051 失われた山の民
051 失われた山の民
僕らはブラル山を出立して東側の斜面を下り「失われた山」を目指していた。
びゅぅー。斜面は秋口から吹き始めた北風に煽られて大自然の厳しさを体感する。山麓を下る登山道の方にも山々の連なりが見えた。ごひゅぅー。大自然は山肌と僕らに突風を吹きつけた。
「うっぷ、寒い!」
「…シュツェリアスの来訪が告げるのは、ライデインクトの嘆きだ…」
何かの故事か成句だろう。炎の傭兵団の兵士に尋ねるとシュツェリアスは風の神、ライデインクトは雷の神だと言う。御山に北風が吹くのは雷鳴の兆しという訳か……天候が荒れる前に下山したいと思う。
この山々を越えた先にかつては巨大な山体があったと言うが、現在は山体の形跡も無くて巨大な盆地と見える。僕らはチルダと数人の炎の傭兵団の男たちに従い山を下る。チルダが団長らしい警告を発する。
「皆ッ、足場が悪いから、気を付けてッ」
「はい!」
「GUUQ…」
どういう気まぐれかファガンヌは獣人の姿で付いて来た。下りの行程だが、東の斜面は岩が脆くて危険な山道の様子だった。
「ここから見える平原に、大昔はでかい山があったのさ」
「へぇ」
「IE$$¥ 山 じゃ」
おや、ファガンヌが口を挟むのは意外だったのか、チルダは驚いて聞き返した。
「え!……今、何とッ?」
「ファガンヌ、知っているのかい?」
「GUUQ 我も 生まれる前の 話ゾ…」
随分と獣人のファガンヌの話し方が上手くなって来たな、と僕は思いつつも尋ねる。
「大昔の話じゃ……IE$$¥ 山に 土俗が 住んでオッタ。
あるトキ、天の怒りに触れた 土俗の王を 罰するために、
天から &&E0S が 落ちてきた と言う……」
聞き取れない単語もあるがグリフォン語なのか。そんなファガンヌの昔話を聞きながら幾つかの峠を越えた。僕らは日が落ちる頃にようやく山の稜線に沿って立つ城郭へ辿り着いた。ここが「失われた山の民」の拠点らしい。
◆◇◇◆◇
一方トルメリアに近い戦場の荒野では昨夜から降り続いた雨天の中でも小競り合いがあった。しかし、夕闇が迫る頃には両軍の先遣隊は斥候を残して各々の陣地へ撤収していた。ともに夜襲を警戒しての事だろう。
「魔物の姿を見たというのは本当かッ?」
「はい! 複数の斥候部隊から報告がありました」
トルメリア王国の士官と見える男が若い下士官に命じる。
「夜間の警戒を厳重にせよ!」
「はい!」
命令を受けてトルメリア王国の守備陣地では篝火を焚く見張りも増員されたが、降り続く雨に相殺されて篝火の火勢は頼りない。そうして警戒する守備陣地の一角で騒動があった。
「魔物の襲撃だぁ! 迎え撃てぇ!」
「「「 おおぅ! 」」」
予想外にトルメリア王国の軍勢の士気は高い。初戦では炎の傭兵団とその傘下の魔法使いが戦線を離脱して全軍の士気は下がるかと思われたが、それは敵方のアアルルノルド軍も同様だった。
軍勢は火の魔法使いを大幅に減らしても、トルメリア王国では水の神官の支援を受けて専守防衛の構えだ。守備陣地を幾重にも築き大地に根を張るような戦術には、北の大国アアルルノルド軍も手をこまねく様子である。
その守備陣地へ魔物の群れが襲い掛かるというのも不思議な話だ。
「火矢を放て!」
号令のもと照明代わりに火矢を放つが、魔物の群れは臆する事も無く迫って来た。荒野に点在する岩場を乗り越えて、魔物の群れと見える影が現われた。夜間の戦闘では夜目が利く分だけ魔物の方が有利だろう。
「守備兵は前へ! 魔法部隊は支援を!」
トルメリア王国の軍勢は訓練の基本通りに防衛戦を行う様子だ。
しばらく魔物の群れと睨み合いを続けたが、次第に魔物の群れは撤退した。今夜は本格的な戦闘とはならずに……強襲偵察だろうか。魔物の動きとしては不自然に思えた。
