」
僕らが帝都へ停戦交渉に向かった事は知られているので、その結果として皇帝の署名入りの命令書を手渡した。
「確かに……承った」
「よろしくお願いします」
高級士官の男は命令書をひと目見て真贋を確かめると、この結果を予想していたのか軍の行動は迅速だった。
「全軍撤退だ! 急げ」
「ハッ!」
司令部から慌ただしく伝令が駆け出してゆく。僕らは野営地の混乱を後にして山オーガ族の集落へ向かった。
………
森を抜け山岳地帯へ差し掛かると霧が辺りを包む。山オーガ族の居留地では霧が常時に発生しており、特に谷合は霧が濃く数歩先も見えない。
「英雄さまっ、ギンナに任せて下さい」
「うむ」
鬼人のギンナは慣れた様子で先頭に立ち山オーガ族の集落への道案内を務めた。フードを脱いだギンナの背中がの金属質の光を反射して輝く…美しい角も道案内の目印にはちょうど良いかも。
途中で見張だろう鬼人の戦士を見かけたが、ギンナの顔パスで通過した。
-QKYUU-
何事か!と僕は金赤毛の獣人ファガンヌの顔を見たが、ファガンヌの視線はギンナの腹を見ていた。
「お腹が空いたですぅ~」
「そうだねぇ……」
恥ずかしそうなギンナの自己申告があった。そういえば今朝から何も食べていない。
ようやく見覚えのある洞窟に辿り着いた。
「ようこそ、英雄の子」
「こんにちは」
洞窟の傍らに転がる岩から声をかけられたが、そのネタは知っている。
「どうぞ、こちらへ」
「…」
全身が岩に見える鬼人に促されて洞窟へ入ると中には山オーガ族の長老が待っていた。
「英雄さま お戻り頂き 感謝いたします」
「いえ、そんな大袈裟なっ」
長老から感謝を受けたが、僕らが帝都に出発したのは七日も前だ。最悪は村に帰還しないことも考えられる。
「して、ご首尾は いかがなされましたか?」
「これを……」
待ちわびた様子の長老に皇帝の布告文を手渡す。山オーガ長老は何度も布告文を読み返して頷いた。
「英雄さまへ 一族郎党ども 最大限の 感謝をいたします」
「よかった!」
………
交渉の結果は大成功だ。皇帝アレクサンドル三世が提示した布告文には山オーガ族の租税の減免措置が記載されていた。この布告に伴い、ゲフルノルド軍の作戦は中止となり、今頃は軍勢を引き上げているだろう。
吉報は集落に行き渡り祝賀会が開催された。集落の住民は手料理を持ち寄り、中央の広場に集まる。すぐにでも自慢の名水を片手に宴会が始まる様子だ。
金赤毛の獣人ファガンヌはどっかりと腰をおろし名水が入った杯を受け取る。
「GUUQ 飲めヨ 歌えヨ」
「「「 おぉ、応う! 」」」
鬼人の戦士たちも集まり宴会が始まった。広場にはここ数日は焚かれなかった篝火が赤々と燃え上がっている。僕は上機嫌で素朴な料理の皿を頂く。鬼人の少女ギンナは高級そうな鉱石を頬張り安堵した顔をしていた。
山オーガ族の長老が広場に姿を現すが宴会を中断する者はいない。皆が好き勝手に喜びを表している。
内緒話らしく長老が僕に囁く。
「英雄さま……此度のご恩に報いるには どのようなお礼を 差し上げましょうか?」
「いえ。僕の力では、ありません」
実際はファガンヌの手柄が大きい。
「そう、おっしゃられても……」
「…」
僕は困ってギンナの様子を眺めるのだが、
「ギンナは、英雄さまに恥ずかしい所を、見られましたですぅ」
「なッ!」
唐突にギンナの暴露話か! 僕は旅先でギンナが腹痛を訴えた顛末を話した。
「むむ、英雄さま! それは結構な…… いや、ご無体な仕打ち……」
「あわわ」
僕は意外な展開に慌てて名水を呷った。ぐふっ、これは酒か……強烈な酒精に襲われて僕は意識を失った。
◆◇◇◆◇
翌朝に僕は目覚めたが、幸いにも二日酔いとならずに済んだ。慎重に酒精が無い事を確かめた、名水を飲んでひと息つく…若干の魔力成分が多いと感じられるが普通の水だ。
まだ、村の広場では宴会が続いているらしく入れ替わりで新たな鬼人の戦士たちが互いの健闘を称えていた。手にした名水を観察すると…こちらの方が魔力成分が高い様子だ。何か魔力の回復薬とも似ている。
以前にファガンヌを源泉に案内した鬼人に名水の事を尋ねると、
「GUAHA この水は源泉から 汲んだス」
「…」
「GUFUU 水に酒の 幻術をかけるダス」
「なるほど!」
そんな手法があるのか、ファガンヌたちは強烈な酒精の幻覚を楽しんでいるらしい。酔えれば何でも良いのだろ。
………
