050 戦乱の荒野
050 戦乱の荒野
僕は東の荒野を望む上空から戦場を眺めていた。生憎の天候か……荒野には暗雲が立ち込めて見える。朝方に小屋へと戻って来たニビは打撲や擦過傷を負って疲労していたが、確かな足取りで森へ去った。
それに比べて、ファガンヌは両手に丸々と太った野鳥を抱えて帰って来た。僕はそれを丁寧に捌いて焼き鳥にした。そのおかげで、朝から上機嫌なファガンヌは山の尾根を超えて荒野を飛ぶ。
昨日は破いてしまった貫頭衣は魔女見習いのビビが上手く修理した様子でグリフォンに変身しても裂けない工夫がしてあった。前掛けのエプロンを着たグリフォン姿のファガンヌが軽快に飛ぶ。
荒野の平原には北の大国アアルルノルドの軍勢と思われる大軍が布陣していた。それに対峙して荒野の南部にはトルメリア王国の軍勢と見える軍旗や近隣領主の旗印を並べた大軍があった。
「何だッ…飛んでいる…鳥かッ?」
「…警戒ぃ!」
僕らが両軍の間を飛行すると斥候部隊に発見された様子だった。
「GUUQ…(人族の 殺し合いか クダラン)」
「あの軍勢が 見えるのかい?」
魔獣グリフォン姿のままファガンヌが僕の側で嘯いた。暗雲に虎嘯けば谷風至るか。オル婆の遺品……つば広の帽子には【念話】の効果があり、魔獣グリフォンとの意志疎通にも役に立つ。
「GUUQ…(一匹ずつは 見えない 魔力を カンジル)」
「あれは、何だろうか?……」
両軍が布陣するそれぞれの中央部で巨大な篝火が焚かれた。それは、魔力による篝火だ。直接の戦闘や陣地施設の破壊には火の魔法が絶大な効果を発揮する。つまり、火の魔法使いがいれば容易に素早くどんな場所でも火計を行えるのだ。
巨大な魔法の篝火は、離れた場所へ布陣した両軍に対しては示威行動にしか見えない。中央部の篝火から順にその左右の陣地でも魔法の篝火が掲げられて、炎の隊列が形成される。
僕はキツネの面を着けて両軍の中央へ降下した。つば広の帽子も合わせて怪しい人影に見えるだろうか。
「どうしたッ?」
「…はっ?、グリフォンに乗った人間だとッ!」
「…魔獣と魔人かッ?…」
「…ざわざわ…」
僕らが両軍の間の平原へ降り立つと、両軍の騒めきが大きくなる。
「両者ともぉぉぉ! 軍を引けぇぇぇぇぇぇえ!」
僕は声の限りに叫んだ。どうせ風の魔法で両軍の斥候が集音しているだろう。しかし、両軍ともに明確な応答は無かった。
まずい、何を勘違いしたのか……僕には両国の戦争を止める実力も人望も無かった。勢いに任せて渦中へ飛び込んでも良い結果は得られないだろう。
その時、荒野の北西の方角に新たな篝火が立ち上がった。これは両軍の主たる篝火よりも巨大である。新たな魔法の篝火は勢いを増して暗雲を吹き払うように輝き、これを守る陣形らしく左右にも大小の篝火を従えている。……それは、大勢の火の魔法使いが待機している事も意味するのだ。
三つの篝火の勢力はしばらくその威勢を見せつけると、同時に消え失せた。後には暗雲が垂れこめる荒野に両国の軍勢だけがとり残される。
僕は北西の新たな篝火が生じた方へ飛行した。この篝火が一番の大きさで、魔法の実力も頭抜けて見えたのだ。魔獣グリフォン姿のファガンヌはひとっ跳びで傭兵団と見える人間の集団を発見したが、警戒した傭兵団から火球の魔法を放たれた。
はっ、僕は見知った顔を見付けて飛び降りる。
「チルダ~!」
僕は魔力による身体強化と体術で受け身をとり地面を転がる。しかし、荷物も仮面も取り落として傭兵団に取り押さえられた。
「マキト! 飛んだ……登場じゃん」
「ぐへぇ……」
僕は転げて捻じれた胃袋を抱えてチルダを見上げた。次回は胃袋にも身体強化が必要らしい。とりあえず、傭兵団の陣地で尋問を受ける事になった僕はチルダと事情を交換した。
「マキト! 無茶をする者だねぇ」
「は、はぁ」