◆◇◇◆◇
僕らはチルダに付いて城郭の中へ案内された。大広間のような場所に入るといち段と高い席から声をかけられた。
「チルダリアよく来た」
「お久しぶりでございます。オジルス…山長様、本日はお日柄も良く……」
壇上の席には筋骨の逞しい髯面の男がいる。男の横幅はチルダの三倍もあるが背丈は同じぐらいに見える。とてもチルダの伯父には見えないが、そういう愛称だろうか。
「堅い事は抜きで良い。それよりも良い物を見せてやろう」
「はい」
僕らは山長の招きで城郭の奥へと進んだ。開け放たれた広間では祭りの準備か?…男たちが立ち働いていた。
「野郎ども、準備は出来たかッ!」
「「「 おうぅ! 」」」
段壇の中央には石造りと見える大型の高炉があった。高炉の高さは人の2倍ほどで上部から何かの粉末と木炭を投じている。左手に見える重厚な引き戸を開くと、山谷を渡る風がたたらに吹き込んで来た。荒らぶる強風を受けて高炉の火が燃え盛る。
ごひゅうぅぅー。
高炉に近づくと高温と熱気が襲い掛かって来た。中で働く男たちも水を飲みつつ大汗を掻いている。どうやら、高炉に金属の鉱石をくべているらしい。高炉の温度は相当に高い様子だ。
男たちは鉱石と木炭を投入する者と、魔力を注いで火力を安定させる者など交代で働いている。山長のオジルスも火勢をみつつ作業の指示に忙しい様子だ。チルダは高炉の様相に目を奪われていた。
僕は工程のあたりをつけて工房の離れで休む事にした。高炉を焚き付ける作業はひと晩中かかるそうだ。ファガンヌは既に興味を無くしたか姿が見えない。鉱石の匂いから思うに鉄の精錬場だろう。
………
ひと晩明けて高炉を見に行くと炉の中から赤く焼けた金属塊を引き出している頃だった。丁度良い見学してゆこう。
「そぉれぃ!」
山長が魔力を込めたと見える大槌で叩くと、金属塊は見事に割れた。断面の輝きを見て山長が笑顔を見せる。成功のようだ。
「よっしゃぁ!」
職人と見える男たちが次々と金属塊に大槌を打ち付けて砕いてゆく。それは金属の成分別に切り分ける作業だと思う。チルダはひと晩中まんじりともせず夜を明かした様子で、作業を見詰めていた。さすがに火の山の女は熱心さが違う。
次の工程は小分けにされた金属塊を再度に過熱してから金槌で叩く様子だった。大勢の職人たちが己の魔力と精魂を込めて金属塊を叩く。山長はひと息付く様子で僕らを手招いた。それにチルダが気づいて、僕も後を追う事にした。
「チルダリア! 鉄鋼打ちも良いもんだろぉ~」
「素晴らしいですわッ」
筋骨の逞しい髯面の山長がチルダに言い寄る様子で言う。
「嫁に来る気になったかぁ?」
「うふふ、どうかしら…」
しかし、チルダは華麗に追撃を躱して微笑むのみ。この山長の前では、チルダの性格が違うというか猫被りの演技なのか……意外と脈ありかも知れない。
「朝飯にしよう。伴の者もどうかね?」
「…ありがとう、ございます」
山長は気さくを装い、値踏みして僕を観察する。お伴には上から目線も止むを得ないか。期待の朝食は山中とはいえ豪華なものだった。さすがに山長の実力を見せつける物のようだ。僕らは豪華な朝食を楽しんだ。
「山長! お願いの件ですが……」
「なんだ、剣などいつでも作ってやろう」
チルダが言いかけるのに、山長は得意げに応えた。
「いえ。その剣ではなくて…」
「ふむ、冗談だ。…我らも北の大国には剣を売っておるからの、表立って手出しは出来ぬ」
急に外交案件に話が進むが、
「婚約者の頼みでも、ですか?」
「なにぃ! 婚約を受けると申すかッ……なぜ、そこまでする?」
こここっ婚約とは。熱くなる男を尻目に、チルダは冷静に答えた。
