ep345 英雄カイホスロウ
ep345 英雄カイホスロウ
聖都カルノの守備隊を指揮する英雄カイホスロウ将軍は街の西側へ陣取り、ナダル河を背にして奮闘していた。それは、決死の背水の陣に見せかけた持久戦の構えだった。
南方から侵入したアルノドフ帝国の軍勢は聖都カルノを包囲したが、町の西側だけは最後まで徹底抗戦の抵抗を見せたのだ。英雄カイホスロウの指揮する守備隊は特に聖都カルノの教皇へ忠誠を誓った訳では無い。教皇への忠誠心と言うならば、由緒正しき聖騎士団の方が有名であろう。
その忠誠心も高い聖騎士団はあっさりと寝返って、聖都カルノへの侵略者の手先となり堕落していた。それに比べて英雄カイホスロウの軍勢は忠義に篤い者たちである。
「ようし、今晩も補給物資を引き揚げろッ」
「「 おおぅ 」」
街の城壁とナダル河の間に孤立したカイホスロウの軍勢は不思議と餓える事は無かった。夜な夜なに河川から補給物資が届いたのだ。
「今晩の避難民は西の十五番街の者たちだッ」
「「 へぃ 」」
補給物資を届けた空舟は聖都カルノの避難民を乗せて夜陰に消える。カイホスロウは個人的な誼でナダル河の水棲部族と協定を結んでいた。多くの避難民が北方へ逃れた事を知る者は、本人たちの他には少ない。
ある日の明け方、そんなカイホスロウの軍勢にも危機が訪れた。
「お頭ッ! 大変だッ!」
「何だ? ジャンドルの若造が懲りもせずに、攻め寄せたかッ?」
手下の蛮族の戦士が南方の空を指す。西の大橋ではない。
「あ、あれを…」
「!ッ ### $@%#! %@$#!」
英雄カイホスロウ将軍は立場も忘れて怒り、部族の暴言と呪いの言葉を吐いた。
それは捕らわれた巫女姫ルレイの無残な姿だ。見張りの兵士に確認せずとも、澄んだ明け方の空は見通しも良い。英雄カイホスロウの眼には、手足を打ち砕かれて高木に吊るされた巫女姫ルレイの姿が見える。
遠見の斥候の報告では、まだ巫女姫ルレイに息がある事も確認された。今ならば救出も間に合う!
そう思う間もなくアルノドフ帝国の使者が背水の陣を訪れた。
「英雄カイホスロウ将軍とお見受けする。我は大ルゾフの司教ニコライ・モンテ・カルロフなり」
「ルゾフの司教が何用かッ?」
「我は仲介者にして、偉大なる神の代言者…」
使者の口上とあらば、不愉快でも聞き届けなければ成らない。英雄カイホスロウ将軍は自身の行動にも軍勢の指揮にも重大な責任を背負っていた。
ルゾフの司教の長々とした説教を要約すると、
・巫女姫ルレイは殉教者として死していないだけでも教皇の不興を買った。
・帝国軍は英雄カイホスロウ将軍と守備隊の奮戦に閉口している。
・教皇の派閥は聖都カルノから逃げ去った。
・反教皇派の大司教たちは英雄カイホスロウ将軍を背水の陣からおびき出す為に巫女姫ルレイの身を晒した。
・アルノドフ帝国の皇帝は非常に心を痛めている。
・英雄カイホスロウ将軍が抵抗を止め投降するならば、巫女姫ルレイを助け身を安じよう。
・ルゾフの司教が契約を定める。
英雄カイホスロウ将軍は鼻で笑う。使者の人選にも悪意を感じるのだ。
「ふんッ!」
使者の首が飛んでナダル河へ落ちた。途端にルゾフの司教の体内から大量の瘴気が噴き出した。バタバタと戦傷で弱った者から倒れてゆく。
「糞っタレ!謀ったなッ…全軍突撃ぃ! 巫女姫を奪還せよッ」
「「 おおおぅ!! 」」
持久戦に痺れを切らしていた蛮族の軍勢は意気を揚げる。瞬時に包囲を突破して巫女姫ルレイを奪った。
「姫よ。我が不甲斐ないばかりに…済まぬッ」
「カイホスロウ。王が泣いては民が立ち行きませぬ…」
「わっ、我がッ命に代えても、守って見せるぞ!」
「出来もしない約束は、口に出す物ではなくて…よ…」
「ルレイ! 死ぬなッ、我が愛、我が命、燃え尽きるとも!」
「……@@%……」
英雄カイホスロウ将軍と蛮族の軍勢は大いに奮戦し、そして滅びた。
この戦の後に、ジャンドル家の若き当主は英雄カイホスロウ将軍の戦いを敬して、遠くナダル河の畔に霊廟を建立した。…というのは有名な話だ。
◆◇◇◆◇
ここは地獄か天国か…。馬車に揺られて聖都カルノに向かった筈が、マキトが意識を取り戻したのは見慣れた船室だった。それは、マキト・クロホメロス男爵が所有する小型船ニアマリン号の客室である。
「痛っててっ…」
マキトは胸の喪失感に違和感を覚えた。ぐらりと船室が傾く。どうした事かと船室を出て見れば、仮面を付けた船員が立ち働いている。その姿はリリィ・アントワネの配下である物言わぬ兵士たちだ。
虚空の空を見上げれば、嵐が近い事も分かる。無言の圧力に負けてマキトは船室へ戻った。やはり、地下迷宮の連戦で魔力も体力も消耗したらしい。気分も体調も最悪だ。
迷宮門の戦いでは主力となる白磁騎士団にも疲労が見えていたのだから、無理をせず早めに撤退の決断をするべきだった。マキトがゴーレム娘たちを可愛がり、その戦力を過信したのが敗因だと思う。命が助かっただけでも幸運と言える。
「おやっ?…これは…」
寝室に攻撃的な豹柄の毛皮が敷かれていた。奇妙に手に馴染むのは毛皮職人の技か。どこぞの蛮族がクロホメロス男爵の名を聞き付けて献上したらしい。我が家名も少しづつ有名になりつつある。
マキトは地下迷宮での失敗を反省するのだが、書斎に置かれた英雄カイホスロウの伝記に目が留まる。
嵐の夜に読書はお勧め出来ないのだ。
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