036 王都の学院事情
※第四章が始まる。
036 王都の学院事情
僕はトルメリアの王都にいた。
トルメリア王国はユートリネ河が注ぐトルメリア湾にある港町から発展した。かつての、港町の領主は周辺の村や町を併合して王を頂く政治体制となっていた。ユートリネ河の北に建設された王城は川の支流を利用し掘り割りとした美しい景観を見せている。その王城を中心として配置された城下町が王都トルメリアだ。
王都と港町はそれほどの距離がなく街道沿いに住民が増えた結果ひとつに合わさり大都市を形成している。その王都には王立魔法学院と私立工芸学舎のふたつの教育機関があった。
王立魔法学院は王族とその家臣および周辺貴族の子弟が学ぶ場所として建設された。それに対して、私立工芸学舎は市民と有力商会の出資の元で各ギルドの協力により運営されていた。
それぞれの教育機関には特徴があり教員の交流も盛んの様でどちらが優秀ともつかないようだ。しかし、依然として貴族の子弟は王立魔法学院へ平民の子は私立工芸学舎へ入学する者が多かった。
僕は両校の入学案内を購入して読み検討していた。本日は赤の月5日で学生は夏の長期休暇のまっ最中だ。長期休暇とはいえ開催する講義科目もあるのだが…教員も長期休暇のようで受講できる科目は少ない。
多くの科目は来月、橙の月から開催されるそうだ。僕は入学案内を読み思案する。リドナスは僕が旅の道中に読み書きを教えているが、まだまだ拙い。暇を持て余したリドナスは木陰で休んでいた。
「暑いなら、葡萄ミゾレを用意するよ」
「主様、もったいない デス」
僕はすくにミゾレ機と葡萄の果実を用意して絞る。筒に果汁を入れて魔力を注ぎながら取手を回すと、染み出した果汁が凍結してカップを満たすが、…完全な氷は生成出来ずに…融けかけの氷だ。
「はい。どうぞ召し上がれ」
「ありがとう ございます♪…美味しい デス」
リドナスは王都の暑さが苦手の様子だ。
僕はミゾレ機を見て自分の技能の限界を思う…もう少し魔力の変換効率を上げられれば、かき氷機に出来るハズだ。リドナスは安静にして置いて僕は港町にある倉庫街へ向かった。アルトレイ商会は大忙しの様子でキアヌ商会長が店頭で指示をしていた。
「おや、マキト君じゃないかね」
「こんにちは」
キアヌ商会長は店員に作業を任せてやって来た。
「君が紹介してくれた、スミノス商店のミゾレ機を売り出す準備さ」
「売れそうですか?」
店の一角を指してキアヌ商会長が自慢げに言う。
「あれを見たまえッ」
「おお!」
見ると店舗の壁面に予約者リストが掲示されていた。…初回分は抽選らしい。するとこの騒ぎは抽選会の準備か…人の噂による宣伝効果も狙っているのだろう。
「こいつは売れると踏んでいるのさ!」
「…」
キアヌ商会長は悪い顔で笑った。まったく悪徳商人が似合う美中年だ。抽選会が始まると物珍しさに人集りができて、店も混雑し始めた。
僕は活気づく抽選会場を後にする。
◆◇◇◆◇
次の日、僕は朝早くからリドナスを連れて王立魔法学院の見学に来ていた。やはり魔法を学ぶなら王立魔法学院だろう。
建物は王城の様式と似ていて華美な装飾は無いが歴史を感じさせる作りだ。構内の木立にも年輪を感じる。運動場と見える広場では魔法を使った球技をしていた。運動部の練習だろうか。
「そこの者、何の用だ!」
「…け、見学です」
僕は学生だろう大柄な男に誰何されて慌ててしまった。
「川住まい者を連れて……怪しいヤツめ!」
「なんだとっ」
大柄な男がリドナスを半眼で見て言う。川住まい者とは獣人や貧民に対する蔑称だ。しかし、言われた本人は分かっていない様だ。むしろ河トロルにとっては、川に住む事は当然の生活と言えた。
問題はこの男の態度だ。人を不審者扱いしやがって…リドナスが平気な顔で前に出た。大柄な男がリドナスに掴みかかるが、リドナスは男の側面へ踏み込んで足を払った。そのまま空足を踏んで男が転ぶ。
「逃げろ!」
「待ちやがれ! コノヤロ…」
男が立ち上がる前に僕らは逃げ出した。遠くでニンゲンの遠吠えがする。
「はぁはぁ」
「…」
構内を走って校舎の一角に出た。
「そこの君、待ちたまえ」
「…またか…」
声の方へ振り向くと腰に剣を佩いた剣呑な女が立っていた。どこ騎士家系だか……関わるとマズそうだ。
「従者とはいえ、獣人を連れ歩くとは感心しないわ!」
「いえ、今日は見学で…」
剣呑な女は鋭い目付きで言った。
「ほほう、私が案内しよう」
「結構です」
僕らは踵を返すと早足で出口へ戻った。校舎の影から様子を伺う魔術師の影が独りごちる。
「どこの貴族の御曹司か……」
◆◇◇◆◇
王立魔法学院の豪華な門を出て町を歩く。構内を見学するだけで不審者扱いとはッ。
「満足に見学も出来ないのかッ」
「主様 …」
僕が怒るのをリドナスは申し訳なさそうに聞く。なぜ、敵対されるのか!?