「北の大国が大きく成り過ぎても、商売がやり辛いですから」
「ううむ……考えておこう」
思わぬ政治会談を目撃して僕は動揺したが、山芋のスープは美味かった。その後は山長の金属精錬の話を聞いて朝食を終えた。
………
工房へ向かうと職人たちが金属を叩く槌音は続いていた。
「GUUQ だらしない ノオ~」
「ぐぬぬぅ……」
離れの小屋から聞き覚えのある鳴き声と男たちのうめき声が聞こえる。ファガンヌが何かやったのか?…僕は慌てて離れの小屋へ駆け込む。
見ると朝から酒盛りしていた様子で、昨晩から高炉の焚き付け作業をしていた男たちは撃沈していた。
「GUUQ これしきの酒で 参るとは ノオ~」
「ぐうぅ……」
ファガンヌは何かの肉を肴に酒杯を呷っていた。
◆◇◇◆◇
戦場の荒野は霧に包まれていた。先日からの降雨は霧に変わり、トルメリア王国軍は魔物の群れの襲撃に耐えて守備陣地を守り通した。それでも大きな損害は無い様子だった。
「何の問題も無い。ここを死守すれば 我らの勝利だ!」
「「「 はっ! 」」」
指揮官と見える男が部隊の兵士たちを鼓舞する。トルメリアの近隣諸侯からも援軍が到着して、徹底した防衛戦術と持久戦がトルメリア王国の戦略方針である。
「それにしても、北の大国が魔物を使うとは……」
「…早急に、調査しておりますれば…」
トルメリア軍の参謀と見える美男子が呟くと、誰もいない部屋から応えがあった。影の者か。
「グリフォンに騎乗した者の素性も気になります。早急に頼みますよ」
「…はっ」
参謀服の美男子が命じると、影の者の気配は即座に消えた。
………
戦場の荒野の北部にはアアルルノルド軍の本陣と天幕があった。アアルルノルド帝国は国名が長いので単に「北の大国」とも呼ばれる。北の大国の将軍と見える男と魔術師風の男とが、何やら密談をしていた。
「将軍閣下、種まきは終わりました。この雨で芽吹く頃合いでしょう」
「うむ。成果を期待しておるぞ」
魔術師風の男は自信ありげに答える。
「時期に、ご覧に入れまする。つきましては……」
「ふむ……して……ふむふむ……」
将軍は魔術師の話に興奮した様子で話を聞いている。
「…という訳で…」
「…なるほど…」
陰謀のタネは尽きない様子だ。
◆◇◇◆◇
僕は工房で金属を打つ作業を見学していた。職人たちは自慢の金槌に魔力を込めて熱く焼けた金属塊を打つ。金槌を通して放たれた魔力は金属塊の不純物を弾き出すようだ。
金槌を打ち据える毎に金属塊の純度が増すのだろう。熱く焼けた金属の残滓が美しく飛ぶ。ひとしきり金属を打つ作業を眺めていると、山長がやって来た。
「小僧! 打ってみるかぁ」
髯面に不敵な笑みをたたえて山長は僕に大振りの金槌を差し出した。馬鹿に重いが、僕は魔力で身体強化して金槌を持ち上げ、熱く焼けた金属塊に打ち付けた。
「そりゃ!」
「まあまあ、だなっ」
山長の生暖かい視線を無視して僕は呪文を唱える。
「根性入れて…【押叩】【押叩】【押叩】!」
「ほほう、中々(なかなか)やりおる」
熱く焼けた金属塊は魔力を当てられて次々と不純物を吐き出した。
「徹底的に…【押叩】【押叩】【押叩】!」
「待てぇッ!……やり過ぎだッ」
山長の制止があった。見ると金属塊は円盤のように変形している。山長の目は真剣に金属塊を検分していた。僕も同様に金属塊を見るが山長は目にも身体強化をしている様子だ。
ひと通り検分して満足したのか、山長は髯面に真剣みを称えて僕に言った。
「しばらく、鍛えてみないか?」
「は、はい!」
僕は工房で修練する許可を得た。
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