赤毛をショートヘアにした褐色肌の女チルダは秋口だとしてもホットパンツに丈の短い上衣姿だ。
「両軍は未だ、開戦に至らないだろッ」
「それは、どうして?」
チルダは自信ありげに言う。
「あたしが出張って来たのは、そのためさ!」
「へぇ……」
僕が何と言って聞き出したものか悩んでいると、チルダは話を続けた。
「北の大国の連中は、荒野から魔物を討滅するのを理由に軍勢を出したらしいぜ……」
「わざわざ、そんな理由でぇ?」
それ程に荒野の魔物に恨みがあるとは思えない。
「先月、トルメリアの魔法学院であった魔法競技会では、北の大国の留学生が犠牲になったそうだ」
「そっ、それは……」
あの事件の行方不明者の捜索だろうか、
「くだらない理由で、戦を始めたものだぜッ!」
「うーむ」
話を打ち切ったチルダからは、それ以上の情報は得られなかった。
………
僕は遅くなった昼食に焼き鳥を焼いていた。気分は既に焼き鳥屋の職人だろうか。火の魔法に追い立てられたファガンヌは苦も無く火球を避けて飛び去ったが、姿を見せていない。ひとしきり焼き鳥をチルダに振る舞っていると南から軍勢が合流した。
「チルダリア様、聖炎傭兵団は帰還を致しました……」
「チルダッ! 爆炎傭兵団が戻ったぜッ!……」
「御前に……紅炎傭兵団でございます……」
東からも軍勢が合流している様子であり、多くの火の傭兵団が集結するらしい。
「あたしは御山に帰るが……マキトはどうする?」
「僕も連れていってくれ」
僕は火の傭兵団たちに同行してブラル山へ向かった。
◆◇◇◆◇
リドナスは風の魔法使いシシリアと獣人の戦士バオウと共に東に向かっていた。途中のコモパルナの町には立ち寄らずとも、魔獣グリフォン討伐の結果は兵士と役人が領主に報告するだろう。
元々グリフォンの生息を調査する依頼はトルメリアの狩猟者ギルドで発行された物だった。リドナスはシシリアとバオウとも顔見知りであり、グリフォンの情報をトルメリアまで持ち帰るのは依頼の為ともいえる。
「リドナス! はやる気持ちも分かるけど……」
「GUU 焦りは 悪い 落ち着け」
「早く、主様に♪ッ」
リドナスは旅を急いでいた。風の魔法使いシシリアと獣人の戦士バオウのふたりに宥められても心は先走る。
「何か、騒ぎが起きている様だけど……気になるわねッ」
「GUA とにかく キドの町で 休憩ダ」
「ん♪ッ…」
焦るリドナスには魔獣グリフォンに攫われたマキトの姿しか見えていなかった。
◆◇◇◆◇
戦場の荒野では両軍がにらみ合っている。北はアアルルノルド帝国の陣地に怒声が響く。
「どういう訳だッ! 報告せよ」
「はっ! 火の傭兵団と傘下の魔法使いたちが戦線を離脱しました」
本陣の天幕では、北の大国アアルルノルドの将軍と見える男が若い士官を怒鳴り付けていた。
「それは知っておる! 理由を説明せよ」
「そ、それが……」
言い淀む若い士官を横目に魔術師と見える男が進み出た。
「将軍閣下、火の傭兵団の雇用契約では同族との戦闘を避けるとの条項があります」
「バカモン! 何だとッ!!」
顔を赤くして怒鳴る将軍に対しても平然として魔術師の男が続けた。
「火の傭兵団を抜きにしても作戦に当たらねば……陛下のご機嫌を損ねますが……」
「うーむ。策はあるのか?」
なにやら耳打ちする様子だ。
「………という」
「よかろう! すぐに作戦会議を開け」
唾を飛ばして将軍閣下が怒鳴り付けた。
「はっ!」
若い士官が伝令よろしく駆け出して行った。
◆◇◇◆◇
僕は火の傭兵団に同行してブラル山を登りブラアルの町の上層区にいる。正確にはウォルドルフ家の立派な屋敷に逗留しているのだが、その屋敷の中でも贅沢な温泉に浸かっていた。
ブラル山は活火山であり、町にはいくつかの地下水脈から温泉が湧き出していた。体を洗いて湯に浸かり体をほぐす。さすがにブラアルの温泉は疲労回復にも良いそうだ。
-ZAPPAN-