そんな宴会にもファガンヌが飽きた頃にようやく山オーガの集落を立ち去る事になった。
「ギンナプルコ! しっかり、お役目を果たすのですよ」
「ギンナっ…」
「おっとう…」
見送りに来た両親とギンナが抱擁を交わす。どういう訳かギンナは僕らと同行する事になった。風よけにフードを被り僕の背中にしがみ付く…追加の荷物として食糧の鉱石と値が付きそうな鬼人の玉石も持ってゆくらしい。
僕らは山オーガ族からのお礼の品物を手に飛び立った。
既に茶の月も終わり、山岳部の空は北風が吹き始めている。グリフォン姿のファガンヌは巧みに北風に乗って失われた山の民の城門を目指した。空の旅は便利すぎる…地上を行くなら迂回する山岳も危険な魔物の森も飛び越えて最短距離を飛行する事が可能だ。
僕らは失われた山の民の城門に到着した。
………
わらわらと城門の兵士が集まるが、捕縛される様な事は無かった。すでに僕もファガンヌも顔馴染みだ。
兵士の隊列をかき分けてチルダが現れた。
「マキト! 十日も行方知れずに、どこに行ったのサ」
「ち、チルダさん……」
どうやらチルダはお怒りの様子だが、ピヨ子に託した手紙で「帝都へ向かう」と知らせはした。僕は言い訳に事の詳細をチルダへ話すが、
「マキト様! お覚悟ッ」
「ぎゃッ」
僕の背後に現れたメイド姿のサヤカに捕縛された。チルダは配下の炎の傭兵団に命令して僕を鎖でぐるぐる巻きにした…ヒドイ! 傍らで傍観していた年嵩の男は「仕方ない」と態度で示して同情する風だった。僕は助けを求めて周りを見渡すが、金赤毛の獣人ファガンヌは何やら面白そうに眺めている。
「吊るせ!」
「ハッ!」
炎の傭兵団の男たちは悪乗りして、鎖で蓑虫の様な姿の僕を門前に吊るした。
夕闇でも明るく輝く巨大な篝火が門前に掲げられた。
◆◇◇◆◇
物見の斥候部隊から報告が入った。
「報告! 失われた山の民の城門、正面に巨大な篝火が立ち上がりました」
「そうか、他に異常は?」
ゲフルノルド軍の高級士官と見える男は報告に頷いた。兵士は躊躇いつつ報告を続けた。
「それが……城門には捕えられた密偵と思しき人物が、吊るされております」
「至急! その人物について調査せよ」
「ハッ!」
新たな命令に兵士が駆けだして行く。高級士官の男は天幕に待機しているもう一人の人物に尋ねた。
「火の一族が援軍に入っている様子か?」
「おそらくは、火の一族は戦の前に巨大な篝火を掲げると聞きます」
頼りの副官と相談する。
「うむ、ヤツら城門から出陣する構えか……」
「未だそのような兆候はありませぬが、油断はできません」
敵の城門から離れた森に密かに布陣して待機しているが、そろそろ敵方にも我軍の存在を察知されるだろう。
「そうだな……警戒を厳重にせよ!」
「ハッ!」
副官の男が出て行くのも気にせず、ひとり思考するのだった。
◆◇◇◆◇
ここは火炎牢獄…ではなくてチルダが宿泊している貴賓室だ。僕は鎖で縛られて凝り固まって筋肉をほぐしながら、チルダにぶーたれた。
「ヒドイよ! いきなりぃ……」
「ごめんよマキト! これは、ゲフルノルド軍の目を欺くための、偽装じゃん」
チルダは悪びれる訳も無く僕をなだめる。
「帝都まで行った理由は納得してくれたのかな?」
「しかし、お人良しと言うか、マキトらしいと言うか…鬼人の面倒まで見るとは…」
僕が事後の報告を終えると、チルダは呆れた様子だったが視線を交えてマキトを見詰めた。
「それは、成り行きで……」
「本当に?」
僕は鬼人と人族との争いを止めたくて渦中に飛び込んだのだが、本当の所は…
「まっ、良いじゃん。風呂を用意したから疲れを癒すと良い」
チルダは何事も無かったかの様子で僕に風呂をすすめた。そういえば、水浴びばかりで風呂は久しぶり。…僕は遠慮なく浴場へ向かった。
………
「いーい湯だな♪ああん」
僕は風呂に浸かりひと心地ついた。特に鎖で痣が付いた手足を伸ばす。あれでも火の用兵団には手加減があった。これで、メイド姿のサヤカさんが背中を流しに来てくれると嬉しいのだケド…そんな驚きはなかろう。
「英雄さまっ」
「ッ!」
妄想中の風呂場に突撃して来たのは鬼人の少女ギンナだった…ざぶんと風呂に飛び込む。
「こら! ギンナ、先に体を洗いなさい」
「きゃっ」
僕はギンナを捕まえて思う存分に体を洗ってやった。
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