ep325 帝都の闇に封じられた者
ep325 帝都の闇に封じられた者
その頃、帝都には不穏な空気があった。最近の町人の噂では笑茸なる怪盗が豪商や貴族の邸宅を荒らしていると言う。怪盗パナエルスは邸宅の金品よりも美術品や魔道具の類を好み狙うらしい。
そんな怪盗が帝都に跋扈しては警吏長官の名折れであった。新任の警吏長官は北も南も捜査官に役人と警吏と手下をも動員して怪盗の捕縛に躍起となった。それでも末端の警吏と手下たちの意欲が上がる物ではなかった。日常業務の間に怪盗パナエルスの人相書きを市中に手配する程度だ。
配下の小物が南区の警吏グロウ先輩に尋ねる。
「兄貴ぃ、怪盗パナエルスなんて…本当に居るんですかねぇ?」
「…るっせえ、俺も知らぬ事だ。手早く済ませろッ」
彼らは、冒険者ギルドにも手配書を貼り出して仕事を終えるのだ。
「へい!」
手配書の男は風采の上がらぬ小男で何の特徴も見いだせない。こんな普通の人相の男が怪盗だとは信じられない。新らたな南区の警吏長官は無能だと思う。
◆◇◇◆◇
帝都の地下墓地にある闇の僧院では盗品の密売が行われていた。貴族の子弟と見える男が盗品の包みを提示した。
「依頼の品物だ」
「これは、ラザブ殿。よくぞお越し下さいました」
闇の僧院の侍僧が珍しく愛想を見せる。ラザブと呼ばれた男は手配書の人相に似ている。
「神仏の像など似た様な物ではないかッ?」
「神のご加護については、我々の領分……信心の無い者には理解し難いでしょう」
ラザブの不敬な言動にも鷹揚に対応するのは闇の司祭だろうか。貫録と年季の程は侍僧たちを遥かに凌駕して闇の気配が濃くなる。
「ふん。説教は不要だッ」
「ほっほっほぉ…」
闇の司祭の哄笑は不快ではなかったが、品物の代金を受け取ると貴族の子弟と見える男ラザブは姿を消した。…いや、闇の僧院に侍僧が一人増えた!…変身能力かッ。
「…いつ見ても、気色の悪い者よのぉ」
「ふっ」
弟子の侍僧にかける言葉は辛辣でも、闇の僧院の侍僧ラザブは意にも介さない様子だ。気配を消して立ち去るのは毎度の事である。
先日、新緑の教会から窃盗された神仏の像は闇の僧院の手に移った。
◆◇◇◆◇
水の神官アマリエはお勤めの帰路に同業者に遭遇した。帝都も郊外では流行り病に苦しむ者が多い。
「いと慈悲深き地母神の お恵みがありますように…」
「水の精霊の お導きがありますように…」
同業者の挨拶として祈りの聖句は宗旨宗派により異なる。相手の衣装は貴族の子弟と見えるが深めの外套を着て顔は見えない。それでも一瞬だけ、その人物の鋭い眼光が見えたと思ったが、水の神官アマリエは戦慄を覚えた。
この辺りに闇の僧院はあったと記憶しているが、その弟子にしては身形が良くて信者か檀家の貴族だろうと思う。
「貴族の若様にしては、老け顔だったわ」
水の神官アマリエは以前に見覚えのある貴族の顔を思い出すが、外套の人物には思い当たらなかった。
………
帝都の郊外にあるマキト・クロホメロス男爵の屋敷は当主が不在でもサリアニア奥様が取り仕切る様子だ。
「アマリエ殿。よく来てくれたッ」
「ご機嫌も麗しう御座います」
サリアニア奥様はマキトの昔馴染みとして、水の神官アマリエを頼りにしていた。
「貴殿にお伺いしたいのだが、旦那様の奴め……蛮族の娘を屋敷へ寄こしたのだッ」
「まぁ!」
「何処の馬の骨とも知れぬ者を、簡単に雇い入れるとはッ!…迂闊な事よのぉ」
「それはそれは…」
水の神官アマリエがサリアニア奥様の話を聞くと、マキトが何の相談も無しに使用人の女中を増員した事が不満らしい。何か事情がありそうに思うが、昔からマキトは面倒事に巻き込まれる運命の流れにあり、混沌に浮かぶ筏の様な物だと説教をする。
「困った者は、蛮族でも見捨てられぬと申すかッ?」
「はい。その様で御座います」
「うむ、相分かった。旦那様の我侭を通すのも奥の務めであろう」
遠く任地と離れても、男爵家の夫婦の仲が良いのは結構な事だ。水の神官アマリエは奥様の相談事を解決して安堵する。それでも男爵家の屋敷には良からぬ暗雲が立ち込めている気配がするのだ。
◆◇◇◆◇
その頃、足元では神聖結界に封印された地下室で、死霊術師リリィ・アントワネが暇を持て余していた。
「近頃に王都で噂の怪盗パナエルスとは何者ですか?」
「豪商や貴族の邸宅に押し入り、美術品や骨董の類を盗むらしいですが、王都の愉快犯ではないかと…」
「ほほう」
「下町の読み売りの話でも…」
何も盗らずに退散したり、下らぬ品物を盗んだりと、笑茸という不真面目な渾名も相応な仕事ぶりと言う。
「おほほほほ、面白そうな盗賊ですわね」
「下衆の稚戯に過ぎませんッ」
執事のセバスには不評らしいが、暇を持て余したリリィお嬢様には格好の話題だ。セバスは唯一の話し相手としてお嬢様との無駄話に付き合うより他にない。
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