057 停戦交渉
057 停戦交渉
僕は山オーガ族の集落に戻りあの洞窟で長老の話を聞いた。
普段は村の祭祀を執り行う祭殿が設けられた洞窟は戦時の司令部の様子で武装した鬼人の戦士風の男たちが出入りしている。
数日の戦闘で損害を受けた人族のゲフルノルド軍は撤退して後方の森に陣を構えたらしい。援軍か補給を待つものと予想される。山オーガ族の集落では屈強な鬼人の戦士12人をひと組として守備隊を出すらしい。山オーガ族の長老が訓示を述べる。
「ザクロペディマ わかっておるな 決して人族を殺してはならぬ」
「ハハぁ」
見知った鬼人が山オーガ族の戦士隊を率いて集落の谷を出立してゆく。隊は谷の入口を固めるそうだ。その出立の見送りも兼ねてか、山オーガ族の女衆は谷川での洗い物の手を休めて戦士隊に手を振る。
「あれは、洗濯ですか?」
僕は谷川での女衆の様子を見て山オーガ族の長老に尋ねた。
「ふむ、洗濯とも言えるが……村の特産品の 玉石の選別ですじゃ」
「えっ玉石?」
「採取した玉石を川の水で洗い 玉石を磨くのですじゃ」
「へぇ」
僕は珍しい物に関心していたが、山オーガ族の長老は何か決心した様子で事情を明かした。
「その玉石が問題でのぉ。帝国への税として 納めていたのですが…」
「…」
長老の話では最近に帝国への税が増税されたと言うが、急に玉石が増産できる方法は無く……帝国へ税の減免を申し立てたが拒否されたとの事。そのうちに、帝国の徴税官と揉め事を起して人族の軍が派遣される騒動となったらしい。
「そこで、グリフォン乗りの英雄殿に 帝国との交渉を お願いしたいのですじゃ」
「うーむ」
難しい交渉になりそうだ、僕には帝国の知り合いなど無いのだけど…
「GUUQ 引き受けるが よかろう。 帝国の皇帝なら 知っておるゾ」
「本当かッ!?」
いつの間にか谷川の水源から戻って来たファガンヌが口を挟む。どこか陶酔した顔だが……僕にはファガンヌの申し出は、俄かには信じ難いものだった。
………
僕はグリフォン姿のファガンヌに乗り人族の軍が陣を構えた森を探していた。さすがに帝都まで行くのは無謀と思える。ファガンヌの話を信じるのは危険だろう。
僕はこれからの交渉に心が重いのだが、背中にもうひとつ荷物を抱えている。背後では僕が山中で助けた山オーガ族の少女が空からの景色に燥いでいた。
「ギンナ。あまり燥ぐと落っこちるよ!」
「GUW 大丈夫ですぅ。英雄さまっ」
山オーガ族の少女は名をギンナプルコと言う。長老の話では山オーガ族の集落に帰還する際に道案内が必要との事で付いて来た。ギンナ…は手足も伸びきらぬ年齢だが、顔だちも特徴的な銀色の角も美しい。将来の器量が楽しみな少女だった。
大人の山オーガは手足や背中には高質の皮膚を持ち、特にいち族の戦士たちは全身が金属鎧の様で防御は非常に堅そうだ。ギンナを見ると手足と背中の一部は銀色の金属質の様だが、胸から腹と尻から小股のあたりは柔らかな肉質に見える。
実際に背中に抱きつかれた感触は暖かく柔らかな乙女の肌の張りを感じさせた。僕がそんな感想を抱いていると、森の中にゲフルノルド軍の野営地を発見した。…念のため陣地から離れた場所に着地する。
「GUW 英雄さま 楽しかったですぅ」
「…」
「GUUQ 歓迎の使者かノぉ」
興奮が冷めないギンナを横目にして、金赤毛の獣人ファガンヌが警告する。
「何者だ!…おとなしくしろ」
「…」
既に警戒したゲフルノルド軍の歩哨に誰何された。兵士たちはしきりに上空を警戒している。僕は獣人の女を二人も連れた不審者だろう。金赤毛の獣人ファガンヌは筋肉質でいかにも強そうだ。ギンナは風避けにフードを被り顔だけを見せているので特徴的な角はネコ耳の獣人とも見える。
「軍の責任者に話がある…隊長のハウベルドさんでも良いのだけど…」
「なに?」
軍の責任者と聞いて誰を思い浮かべたか、先の兵士は同僚と相談して僕らを陣地へ連行するらしい。
「付いてこい!」
「ッ…」
「GUUQ…」
ファガンヌの機嫌が悪い様子だが、ぼくらはゲフルノルド軍の陣地へ乗り込んだ。
◆◇◇◆◇
ゲフルノルド軍の野営地では騒ぎがあった。すでに守備用の陣地を築き持久戦の構えであったが、グリフォン目撃の知らせに騒然となる。新兵の訓練も兼ねた教導部隊と、現地のゲフルノルド軍の守備隊の混成では軍の統制もままならぬ様子だ。
この軍の司令はアアルルノルド本国からの命令に頭を抱えていた。本来の任務は山オーガ族の反乱を鎮圧し現地のゲフルノルド軍の管理下に置く事だった。しかし、数日前から隣国の失われた山の民に行軍の気配があり、これを牽制するためにも早急に山オーガ族を制圧して、国境付近に守備陣地を置くべき情勢だ。
ここへ来て山オーガ族の予想外に堅い抵抗にあい、さらにアアルルノルド本国から追加の命令書が届いていた。
「馬鹿な! あの化け物と事を構えると申すか…」
「いえ、場合に因っては…という事です」