勢いよく温泉に飛び込む音がする。これはチルダだろう。以前も温泉での騒動があって……
「マキト! そこかぁ」
ざぶざぶとお湯を掻き分けてチルダが現れた。湯気が仕事をしてよく見えないのはお約束だ。僕はおとなしく旅の疲れを癒す。今回はグリフォンに攫われて…砂漠を彷徨い歩いて…散々な目に合った気がする。
「マキトに頼みがあるのだけど……」
「何だい?」
湯気の向こうから肌色を透かしてチルダが声を掛けた。
「あたしと一緒に、失われた山に行こう!」
「何か、あるのかい?」
チルダはいつもの明るさで言う。
「失われた山には戦を終わらせる鍵があるのさ」
「鍵とは……」
何かの比喩だと思うが、早く戦争が終わるなら協力したい。
-ZABON-
その時、音も無く飛来した何者かが温泉に落ちた。
「GUUQ……良い 湯加減じゃ」
その鳴き声は!…声のする方を見ると獣人姿のファガンヌが前掛けエプロンの様な貫頭衣を着て湯に浸かっていた。
「ファガンヌ、温泉では 服は 脱いでッ」
「GUUQ! いいのか?」
僕が言い終わらぬうちに金赤毛の獣人ファガンヌは貫頭衣を脱ぎ捨てると、野性味のある肢体をさらした。
「マキト! その女はッ」
「っ……」
チルダが慌てて近づいて来たが、ファガンヌの肢体はチルダよりもひと回り大きい。全てのスペックで自分を上回る脅威を見て、チルダは生まれて初めて戦慄した。
「なんて事っ……このあたしが負けるとは……」
「GUUQ!」
ある意味での、女の闘いを目撃して僕は温泉に潜航した。
いーい湯だな。あーぶくぶく。
.。o○.。o○
◆◇◇◆◇
どういう決着を付けたのか夕食の席では、金赤毛の獣人ファガンヌも同行する事になっていた。既にファガンヌは手づかみで食事をしている。何でも引き裂く爪と牙で不自由は無い様子だ。
ウォルドルフ家の主人として老婦人のエリザベートが応対する。
「獣人を差別されないのですか?」
「もちろんですとも。大切なお客様というのもあるけど……あの方は特別ですわ」
僕が尋ねると、エリザベートはひとりで料理を平らげるファガンヌを横目に答えた。
「……」
「以前にも獣人が嫌われるとか、お聞きになったわね」
今はリドナスを連れていないが、僕は最初に会った時の事を思い出した。若いメイドが給仕する。
「はい」
「この町では傭兵を仕事にする者が多いのよ……それに獣人の方もね」
後ろに控える若い執事の手首に包帯が見える。先程の若いメイドも負傷していたらしい。僕が包帯に目を遣ったのに気付いたのかエリザベートが応えた。
「戦争のせいですか?」
「いいえ。今の若い子は、鍛練が足りませんわねッ」
屋敷では戦闘メイドが重宝されるらしい。僕は話題を変える。
「そう言えば、ウォルドルフ師匠は、お元気ですか?」
「はい。最近は事業が忙しくて、帰りも遅いのだけど……新しい使用人も増えましたのよ」
新顔のメイドが料理を運んで来た。他にも屋敷の使用人は増えた様子である。
「へぇ~」
「うふふ、やはり、若い子は良いわねぇ」
ウォルドルフ師匠は弟子の教育にも熱心だったと思う。さらに、エリザベートの鍛練も厳しい物と思えるのだ。
「そうですか……」
「マキトさん。チルダをお願いするわ」
意味不明にお願いされたが、勢いに任せて僕は力強く請け負う。
「はいッ。任せて下さい!」
その後は、私立工芸学舎に入学して魔法競技会で活躍した話などして夜が更けた。エリザベートに貰った学院への紹介状は役に立ったと感謝を伝えた。僕はささやかなお礼にビビが作った薬の瓶を差し上げた。
「僕の知り合いが作った薬ですが、魔力も体力も回復する良い薬ですよ」
「まぁ、素晴らしい出来ですわ」
ビビが作った薬だけどお世辞でも嬉しい。
僕は休息を得た。
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