「リドナスは悪くない! あいつらがッ」
「…」
僕は獣人に対する差別意識に怒りを見せるが、リドナスには理解の外だ。出来れば、僕はリドナスとも一緒に学びたいと思っていた。そんな怒り任せて強行軍で歩を進めていると私立工芸学舎に着いた。
私立工芸学舎の建物は増築に増築を重ねた様子で建築史の見本のような造りであった。比較的に新しい校舎に沿って進むと広場で泥に塗れた男がいた。
なにやら魔法で構造物を作っている。
「これは土の魔法ですか?」
「そうさ、土魔法建築だ!」
とても建物には見えない前衛的な様式だ。僕は適度に愛想を述べて先に進む。
-ZAPPAN-
派手な水音がした。この先に噴水池があるらしく、灌木の隙間から覗くと修行僧のような男が池にいる。…河トロルでは無い。ただのニンゲンの様だ。男は何やら呪文を唱え、特大の水球を作り自分の頭へ落とした。
-ZABOON-
「………」
「ッ♪」
夏休みの最中に滝行とは涼しそうだなッ…そこへリドナスが飛び入りすると、争う様子は無いので放任した。僕は木立を抜けて奥へすすむ。構内の木立は植物標本を兼ねているのか多様な森と見える。
森を抜けた、旧校舎と思われる空き地では、砲撃の訓練が行われていた。
-DOPAWN-
金属の円筒から破裂音と共に砲弾が打ち出される。弾道を追うと砲弾は壁に掲げられた帆布へ命中した!…しかし、円筒からも彩色の模様が飛び散る。
「いやーん」
「大丈夫ですか?」
見ると女子が彩色に塗れていた。華麗な砲撃には失敗した様子だ。
「このくらいの失敗では、負けないんだからね!」
「はぁ?…」
彩色に塗れた女は同級生と見える女子に連れていかれた。命中精度は悪くは無いのだ。
夏休みまっ最中のためか、私立工芸学舎の学生は自由に魔法の研究をしている様子だ。ものの役に立つかどうかは別として自由な校風と見えた。
………
いくつかの構内を見学してから帰還した。僕はアルトレイ商会の裏手にある工房へ向かう。今日は水の神官アマリエからのプリンの注文に応える約束をしていた。
途中の精肉卵店で卵を仕入れたが…卵は高級食材らしく…いつの間にか僕はその店の常連客となっていた。
アルトレイ工房には干物が干されている。こちらの副業も順調の様子だが規模は縮小だろうか。
工房に着いて大型の蒸気鍋を準備する。いつもの檸檬風味のプリンの他に小型の蒸気鍋では別の味を用意するつもりだ。僕は市場で仕入れたエビを剥き貝柱と香草をカップに入れる。魚のアラからの出汁と卵を合わせてカップに注ぐ。
卵は泡立てない様に切断の魔法で混ぜるのがコツだ。蒸気鍋で蒸す。……蒸しあがったら、昨日作った魚の煮凝りソースをかける。余熱で溶けたソースは再び固まるだろう。
「こんにちは、マキトさん」
「いらっしゃい!」
ちょうど良い頃合いに水の神官アマリエが現れた。神官服に藍黒の髪が良く似合う女性だ。僕は新作の茶碗蒸しを差し出した。
「新作です」
「わぁ!」
アマリエが海鮮の茶碗蒸し煮凝りソースかけを試食した。
「いかがでしょうか?」
「豊かな海の香りが、食欲をそそる深い味わいですね。何と言う…料理ですか?」
きらきらしたアマリエの眼差しに見詰められて、僕はそれらしい名前を付けた。
「えーと、海鮮風カップ蒸しです」
「…カップ蒸し…」
アマリエはカップ蒸しの味を心に刻んだ様子だった。ご注文の檸檬風味のプリンと海鮮風カップ蒸しを持って僕はアマリエに付いて町を歩く。
「マキトさんが帰って来て、私は嬉しいです」
「アマリエさんも、お元気そうで…」
何とはなしに世間話をする。
「来週は水の神殿で祭事があるのですが、見に来ませんか?」
「へぇ、それは?」
「先祖の霊をお迎えする神事なのですが、たくさん屋台も出て楽しいですよ~」
