058 帝都までの旅路
058 帝都までの旅路
僕らは馬車に乗りアアルルノルドの帝都を目指していた。
馬車は乗合馬車ではなく貴族が使う高級な専用馬車だ。これはデハラノフ卿の馬車なのだが、卿は昨晩のうちに帝都へ先駆けて出発したらしい。
お付きの護衛と見えた気の強そうな女中も連れて出た様だ。馬車にはデハラノフ卿の代わりに初老の執事が乗り込んで事情を説明した。道中に馬車の護衛に付く騎士や兵士は何やら困り顔だったが、遠慮もあり深い事情は聴けなかった。
数日前に帝都への先触れの伝令は出ているハズだから、何か緊急の用件が発生したと思われる。初老の執事は年の功か大層な話し上手で、帝都までの旅路に土地の名物や言い伝えなどを面白く教えてくれた。
途中の宿場町で休憩がてらに町を散策する。金赤毛の獣人ファガンヌは鬼人の少女ギンナを連れて屋台の食べ歩きするらしい。
僕は初老の執事から聞いた話を確かめるために教会と思しき建物を訪ねた。建物の入り口は自由に解放されている。中は礼拝堂と言うより集会場の様な造りだ。高窓には色ガラスがはめ込まれて七英雄の絵物語が刻まれていた。
しばらくして出発の時間となり僕は馬車に戻った。
………
馬車の旅は快適とは言えなかった。街道は馬の蹄や荷車の轍に削られて凹凸があり。水溜りや泥地も多くに見られる。しかも急ぎの行程で速度を出した馬車は引きも切らさずよく揺れる。これでも帝都に近くなればマシになるそうだが…
そもそも馬車の車輪は鉄と木材で造られておりゴムの素材は見た事も無い。便利な魔法でどうにか出来ないものか。ファガンヌは屋根の上で快適そうに寝転んでいる。自前の風魔法で何か工夫がありそうだ。
そうこうするうちに今晩は地方領主の館に泊まる事になった。帰路の予定の行動だろうが、卿がいなくても大丈夫か?僕らは領主の館の大広間に通された。そこには急ごしらえの王座があった…地方領主の見栄だろう。
王座には青年とも中年とも見える男が座っている三十過ぎぐらいかな。左右には領主の補佐らしい役人を従え、その脇に護衛の騎士を並べている。
たかが三人の客に会うためにしては大げさな警備だろう。初老の執事が僕らを紹介する。
「グリフォンの乗りの英雄さまをご案内いたしました」
「うむ。ご苦労」
役人の男が応える。僕はどうしたものか…隣のファガンヌの様子を見ると片膝を付き頭を垂れて控えている。僕は焦りを隠してゆっくりとファガンヌの所作を真似て述べた。
「ご紹介に預かりました、クロホメロスで御座います!」
「…」
ギンナは立ち尽くしたまま動かないが、年端もゆかぬ子供に礼儀作法は要求するまい。それよりも、この場は「グリフォンの乗りの英雄の子、クロホメロス」で通すしかないだろう。
「予がアレクサンドルである」
なんと!この男がアアルルノルド帝国の皇帝アレクサンドル三世だった。
道中で執事の話を聞いていなければ、聞き逃す所だ。まさか偽者とは思えないが…
「面を上げよ」
「…」
役人の男が命じる。僕は姿勢を正しあらためて皇帝を眺める。
「そなたの活躍は聞いておるぞ。反乱分子に加担しておるそうだな」
「いえ。私は誰の味方でも御座いません…ただ争いを好まぬ者」
皇帝は厳しい顔で問いただした。
「そなたの話は反乱分子たる山オーガ族の処遇についてだろう」
「ご明察の通りでございます」
僕は冷や汗を隠して応える。皇帝が自ら出向いて来たからには何かの意図があるハズだ。
「しかし、そなたの話を聞いても予には何の価値もなかろ」
「それは話を聞いてから、ご裁可ください…」
僕は出来るだけ簡潔に山オーガ族の困窮を訴えて皇帝の同情を得ようと試みる。
しかし、皇帝の言葉は意外なものだった。
「そなたが予の臣下となるならば、考えても良い」
「えっ…」
「内務卿、ここへ…」
「ハッ!」
皇帝が目顔で示すと、役人の男が帝国の領土と思われる地図を広げた。どうやら領地を与えるとの意図らしい。地図には北の大国アアルルノルド帝国とその周辺国が描かれており、特に新たに帝国の版図に加わった土地には印があった。
隣のファガンヌの様子を見ると退屈して関心が無いらしい。ギンナは初めて見る絵地図に興味深々の様子だ。僕は頼りにならない二人を置いて決断した…ええい、ままよ!
