ep326 恐怖に支配されて
ep326 恐怖に支配されて
帝都の郊外にあるマキト・クロホメロス男爵の屋敷では女中の待機部屋で新人の女中たちが噂話に興じていた。兎族の獣人奴隷としては破格の待遇だろう。
「旦那様の研究室で、吊るされた女の姿を見た!と言う…」
新人の女中たちは、先輩の女中から屋敷の噂を聞いた。年長と見える女中が顔色を青くする。
「ひっ、それは…どんな失態のお仕置きで?」
「盗賊を数十人も惨殺した。……それで、血に濡れた手足を切り落としたッと…」
それは、ゴーレム娘のフレインを修理の為に整備小屋へ吊るしていた光景だとは知らないらしい。
「きゃっ、旦那様!…素敵ぃ」
この兎族の娘は命知らずか、流血の話に興奮してか顔を赤く染めている。この話のどこに素敵な要素があるのか謎だ。
「研究室には近付かない方が身の為よッ」
「おら、旦那様に食べられちまうかぁ?」
「それは、旦那様のご機嫌次第かしら……」
この兎族の娘は田舎娘と見えて、立ち居と振る舞いも話し方も厳しい再教育が必要だろう。話の意味が分かって言うのなら中々の役者である。いずれにしろ、噂話に新人の女中が旦那様を恐れる様子は面白いものだ。
◆◇◇◆◇
タンメル村の領主の館は再建工事が進んでいる。工程の進捗管理にも優秀なゴーレム娘のフラウ委員長が秘書官の姿で報告する。
「工事の進行は順調でございます#」
「うむ」
「館の使用人の手配は、いかが致しますか?#」
「女中の再教育はセバスに頼んである」
代官のマキトとしては仮に館の使用人を置くとしても一時的な処置だろう。本来の領主が任命されれば、お役御免となるのだ。
「では、引き続き工事の監督にあたります#」
「宜しく頼むよ」
「はい。マスター#」
領主の館の再建工事は順調と見えた。
………
日暮れとともに、工事現場から職人と人足の男たちは引き揚げる。夜間工事をする程に工程の遅れは無かった。実際に秋季から冬季の工事は農作業も終えた農民には好都合な仕事だ。
「はっ、早く引き揚げて飯だッ」
「「 おうッ 」」
余程に飯場の食事が気に入ったのか、宿舎へ帰る職人たちの足は早い。新入りの男が年功の職人に尋ねた。
「何かあるんですかねぇ?」
「出るんだよッ……幽霊が!」
「はぁ?」
領主の館の工事現場では、惨殺された前領主の幽霊が現われるという噂があった。単なる幽霊なら退治すれば良いだろうが、年功の職人の話では危険な幽霊らしい。
その噂はマキトの耳にも入った。
………
深夜の工事現場を包囲してマキト・クロホメロス男爵の手勢が配置された。今宵は月明かりも映えて、絶好の幽霊退治の日和だッ。
-KYAAAA-
館の古井戸から響く女の悲鳴か。こんな夜更けに女中の一人もいる筈は無くて、工事現場の包囲の輪が発生源を探る。
「ご主人様。井戸に巣食う魔物ですぅ#」
「行くぜッ!#」
「こらっ、待ちなさい!#」
ゴーレム娘のフラウ委員長の制止を無視して、妹たちが飛び出した。ゴーレム娘のフローリアは長槍を古井戸に突き入れた。あの様子では魔物も一撃で串刺しだろうか。先行したゴーレム娘のフレインが古井戸の底を確認すると、途端に大量の瘴気が漏れ出した。
包囲の輪から恐怖に駆られて逃げ出す者が多数あり。恐怖に耐えてもその場で釘付けに、身動き出来ない者も多い。…これは、まずいッ!
マキトは目だけを動かして様子を伺う。そう、マキトも恐怖に身が竦んでいたのだ。
「グウウウゥ… リリィお嬢様の カタキを討つッ…あっ#」
ゴーレム娘のフローリアが機体を振るわせて暴走した。次々と護衛を跳ね飛ばしてマキトに迫る。
「このッ#」
「許さぬぞぞぞ…きゃっ#」
恐怖にも動じないゴーレム娘のフレインが暴走したフローリアの機体へ組み付くッ。
「マスター。退避をッ!#」
この恐慌状態でも平然としたゴーレム娘のフラウ委員長がマキトの身を庇い立ち塞ぐのだが、フローリアの巨体の突進は止まらない。ガゴンと金属装甲が衝突する音にマキトは覚醒した。
「フローリア…【緊急停止】だッ!」
マキトの呪文の言葉が危機的に間に合った。突撃体制のままに機体を硬直させたフローリアが資材の山へ衝突する。ごわちゃーん。建設資材の破片が飛び散った。
「フラウ委員長。無事かッ!?」
「はい。マスター#」
にっこりとほほ笑んで見せる。ゴーレム娘のフラウ委員長は無駄に高性能だが、胸部装甲は大きく凹み内部の弾倉も漏れ出していた。生物であれば命に関わる大怪我だろう。
「フローリア。無事か?」
「グウウウンヌ… 口惜しや リリィお嬢様の カタキを……はい!#」
どうやら亡霊がフローリアの機体へ憑り付いたらしい。なおも抵抗を見せる亡霊はこの館の地縛霊か。
「リリィお嬢様は生きているぞッ」
「ウウウウゥ… 嘘だっ!……#」
マキトが過去の経緯を話すと亡霊は抵抗を止めた。聞き分けの良い亡霊で除霊の手間も省ける。すると工事現場を覆っていた瘴気も晴れてゆく。
騒動の後には中秋の名月が残された。
◆◇◇◆◇
帝都の郊外にあるマキト・クロホメロス男爵の屋敷には奇怪な噂も多い。屋敷の女中を掌握するサリアニア奥様は些細な噂を耳にした。それは屋敷で洗濯された女物の下着が無くなると言う話で、ご婦人には重大な事件だッ。
「して、誰の下着が無くなったと言うのだ?」
密かに、サリアニア奥様は調査へ乗り出した。
「それが、被害に遭ったのは使用人では無くて、来客か奥様方のいづれか…」
「風に飛ばされたか、当番の者が無くしたのかも…」
「きゃっ、泥棒かしらッ…」
「いえ。何度も確かめましたらか、数は合っているのですッ…」
「洗濯物のいくつかは見覚えが無くても、取り込む際には…」
「旦那様だったら、どうしましょう…」
女中たちの証言は様々で確証は無い。サリアニア本人も下着の数までは把握していない。犯人を捕らえる為に交代で見張りを置く事になった。
その結果、洗濯物の数が増える日には老執事セバスの姿が目撃された。新人の女中の教育も引き受ける彼は洗濯場の仕事ぶりも把握しているだろう。しかし、洗濯物を取り込んで見ると数は合っている。
旦那様は任地へ赴任しており疑いは晴れたが、老境のセバスが女物の下着に興味を示すとは思えないのだ。
この事件の調査は保留となった。
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