「それは是非にも見たいですね」
「約束ですよ」
「はいッ」
僕は水の神殿へ祭事を見に行く約束をした。
水の神殿は港町トルメリアにもいくつかあるが、祭事を行う本殿はトルメリア湾の小島にあった。港町にある、ひとつの分神殿にアマリエとプリンを送り届けた。
◆◇◇◆◇
結論として僕は私立工芸学舎に入学した。貴族の子弟が多い王立魔法学院では獣人のリドナスは肩身が狭いだろう。余計な軋轢をさけて学業に励みたい。ウォルドルフ家の爺さんと婆さんに貰った紹介状の効果は絶大で入学金が半額となった。
学生寮も勧められたが、僕はアルトレイ工房の屋根裏に間借りする事にした。校舎からは遠いが、工房の方が何かと便利だ。まだ、研究室に籠る予定は無い。
王立魔法学院は専門職コースの教育が充実している様で、宮廷官吏コースや騎士士官コースなど国の役職に直結している。もちろん魔術師コースや魔法工学師コースもあるのだが内情は入学して見ないと分からない。
私立工芸学舎は各ギルドの幹部養成コースと商人や職人の技術と教養のコースがあり科目の多くは選択となっていた。教員の給与は受講生の人数と出席と学生の実績で決まるらしく、有料の入学案内は広告雑誌の様子だった。
僕は週の時間割りを埋めるべく入学案内の勧誘特典を検討していた。リドナスの時間割りは読み書きや計算などの基礎教養を中心にして埋めてやる。
なるべく興味を惹く科目を選ぶ。過去の受講者数の実績も重要だ。人気の講師は大講堂の席を取るのも大変だとか学生情報も役に立つ。迷宮の騒動では情報収集の大切さを学んだ。嘘の情報提供であれば、いずれギルドに消されるだろう。
そういう意味でも入学案内から有意義な科目を選ぶ事が入学試験と言えるだろう。まあ、無駄な講義であれば途中で切って他の講義へ参加すれば良い。教員の世界も厳しそうだ。
入学案内に掲載された学生や教員の失敗談が面白い。こういうよもやま話が役に立つ事もある。ようやく、自分の時間割を埋めた。後は受講希望の抽選用紙に書き移すのみだ。
人気の講師は大講堂の定員もあり抽選となるようだ。
窓口の職員の注意を聞き流す。
僕は校舎を後にした。
◆◇◇◆◇
今日は水の神殿で祭事がある。本殿の小島が見える入り江は屋台と見物人で混雑していた。海岸線の岩場には祈祷を行う神職がおり、初穂料や玉串料を捧げる箱があった。信仰している者が銀貨を投じる。
何を祈るでも無いが僕は銀貨を投じた。無信心でも神の威光に従ってしまうのは、先祖の血の流れの故かな。西の海に夕日がかかると海岸に歓声が起きた。本殿の小島を見やると神像に似た人型が西を向いて立ち上がった。
「で、でけぇ…」
「神々しい! お姿よ」
「…近くして見がたきは我が心…」
見物の人々からも口々に感嘆の声が漏れる。夕日に照らされた人型は水の造形に見えて光の屈折で輝いている。人型は両手を広げ先祖の霊を迎える仕草をした。大質量の両腕から水飛沫が漏れた…ギリシャ風の貫頭衣キトンだろうか。
「おおぉ…」
「あこに、おわすは…」
「…細にして空に遍くは我が仏…」
夕日が沈むにつれて人型は形を無くして消え去った。銀貨を投じる者が増した。マシマシだッ! 僕は屋台を攻略していた。リドナスは最初から最後まで屋台の攻略に勤しむ様子だ。
巨大な神像も最初からリドナスには水で作った虚仮威しに見えたのだろう。あるいは無信心なのか…両方か…僕は珍しい出し物を見られただけで満足していた。
恐らく大勢の水の神官が総出に、大規模な魔法を行使したのだろう。今頃はアマリエも魔力不足で燃え尽きているかも知れない。
僕は、そんな想像を巡らせて帰途についた。
--
※儀式魔法が神事として登場しました。