内務卿は僕が指示した土地を確認して言う。
「その地には……何もありませぬが、よろしいか?」
「はい。皇帝陛下、これで考えて頂けますか」
僕は決意を持って皇帝に尋ねた。
「よかろう」
皇帝は満足して頷いた。
………
夕食はささやかな晩餐会となった。ささやかと言っても皇帝と内務卿の他にも貴族と見える人物がいる。皇帝は晩餐会の始めに顔を見せたが、しばらくして姿を消した。
僕らは貴族に知り合いがいる訳も無く料理の皿を攻略していた。合間に近隣の貴族から質問をされるが無難に返答しておく。出来るなら僕らの正体を明かしたくはない。
隣のファガンヌを見ると借り物の衣装を着て器用にナイフとフォークを使っていた。やれば出来る子らしい。ギンナは料理に苦戦の様子に皿ごとナイフで切り刻んでいた。
食事がひと段落してファガンヌが言う。
「GUUQ メシは美味いが 皇帝のヤツ……ずぶん縮んだノ」
「本当か?」
普通なら人は成長して大きくなるものだけど人違いではないか。
ギンナはデザートの甘味に溺れていた。
◆◇◇◆◇
その頃、皇帝は専用の馬車に揺られていた。皇帝の専用馬車は轍の音も静かで夜の街道を滑る様に進むのだが、路面の凹凸は如何ともし難い。そのため座席は最高級の緩衝材を敷き詰めて快適な移動が配慮されている。
皇帝アレクサンドル三世は座席に沈み込んで呟く。
「小僧め! やってくれおる……あの程度の領地では、すぐにでも放り出して逃げ出しかねん」
「…」
お付きの側近たちは沈黙している。
「予は英雄の王! アレクサンドルなるぞ……小僧っ子の英雄ごとき配下に出来ぬハズは無い」
「…」
「陛下、しばらく猶予を頂きたくお願い致します」
応えたのは軍服姿の男だった。
「軍務卿に何か良い方策があるか?」
「はい。必ずやモノにしてご覧に入れます」
頃合いを見て内務卿が申し上げる。
「特使として派遣したデハラノフ卿から具申がありますが……」
「内務卿、そなたの権限で片付けよ」
「ハッ!」
皇帝の機嫌を損ねるのは得策ではない。こうして多忙な皇帝は帝都へお帰りあそばした。
◆◇◇◆◇
僕らは地方領主の館に泊まり翌朝に出立した。皇帝の署名が入った命令書と布告文を受け取り、初老の執事からのゲフルノルドの国境まで馬車で送るとの申し出を断ると僕らは西へ向けて帰路についた。帰りも馬車の世話になるのは申し訳ないし、正直なところグリフォン姿のファガンヌが飛行した方が早い。帝国が発行した通行証はありがたく頂く。
僕らは徒歩で街道を西へ進むと、人気も絶えた森でファガンヌが変化して飛び立った。
数日ぶりの大空は爽快で気持ちいい!
………
夕方まで飛ばして…僕は快適な空の旅に昂揚していたが、ふと気付くと背後のギンナの様子がおかしい。いつもなら大空の風景に燥いでいるのだケド…身を固くして気のせいか体温が高いと感じた。
「ギンナどうした?」
「お…お腹が…痛いですぅ…」
なにっ毒か! 朝食も昨夜の晩餐も不審な様子は無かったが……ギンナの具合が悪い。幸いにも夕闇迫る頃に炊事の煙を見て付近の村に着地した。食事時のせいか村人には目撃されなかった。
僕は近くの民家を訪ねて医者を探すが、小村に医師はなく薬師の婆さんを紹介された。早速にギンナを抱えて薬師の婆さんに具合を見てもらう。
「うーむ。分からんが……腹下しをやろう」
「そんな良い加減な!」
僕は婆さんの見立てに異を唱えるのを思い留まる。
「儂も山オーガ族の娘を診るのは初めてじゃが……大方に旅先で、慣れぬ物を食べ過ぎたのじゃろ」
「…」
思い当たるフシはある。
「銀貨一枚じゃ」
「…ありがとう…」
僕は怒りを抑えて対価を払い薬を受け取る。婆さんの診察に不満がある訳ではない。金銭の問題でもない。山オーガ族の普段の食生活を思い出すと…ここ数日のギンナの食事は異常だ。それに気付かない自分に怒りが湧いた。
薬を飲ませて谷川へ降りる。ギンナには人族の厠を利用できない訳があった。
「ギンナ薬が効いたら川で用を足すのだ」
「うぅ……出ちゃうぅ」
僕はギンナを抱えて川の浅瀬に飛び込んだ。
「見ちゃらめぇ……」
「大丈夫! 夕暮れで見えないさ」
こらえ切れず、ギンナの尻から玉石がごぼれ落ちた。続けて汚物が溢れだす。
「あぁ…はぁ…」
「全て出し切っても構わないから!」
僕は全ての悔恨を川に流した。
◆◇◇◆◇
帝国の軍務卿は部下の報告を受けた。
「…見失ったと申すか」
「はい。例の英雄は森にグリフォンを伏せていたらしく……西へ飛行する姿が目撃されております」
監視任務の責任者と思われる下士官の男は言い訳にも熱がこもる。
「まぁ、よかろう。目的地は知れておる」
「ハッ!」
敬礼して下士官の男は執務室を出て行く。
「ゲフルノルドの方面軍に命令を出すとしよう」
帝国の軍務卿はひとりごちて命令書の文面を練り始めた。
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