この軍司令の高級士官は本国からの使者と見える男に怒鳴りつけた、とても軍人とは思えない。
事実として軍の伝令ではなく、皇帝の密使だった。
「しかし…」
「良いですか、確かに申し伝えましたよ」
なおも反論する様子の軍司令を遮り使者の男が念を押した。皇帝の使者には逆らえない。そこへ若い伝令が駆けこんで来た。
「司令! きっ、緊急報告です」
「申せッ」
伝令の様子に嫌な予感がするが、報告を促す。
「グリフォンの乗り手が現れました! 陣地へ向かっております」
「何と、襲撃か!」
「いえ、話があると申しております」
「うむ……」
しばし思案する様子だったが明確に命令した。
「いかが致しますか?」
「すぐに、ここへ通せッ!」
「ハッ!」
伝令が慌ただしく駆け出て行った。
◆◇◇◆◇
ゲフルノルド軍の兵士に囲まれて陣地を進み、大きめの天幕に案内された。高級士官と見える男と役人の様な男がいる。天幕の後ろには護衛の兵士が控えているだろう。
兵士たちの敵意と殺気を感じてか金赤毛の獣人ファガンヌは不機嫌な様子だ。鬼人の少女ギンナは僕の腰にしがみつき怯えた様子を見せて、実際は人族の騒ぎに興味深々の様子だ。
高級士官の男が口を開く。
「今日は仮面を付けていないのかね?」
「交渉するに、顔を見せぬのは失礼だろう」
どうやら、先日の屍鬼を殲滅した経緯は知っている様子だ。斥候部隊の隊長ハウベルドからの報告だろうか。
「交渉とは?」
「まずは、山オーガ族との戦闘の休戦を申し込む」
目前の課題を片付けようと、僕は先制した。
「何を! 反乱分子ごときがッ」
「まぁ待て、話を聞こうじゃないか」
横から小役人が口を出すが、高級士官の男がこの場を仕切る様子だ。
「人族の兵士に、怪我人は多いが死者は出ていないだろ…山オーガ族は話し合いを望んでいる」
「貴公が仲立ちをすると言うのかね?」
高級士官の男が鋭い視線を向けるが、僕は力強く答えた。
「そうだ!」
「しかし、我々には停戦する権限が無い」
現場では戦闘を見合わせる程度の日和見が限界だろう。
「勿論それも承知で、猶予を頂きたい…その上で責任者に合わせて貰おうか」
「ッ!…」
ここで言う責任者とは軍務大臣か皇帝陛下か。高級士官の男は何かを勘案する様子だったが、急に似合わぬ笑顔で言った。
「貴公にお任せしよう!」
◆◇◇◆◇
僕らは馬車で帝都に向かう事となった。小役人と見えた男は皇帝の使者だそうで、デハラノフ卿と言う。おり良くデハラノフ卿は帝都に帰還すると言うので、僕らはも馬車に便乗して同行した。
事態の進展と混乱の中で出発の間際に空を見上げると渡り鳥の様な姿でピヨ子が飛んでいた。これ幸いとピヨ子に手紙を託して城門のチルダに帝都へ向かうと知らせておくが、言い訳と詳細説明は後日になるだろう。
車中には僕とギンナが横に並んで座り、向かいの席にはデハラノフ卿と護衛の女中が座っていた…気の強そうな女だ。ファガンヌのは狭い車中を嫌ってか馬車の屋根の上で寝ているらしい。デハラノフ卿がドヤ顔で話す。
「平民風情が、我らと同乗するなど光栄に思うべきだ…」
「はぁ」
何を語り始めるのか、
「何しろ当家は代々に渡り皇帝陛下に仕える身分…」
「なるほど…」
適当に相槌を打ちながら聞き流す。
「お前たちとは、気品と血筋が異なるのだから…」
「…」
まだ続きそうな、デハラノフ卿の自慢話は長くなりそうだ。特に有益な話は無かったが、この馬車の性能については興味を抱いた。
………
二日ほど馬車の旅路ののち、とある宿場町に宿泊した。人族の町が珍しいのかギンナは大燥ぎしている。宿の都合か僕らは二人部屋で僕とギンナは同室となった。ファガンヌが狭い宿屋にひとりで眠るとは思えない。
夜間の襲来を警戒したが、杞憂に終わった。
◆◇◇◆◇
デハラノフ卿は独り高級な宿に泊まりガウン姿で寛いでいた。眼前の美女の肢体を鑑賞する。
「GUUQ 我を呼び出すとは 命知らずよノ」
「ふん。ワシに逆らうとは、お前の主人の命は無いと思え!」
金赤毛の獣人ファガンヌは不敵な笑みで小役人を見つめる。デハラノフ卿は気の強い女も大好物だった。そういえば、護衛の女中の姿はない。
「…」
「おとなしくしておれよ…ワシが可愛がってやろう」
返答が無いのは恐れをなしたと思ったか、デハラノフ卿がファガンヌに触れようとした所で息が止まった。
「GUUQ 下郎がッ」
「ッ!」
ファガンヌは今まで気配を消して行動していたが、抑えた闘気を解放した。それは【威圧】の効果を伴って部屋中に発散された。屋根裏の小動物が一斉に逃げ出す。
しかし、デハラノフ卿は【威圧】に耐え切れず…上からも下からも内包物を漏れ出す始末だった。
ファガンヌは何事も無かった様子で金赤毛を翻して部屋を出た。廊下には護衛の兵士が床に蹲り威圧に耐えていた。任務を放棄しなかったのは日頃の鍛錬の成果だろう。
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