032 名も知らぬ岩棚
032 名も知らぬ岩棚
僕は身体の激痛に気付いた。身を起こすと河トロルのリドナスが僕の背中に寄り添っていた。改めて自分の体を見ると紫色の痣が至る所に出来ている。幸いにも骨折や体の欠損は無かった。
僕が倒れていたのは岩棚の様な地形で、近くの泉から湧き水が出ている。どれ程の時間、気を失っていたのか分からないが、空にはキラキラと星空が輝いていた。
リドナスは見た目からして疲れ切った様子だったが目を覚ました。
「主様、気が付き マシタか…」
「リドナス、ここは何処だ」
息継ぎをする様にリドナスの話を聞くと、流れに落ちた僕をリドナスが助けたそうだ。あの触手の怪物から逃れるために、危険な水路を潜って脱出したと言うリドナスの苦労が思われる。
「そうか、ありがとう。リドナス」
「いえ、ご無事で 嬉しい デス」
狐顔の幼女ニビが寝返りをうつ。幻術が解けて二本の尻尾も狐の耳も飛び出している。安心して尻尾をモフモフしていたら、ニビが目覚めた。
「わらわの睡夢をじゃまするでない……ムニゃムニゅ…」
「怪我は無いか。ニビ」
魔物に襲われる事を危惧して辺りを見回すが、岩棚の上には何も無くて頬を撫でる風に気付いた。僕は、ニビを抱えリドナスに肩を貸して岩にもたれた。不思議と岩は温かみがあった。
たらふく水を飲んだせいか胃が重い。僕は再び眠りに落ちた。
………
……
…
◆◇◇◆◇
◇ (あたしは海鳥の形態に変形して島の周囲を探索した。島は砂浜と岩礁に囲まれた孤島で北に見える積乱雲の他には目立つ物が無かった。…大陸が見えればひとっ飛びできるのだけど…)
河トロルのリドナスは食糧調達のため嬉々として海へ潜った。川住まい者のくせに海の泳ぎも得意らしい。…まぁ美味しい鮮魚を期待しよう。
◇ (島をひと回りして海岸にリドナスを発見した。リドナスは野生の勘かあたしと心が通じる気配がある。あたしは海へ飛び込んだ。海鳥の形態は水に潜って獲物を取り海風に乗って飛翔するのに適している。島で自給自足の生活も悪くはないわ)
狐顔の幼女ニビは島の内部を探索した。ぐるりと島をひとっ走りしたが脅威となる野生動物や魔物は発見できなかった。ニビは仕方なく低木林で発見した黄色い木の実を採取した。甘酸っぱい香りがする。
◇ (あたしは上空へ飛び上がり魔法を行使した【神鳥の視界】…島の魔力の分布を観察するがご主人様たちの他には魔力の大きな者は発見できない。むしろ海中の方が魔物の気配は多いわねぇ)
………
僕は、頬に照りつける暑さに気付いた。すでに太陽は天高く照りつけている。
「はっ、いつの間に外に……」
周りを見るとニビもリドナスもいない。昨日の出来事は夢か幻か。泉から溢れた水は流れを作って岩棚を下っている。僕は流れに沿って下ると背の低い灌木の林があり、林を抜けて砂浜に出た。適当な灌木の日陰で休憩する。
「主様、魚が トレマシタ♪」
「おぉ!美味そうだな」
リドナスが浜に上がってきて獲物を誇示する。僕は砂を固めて竈を作った。
「…【形成】!【硬化】」
浜辺の流木を拾い乾いた枯葉も集めて竈に入れる。火付けの魔道具が無い。
「リドナス。水魔法で出来るだけ大きな水球を作ってくれ」
「はい。主様…【水球】」
リドナスに指示して水球を円盤状に広げてレンズの形にする。
「そう、上出来だ。このまま形を維持して!」
「ぐう ヌヌヌ…」
枯葉に火が着いた。素早く枯れ枝と細く割った薪を焚き付ける。薪割りは得意だ。魚を串刺しにして火で炙る。簡単な浜焼きを調理しているとニビが浜辺にあらわれた。
