ep341 聖都西門の戦い
ep341 聖都西門の戦い
マキトは地下迷宮の戦闘で敗れて死亡したと思われた。しかし、マキトが気付くと帝都の西門では大規模な戦闘が発生していた。いつ、地上の政変に巻き込まれたのか訳が分からない。
「そこな若君、カイホスロウ将軍はご健在か?」
「はっ!」
流麗な声は帝都の姫か貴族のご令嬢か、マキトが応えるよりも素早く副官と見える男が答えた。
「将軍は前線にて奮闘中で、ございますッ……巫女様。ここは危のぅございますれば…」
そこへ流れ矢が飛来する。
「天上天下…【風神】」
「ッ!」
流麗な声をした巫女様は指揮棒と見える小枝を振るい流れ矢を撃墜した。その姿は死霊術師リリィ・アントワネと相似していた。
「リリィ?…」
「妾は、リリィではない。ルレイ・アントワネ・タンメルシアであるッ」
「こっ、これはッ!失礼を致しました……この者は斬首に致しますれば…」
「良い、許す。そこな若君は妾が預かる。故にカイホスロウ将軍へ伝えよ」
「はっ!承ります」
なおも西の大橋では戦闘が継続している様子だ。兵士の喊声が防御陣地の後方までも響く。そこには生贄の獣を捧げた祭壇と防御の呪印を施した天幕があった。マキトは好奇心からか核心を尋ねる。
「巫女様は、どちらの巫女様ですか?」
ざわり。巫女の従者たちの殺気がマキトに向けられる。
「…それは、白の巫女か黒の巫女かと問う者ぞッ…タンメルシアの土地を所領するも教皇の犬ではなかろう」
「ルレイ様っ!」
年長の従者が巫女姫ルレイの失言を咎める。
「聖都カルノは、二つの勢力が対立していると?」
「それは、幼子でも知る処ぞ」
この問答だけでも、マキトが世間知らずな貴族の若君ではない事を知らしめた。どこか浮世に離れた人物でもあるまい。巫女姫ルレイの事情はさらに複雑な様子に思える。
「姫様、お茶の用意が整いまして御座います」
「これ若君、血統を名乗られよッ」
びくっと反応するも、マキトは瞬時に逡巡して名乗りを上げた。巫女姫様のご指名に斬首されては堪らない。
「はっ、申し遅れました……マキト・クロホメロスに御座いますッ」
「はて?…クロホメロスとは、聞かぬ家名じゃ…」
「東方の辺境にて、開拓民を従える者でございます」
「ほほう、辺境とな…」
マキトは開拓村での生活を面白おかしく語って聞かせた。巫女姫ルレイには新鮮な驚きに満ちた冒険譚でもある。マキトは巫女姫様へ砂糖菓子のひと包を献上する。
「いかがでしょうか?、シロン産の茶葉には良く合いますよ」
「良き哉。良き哉…」
星形の砂糖菓子で巫女姫ルレイの歓心を得て、マキトは身の安全を得た。
◆◇◇◆◇
マキトが九死に一生を得たのは聖都カルノを守る西門の陣幕だ。巫女姫ルレイ様のお役目は蛮族の兵士の戦意を高揚し聖都カルノの防衛任務に当らせる事らしい。危険な前線にも近い天幕は護衛の従者も多い。
「エナさん。厠へ…」
「ふんッ、目が届かぬとも…私の牙は御身を引き裂くぞッ」
ぶるる。マキトの護衛に配置された従者のエナ・ウンは獣人の血筋らしく牙を見せて威嚇する。攻撃的な豹柄の彼女は武装した従者の中でも腕利きと見える。聖都カルノにおけるマキト・クロホメロスの血筋は無名とも言える辺境の家名だ。マキトの正体は裕福な商人か貴族の若様とも推測されたが、タルタ地方の豪族の子弟と見做された。
それに、マキトが得た情報では帝国の西部アルノルド地方から輸入されるシロン産の茶葉は非常に高価な嗜好品である。西方諸国を越えた輸入品は何度も関税を課された価格だろう。今まさに聖都カルノの西門へ攻め寄せたのはアルノドフ帝国の軍勢であった。マキトが古き武門のジャンドル家の戦と兵士の特徴を語ると巫女姫ルレイ様は大いに関心を示した。聖都カルノの軍陣では巫女姫様が軍師の役目も兼任する様子だ。
「ふうう。ちびるッ」
マキトは人目を離れて厠の穴倉へ放尿した。古風な汚水処理施設に郷愁を感じる。それにしても、従者のエナ・ウンのマキトに対する態度は隙あらば縊り殺さんとする険悪なものである。
「…そりゃ不審者には違い無いケド…」
「ふんッ、客人の糞は常人よりも長いと見える」
「…」
蛮族は言う事も下品である。そんな態度では巫女姫様にクソが付くぞ。
巫女姫様の天幕で働く従者は古風な女中服を着ている。聖都カルノがアルノドフ帝国に併合される以前だと考えると百年以上も過去の世界だろう。マキトは帝国風の女中服には造詣があった。
「カイホスロウ将軍が、帰還されました!」
伝令と見える従者が報告をすると、出迎えも待たずに蛮族の将軍が天幕に現われた。敵の返り血を浴びて血刀こそ持たぬが、死闘の傷痕は見て取れた。
「姫っ、敵軍を討ち払いましたぞッ」
「将軍。ご苦労さまです……洗心洗礼【浄水】」
「うっぷ!」
巫女姫ルレイの聖水を浴びて、英雄カイホスロウ将軍が打ち震える。それは巫女姫様のご褒美か。
すっかり生傷も癒えた蛮族の将軍は戦況報告を終えると、不審者マキトに一瞥をくれて退出した。後に残されたのは戦場の血の匂いだけである。
「クロホメロス卿。そなたの情報が役に立った様子ですわ」
「滅相も御座いません。カイホスロウ将軍のお力であれば、ジャンドルの若造など赤子の様な者で…」
「ジャンドル家の武門を赤子とは剛毅ッ」
「いえいえ…」
マキトは自身の大言壮語に恐縮して身を固くする。巫女姫ルレイの評価はマキト・クロホメロスを客人として遇する為の芝居であろう。
こうして不審者マキトは聖都カルノの西門防衛軍の客人となった。
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