「この島には得物がいないのじゃ」
「ニビ…」
檸檬に似たフルーツを抱えたニビは元気を無くしている。
「ちょうど良い。魚が焼けてるよ」
「KUN!」
ニビは鼻を鳴らして飛びついた。檸檬を搾り魚の浜焼きにかける。食欲をそそる酸味が香る。僕らが魚の浜焼きを満喫しているとピヨ子が飛んできた。
「おぉ!ピヨ子。無事だったか」
「ピヨョョヨー」
◇ (ご主人様。ようやく起きたのね……それよりも、お腹がすいたわ)
魚の浜焼きを差し出すと喜んで啄ばむ。よく付いて来れたと思う。無事でなにより嬉しい。ニビが探索した結果を聞くと、この島は無人島のようだ。迷宮の地下水路からここまで流されたらしい。
日が傾く頃に岩棚に向かう。いずれにしろ水は必要だ。粘土を形成した瓶に泉の水を汲む。岩棚は日中の日差しに焼かれて熱気があった。僕は思い付きで岩棚に水を撒いた。
焼けた岩が水気を受けてジュウジュウと音がする。何度か泉に戻り水を足すと岩棚の窪み水溜りが出来た。ちょうど良い湯加減だ。僕は服を脱ぎすてて浅い湯溜りに浸かった。久しぶりの風呂は気持ちいい。
「あぁ、いい湯だ。ふたりもどうだい?」
「はい、主様」
「…」
ふたりを湯に誘うとリドナスは革のスーツを脱ぎすてて飛び込んで来た。水でも湯でも嬉々としている。ニビは躊躇うた。
「川で魚取りはするくせに、湯は嫌いなのかい?」
「そうではないのじゃ……」
僕は、珍しく逡巡するニビの裾を掴んで引っ張り込んだ。
「観念しろ、ニビ!」
「あわわ、止めいッ クロメよ!」
浅い湯溜りが波うち大混乱となる。湯の中でニビの尻尾をゴシゴシと洗うと、
「無礼者め!」
僕はニビの尻尾に投げ飛ばされて泉に落ち、強制的に冷水浴するハメになった。ざぶんッ残念、無念じゃ~あ。
◆◇◇◆◇
◇ (あたしは海に潜り獲物を捕らえた。これも食糧確保と戦闘を想定した訓練のつもりよ。迷宮のボスは巨大な触手で探索者の攻撃でも有効打撃は無かった。…物理攻撃は無効と思える…あたしは自分の攻撃力に限界を感じていた。河トロルのリドナスも同じ気持ちらしく自然と狩りにも力が入る)
………
昼間に、僕は浜辺で流木を拾っている。薪にする為だ。
この太さの流木が浜にあるのを見ると大陸は近いと思える。中には明らかに加工されたと見える木材もあり船の一部だろうか。流木を薪割りの要領で割り竈にくべる。粘土を形成した土鍋を火にかける。蒸気鍋は大蟹の大群に食材ごと投げ込んでしまった。
瓶から土鍋に水を入れ魚のアラで出汁をとる。適度に海水を混ぜて塩加減する。飲料は泉の水を素焼きの壺に汲み濾過浄水してから火にかける。適度に煮沸してから別の瓶に入れておく。
「主様、得物が トレマシタ♪」
「おぉ!美味そうだね」
リドナスが浜に上がってきて獲物を誇示する。とりあえず水と食料は確保できている。
ここで、重要なお知らせがある。結論から言うとリドナスは男でも女でもなかった。そう…アレもコレも無いのである。どちらなのかと追及すると、繁殖期になれば自然と変化するとの話だった。
リドナスは海から上がって流線型のボディを太陽に晒していた。決してエロくはない。僕が、リドナスの頭から真水をかけてやると、気持ち良さそうに目を細めた。
「気持ち 良い デス…」
「ご苦労さま」
今日の獲物は大きなエビといくつかの貝だ。跳ねるエビを捕まえて串に刺す。貝はしばらく砂を吐かせるため、たらいに入れ蓋をして日陰におく。ニビが帰ってきた。
「肉が食べたいのじゃ…」
「ニビ、薬草をありがとう」
いくつかの薬草を抱えたニビは意気消沈している。薬草というより、食べられる葉野菜に似たものを土鍋にいれ野菜とアラのスープにする。野菜も大切だ。
焼けたエビに檸檬をかけて美味しく頂いた。
◆◇◇◆◇
僕はこの岩棚の島で何日を過ごした間に、ニビと対峙していた。
ニビは服を着るのも面倒になったか野生の姿で、全身が小麦色に日焼けしていた。僕は、なんとかしてニビから一本を取ろうと踏み込むが、ニビの尻尾は接近を許さない。
尻尾の殴打を受けて僕は後ろに下がる。勝負!僕はどうにかニビの尻尾を避けて本体を狙うが!、ニビは二本の尻尾を使い攻防の構えでスキが無い。
「なんじゃ、こんなものか!? クロメよ」
「ぐはっ!…」
ニビの尻尾が左右から時間差で遅い来るのを避け損ねて、僕は吹き飛ばされた。少しは手加減していると思えるが、既に僕は打撲や切り傷だらけだ。
今日も完敗して岩棚の湯に浸かる。給水設備も完成している。
「痛てて…」
「主様、治療を シマス」
リドナスの水魔法による治療を受ける。暖かい波動に痛みが和らぐ。僕の惨状に対して、ニビはご機嫌だった。僕を痛めつけて喜んでいる訳ではなかろうが、訓練で体を動かし上機嫌の様子だ。
「そんな事だから、魔物の触手如きに捕まるのじゃ」
「面目ない…」
ニビの指摘に反論はない。迷宮で負けてこの事態となった原因は僕の戦闘力の無さにある。
僕は湯に浸かって今後に想いを馳せた。
………
◇ (あたしは新たに攻撃技を習得した。戦闘形態で急加速からの【神鳥の羽斬】は風切羽に魔力を通して敵を切り裂く!…そして【神鳥の連打】は連続技で大ダメージを与える)
哀れな灌木の茂みが8の字に切り裂かれた。ピヨ子の高速飛行による旋風か!
◆◇◇◆◇
僕は日課の訓練をしている。ニビを見ると二本の尻尾を使う攻防に目を剥くが、その身体能力も高い。僕は尻尾の引き戻しに乗じてニビに接近した。右手のひと掴みで本体に触れようとするが、ニビは足を使って逃げた。
そのまま追いかけるが、ニビの脚力も持久力も大した物だ。僕はすぐに引き離される。海岸線まで追いかけてニビに追いつくが、ニビは海を見下ろしていた。
海岸線の岩場ではリドナスが素潜りで魚を取っておりピヨ子もいた。ピヨ子は海鳥のような形態で海に飛び込み小魚を捕まえた。リドナスが手造りの銛を手に海から顔を出す。銛の先には型の良い魚が仕留められていた。こちらから手を振ると、リドナスも応じて手を振る。
この島を捜索したが、泉のある岩棚と背の低い灌木の林と海岸の他に目ぼしい物は無かった。そろそろ、流木と灌木で作った筏に乗るか、泥船に乗るか決断しなくてはならない。
余分に取った魚は干物にしてある。薬草も用意した。真水は瓶に入れて持って行こう。装備はナイフと銛ぐらいか…千年霊樹の杖は泉で見つけたが、至る所に傷が付き武器としては心もとない。
夏の日差しが照りつける海を見渡すと、船が見えた。
「ふっ船だ! 漁船か!?」
「KUN!…」
ニビとリドナスに海岸で手を振らせて、僕は急いで竈に戻った。
燃え残った火種に枯草を加えて火を起こす。煙が出る薪をくべる。流木の粗悪なやつだ。竈から立ち上る白い煙に咽ながら、風を送って火勢を維持した。
「ゴホッ、ゴホッ」
「クロメよ、船が近づいておる!」
僕は荷物を抱えて海岸へ向かい……
この島を脱出した。
◇ (あたとしご主人様の無人島ライフはここに終わる)
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